イナクセシブル島
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英名 | Gough and Inaccessible Islands | ||
仏名 | Iles de Gough et Inaccessible | ||
面積 |
79 km² (緩衝地域 3900 km²) | ||
登録区分 | 自然遺産 | ||
IUCN分類 | Ia (厳正保護地域) | ||
登録基準 | (7),(10) | ||
登録年 | 1995年 | ||
拡張年 | 2004年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
地図 | |||
使用方法・表示 |
イナクセシブル島(Inaccessible Island)とは南大西洋に浮かぶイギリスの海外領土、トリスタンダクーニャ諸島にある小島で、「近寄りがたい島」を意味する。
トリスタンダクーニャ島から南西32Kmに位置する面積14km2の火山性の島で、2004年に、ユネスコ世界遺産に登録されていた近隣のゴフ島を拡大登録する形で、自然遺産として登録された。
歴史
1652年オランダ船ナチェットグラス号(t'Nachtglas)により発見された。荒波と断崖絶壁の環境から島への接近は難しかったため、「近寄りがたい島」を意味するイナクセシブル島と命名された。1816年トリスタンダクーニャ島に駐留していたイギリス駐留隊は島から撤退したが、駐留隊員の一人ウィリアム・グラス伍長は彼の家族と共にトリスタン・ダ・クーニャ島に残り家畜をしながら家族と共に暮らした。その時、家畜のヤギやブタもイナクセシブル島に導入された。1871年10月にドイツのストルテンホフ兄弟がイナクセシブル島に住み着いた。ストルテンホフ兄弟はプロイセンの軍隊からの排出にアメリカの捕鯨船に乗り込み、この船によってイナクセシブル島に着いた。捕鯨船は捕鯨を続けるため南に進む間に、ストルテンホフ兄弟は島でアザラシ狩り業を作るため3ヶ月間、島に残ることに同意した。しかし不運にもストルテンホフ兄弟はすぐに彼らのボートを失い、3ヶ月過ぎても捕鯨船は戻ってこなかった。島に食料となる様な物はほとんどなかったがストルテンホフ兄弟はかつてグラスが家畜のため島に放したヤギやブタを食料にして何とかどうにか生活していた。結局ストルテンホフ兄弟は1873年島に来たイギリス海軍チャレンジャー6世号(H.M.S.Challenger Ⅵ)により救助され島から去った。1938年にノルウェーの科学探険隊は島に3週間過ごし、島の植物や鳥および石の広汎な標本を作った。農場として島を開発する計画があったが、第二次世界大戦後、その開発計画は駄目になり、島独特の豊かな植物や動物を存続を保障するようになる。1962年トリスタン・ダ・クーニャの会社が島の地図を描くためにイナクセシブル島に科学者を上陸させ探検を行った。 不運にも科学者は島の内部に得てなかった。 船からの島の地図を描く代わりとなる試みはまた余分な雲量のために失敗した。 島の最も正確な科学的な調査はイギリスのデンストン大学から島に航海して来た教師と男の生徒で1982年10月25日に島に上陸し、1983年2月9日に島から去るまで、島で詳しく述べられ、その間に詳しく地図を描き作り、植物や動物群は調査され、イナクセシブル島の地質学は調査された。デンストン大学によるイナクセシブル島の調査は他のどの探険よりも貢献した。
地形
火山性で島の海岸は険しい断崖絶壁が多く多岩の島である。トリスタンダクーニャ島民や科学者が時折島に訪れる以外は無人島である。面積14km2、島の最高峰は561m。島独特の豊かな自然があり、3000羽以上の野生の海鳥が生息している。固有種として飛翔能力がない鳥綱の構成種では最小種のマメクロクイナがいる。
世界遺産
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
- (10) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。