ポール・トンプソン (ミュージシャン)

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ポール・トンプソン
Paul Thompson
ポール・トンプソン(2011年)
基本情報
生誕 (1951-05-13) 1951年5月13日(72歳)
出身地 イングランドの旗 ニューカッスル・アポン・タイン
ジャンル グラムロックロックアート・ロック
職業 ミュージシャン
担当楽器 ドラム、パーカッション、ギター
活動期間 1970年 -
レーベル アイランド・レコード
共同作業者 ロキシー・ミュージック
エンジェリック・アップスターツ
コンクリート・ブロンド
リンディスファーン
ザ・メタファーズ
アンディ・マッケイ
公式サイト pauldrum.com

ポール・トンプソンPaul Thompson1951年5月13日 - )は、イングランドのドラマー。ロキシー・ミュージックのメンバーとして知られている[1]

略歴[編集]

生い立ち[編集]

トンプソンはノーサンバーランド州ニューカッスル・アポン・タインで生まれた[2]。生後6ヶ月から家族とイングランド北東部のジャローに住み、ウェスト・サイモンサイドの幼稚園と小中学校に通った[3]

中学校の音楽の授業でドラム演奏に興味を抱くようになり、働きながら代金を支払っていくという条件でオリンピック社のドラム・キットを購入した。そして1965年、地元のユースクラブで演奏するThe Tyme[4]やJohnny Blue and the Blue Boysなどで演奏した。

黎明期[編集]

15歳の時に退学し、The Tymeを去ってThe Urgeに加入して、メンバーのジョン・マイルズヴィック・マルコムと共に活動した。やがて見習い金属細工師としての仕事に就いたが、地元のクラブやパブで週7晩もの演奏を行い、疲れからで仕事中に眠りに落ちてしまい、解雇された[5]。そこで17歳にしてプロのミュージシャンになった[6]

その後はクラブで活動を続け、ビリー・フューリーのバック・バンドを含む幾つかのバンドで演奏したが大きな成功を得られず、一時期は音楽を離れた仕事にも就かざるを得なかった。

1971年、メロディー・メーカー誌で「アヴァンギャルド・ロックのバンド」が出したドラマーの募集広告を見つけ、早速電話して応募した。電話を取ったのは、ブライアン・フェリーだった[7][8]

ロキシー・ミュージック[編集]

フェリーは学友だったグラハム・シンプソンとバンドを結成しつつあったが、初代ドラマーのデクスター・ロイド[9]が脱退したので、後任を探していた。トンプソンはオーディションに合格して、のちにロキシー・ミュージックを名乗るバンドに加入した。

ロキシー・ミュージックが上げた大きな成功の中で、トンプソンはドラマーとしての技術と力量を広く認められ[10]、ファンからは"The Great Paul Thompson"と称えられた[3][11]

1974年10月に発表されたシングル『オール・アイ・ウォント・イズ・ユー』[注釈 1]のB面収録曲'Your Application Failed'[12][13]は、トンプソンが作曲したインストゥルメンタルである[注釈 2]

ロキシー・ミュージックでの活動の傍ら、フェリー、アンディ・マッケイフィル・マンザネラ、オリジナル・メンバーで1973年に脱退したブライアン・イーノのソロ・アルバムの制作に協力した。

1976年6月末、ロキシー・ミュージックは解散を発表した[14]。トンプソンはソロ活動に専念するフェリーの依頼を受けて、シングル曲「レッツ・スティック・トゥゲザー」と4曲入りEP[15]の制作に参加した[16][注釈 3]。引き続いて彼の新作アルバム『イン・ユア・マインド (あなたの心に)』の制作[17]にも協力し、同アルバムが発表された翌1977年2月にワールド・ツアーに参加[注釈 4]。6月初旬には、同ツアーのメンバーとしてフェリー、マンザネラ、クリス・スペディングジョン・ウェットンらと共に初来日した[注釈 5][18]

