VIVA!ロキシー・ミュージック

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VIVA!ロキシー・ミュージック
ロキシー・ミュージックライブ・アルバム
リリース
録音 1973年11月、1974年10月、1975年10月
ジャンル アート・ロックグラムロック
時間
レーベル アイランド
プロデュース クリス・トーマス
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 6位(イギリス
  • 81位(アメリカ
  • ロキシー・ミュージック アルバム 年表
    サイレン
    (1975年)
    VIVA!ロキシー・ミュージック
    (1976年)
    グレイテスト・ヒッツ
    (1977年)
    テンプレートを表示

    VIVA!ロキシー・ミュージック (ザ・ライヴ・ロキシー・ミュージック・アルバム)[注釈 1]Viva!)は、ロキシー・ミュージック初のライブ・アルバム。通算6作目に相当し、解散発表[4]と相前後して1976年夏に発表された[5]

    解説[編集]

    経緯[編集]

    ロキシー・ミュージックは1975年10月にアルバム『サイレン』を発表し、同月、イギリス・ツアーを行なった[注釈 2]、11月から翌1976年3月までアメリカ・ツアーを行ない[6][注釈 3]、1976年6月末に解散を発表した[4]

    解散に際して2枚組ライブ・アルバムの発表が企画され、メンバーは、1973年10月から1975年10月までの間に行なわれたツアーで得られた39曲の127の異なる録音を聴いた[5]。結局、8曲を収録した1枚組アルバムが、クリス・トーマスをプロデュ―サーに迎えて制作された。

    内容[編集]

    収録された音源は、1973年11月のグラスゴー公演、1974年10月のニューカッスル・アポン・タイン公演、1975年10月のロンドン公演から選ばれた。

    8曲の収録曲のうち、5曲は1974年10月27日と28日のニューカッスル公演で録音された。この公演はアルバム『カントリー・ライフ』(1974年)の発表に伴なって行なわれた国内ツアーのもので、ツアーに準メンバーとして参加したジョン・ウェットン[注釈 4][7](ベース)の名前は、アルバムの裏ジャケットに正式メンバーと並んで表記されている。

    残り3曲のうち、2曲は1973年11月2日のグラスゴー公演、1曲は1975年10月17日または18日のロンドン公演で録音された。グラスゴー公演はアルバム『ストランデッド』(1973年)、ロンドン公演は『サイレン』の為のツアーのものだった。これらのツアーでは、それぞれサル・メイダ[注釈 5][8]ジョン・ガスタフソン[注釈 6][9]が準メンバーとしてベースを担当した[注釈 7]

    8曲の収録曲のうち、6曲はブライアン・イーノが在籍した時期の楽曲である[注釈 8]

    ジャケットの写真はウェンブリー・エンパイアプールで行なわれた1975年10月17日または18日のロンドン公演の映像で[5]、女性は当日コーラスを担当したザ・サイレンズである。

    収録曲[編集]

    「アウト・オブ・ザ・ブルー」を除き、全曲ブライアン・フェリー作。

    1. 「アウト・オブ・ザ・ブルー」 - "Out of the Blue" (フェリー、フィル・マンザネラ) 4:44
    2. 「パジャマラマ」 - "Pyjamarama" 3:36
    3. 「ザ・ボーガス・マン」 - "The Bogus Man" 7:05
    4. 「チャンス・ミーティング」 - "Chance Meeting" 2:58
    5. 「ボス・エンズ・バーニング」 - "Both Ends Burning" 4:46
    6. 「イフ・ゼア・イズ・サムシング」 - "If There Is Something" 10:37
    7. 「イン・エヴリ・ドリーム・ホーム・ア・ハートエイク」 - "In Every Dream Home a Heartache" 8:23
    8. 「ドゥ・ザ・ストランド」 - "Do the Strand" 4:00

    ※録音年月日と場所

    参加メンバー[編集]

    ロキシー・ミュージック

    アディショナル・ミュージシャン

    脚注[編集]

    出典[編集]

    1. ^ Erlewine, Stephen Thomas. “allmusic ((( Viva! > Review )))”. Allmusic. 2010年3月17日閲覧。
    2. ^ Christgau, Robert (1981). “Consumer Guide '70s: R”. Christgau's Record Guide: Rock Albums of the Seventies. Ticknor & Fields. ISBN 089919026X. https://www.robertchristgau.com/get_chap.php?k=R&bk=70 2019年3月12日閲覧。 
    3. ^ Brackett, Nathan. "Roxy Music". The New Rolling Stone Album Guide. November 2004. pg. 705, cited 17 March 2010
    4. ^ a b c Buckley (2004), p. 201.
    5. ^ a b c Buckley (2004), p. 203.
    6. ^ Buckely (2004), pp. 197–201.
    7. ^ Buckley (2004), pp. 182–183.
    8. ^ a b Buckley (2004), pp. 122, 156.
    9. ^ Buckley (2004), pp. 194–195, 196, 198–199, 200–201.
    10. ^ Rick Wills”. vivaroxymusic.com. 2014年12月9日閲覧。

    注釈[編集]

    1. ^ 初期の邦題は『ビバ!ロキシー・ミュージック』だった。
    2. ^ イギリス・ツアーは、加藤和彦高橋幸宏らを擁するサディスティック・ミカ・バンドが前座を務めた。
    3. ^ 1978年1月に一週間のスカンジナビア公演を行なった。
    4. ^ 在籍していたキング・クリムゾンが1974年に解散したので、同じEGレコードに所属するロキシー・ミュージックのツアーに準メンバーとして参加した。
    5. ^ ブライアン・イーノ在籍中、セカンド・アルバム『フォー・ユア・プレジャー』の制作後に行なわれた1973年春のイギリス・ツアーとヨーロッパ・ツアーに、準メンバーとして初めて参加した。そして、アルバム『ストランデッド』の制作発表後の同年秋のイギリス・ツアーに再び参加した。
    6. ^ ストランデッド』、『カントリー・ライフ』、『サイレン』の制作に準メンバーとしてとした。
    7. ^ ガスタフソンは10月末にイギリス・ツアーが終わると離脱したので、リック・ウィルスが後を引き継いで、11月からのアメリカ・ツアーに準メンバーとして参加した。
    8. ^ デビュー・アルバム『ロキシー・ミュージック』(1972年)から2曲、セカンド・アルバム『フォー・ユア・プレジャー』(1973年)から3曲、セカンド・シングル曲の計6曲。
    9. ^ a b c 契約上は、準メンバーだった。
    10. ^ 解散前の最後のツアーになった、1975年11月から1976年3月までのアメリカ・ツアーに準メンバーとして参加した。1976年1月に合間を縫って行なわれた、スカンジナビア公演にも参加した。
    11. ^ 2人の名前はジャケットには無記名。

    参考文献[編集]

    • Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. Andre Deutsch. ISBN 0-233-05113-9 

    外部リンク[編集]