1978年夏、ロキシー・ミュージックの再結成に参加し、アルバム『マニフェスト英語版』(1979年)の発表に伴なったツアーの一環として同年4月末に行なわれた初の日本公演で再来日した。しかしその年の後半、新作アルバムの制作が始まる前に、フェリーとの音楽の違いを理由に脱退した[8]。ロキシー・ミュージックはアラン・シュワルツバーグサイモン・フィリップスアンディ・ニューマークといったセッション・ドラマーを起用して新作『フレッシュ・アンド・ブラッド英語版』を完成し、1980年5月から始まるツアーにトンプソンの助力を仰いだ。彼は同意したが、バイクの事故で親指を負傷して、結局ツアーには参加できなかった[19]

その後[編集]

トンプソンはゲイリー・ムーアやジョナサン・パーキンス[20]と活動し、オイ!のバンドであるエンジェリック・アップスターツアメリカ合衆国オルタナティヴ・ロック・バンドであるコンクリート・ブロンドのドラマーも務めた[21][22]

2001年、フェリー、マッケイ、マンザネラが主導したロキシー・ミュージック[注釈 6]の再結成ツアーに参加した[23]

2002年、フェリーのアルバム『フランティック英語版』の制作に協力し、翌2003年のツアーにも参加した。

2005年6月11日、ロキシー・ミュージックのメンバーとしてワイト島音楽祭2005に出演した。

アンディ・マッケイ & ザ・メタファーズ(Andy Mackay & The Metaphors)[24][5]に参加してライブ・ギグで演奏し、CD『London! Paris! New York! Rome!』(2009年)にクレジットされた。

2013年、ニューカッスル・アポン・タインのリンディスファーンに参加した[2]

2019年、ロキシー・ミュージックがロックの殿堂入りを果たし、トンプソンは8人の受賞者[注釈 7]の一人に選ばれた。

影響とフォロー[編集]

ニュー・ウェイヴ・バンドで1978年にデビューしたデュラン・デュランのドラマーであるロジャー・テイラーは、トンプソンのドラミングが自分の演奏に大きな影響を与えたと述べている[25]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ アメリカでは「ザ・スリル・オブ・イット・オール」がシングル曲に選ばれた。
  2. ^ 4枚組の編集CD"The Thrill of It All"(1995年)に収録された。
  3. ^ これらに収録された楽曲は全て、同年9月に発表された彼の3作目のソロ・アルバム『レッツ・スティック・トゥゲザー』に収録された。
  4. ^ 2月初旬から同年7月末まで行なわれた。
  5. ^ 1977年6月5日と9日中野サンプラザ、6月6日大阪厚生年金会館。メンバーはフェリー(Vo, Key, Harmonica)、スペディング(G)、ウェットン(B, Vo)、マンザネラ(G)、アン・オデール(Key, Vo)、トンプソン(Dr)、メル・コリンズ(Sax)、マーチン・ドローヴァー(Trumpet)、クリス・マーサー(Sax)。6月9日には中野サンプラザ公演に加えて、渋谷のNHK放送センターの101スタジオで総合テレビジョンの『ヤング・ミュージック・ショー』の公開録画を行なった。放送日は同年9月10日。
  6. ^ 1983年に解散した。
  7. ^ トンプソンの他、フェリー、マッケイ、ブライアン・イーノ、マンザネラ、ジョン・ガスタフソングラハム・シンプソンエディ・ジョブソン

出典[編集]

  1. ^ [1] Archived 9 June 2012 at the Wayback Machine.
  2. ^ a b Morton, David (2015年12月10日). “From Roxy Music to Lindisfarne with ace North East drummer Paul Thompson”. 2015年12月16日閲覧。
  3. ^ a b Buckley (2004), p. 48.
  4. ^ The Official Roxy Music Tour 2001 Paul Thompson Biography”. Manzanera.com (1951年5月13日). 2015年3月3日閲覧。
  5. ^ a b Interview: Roxy Music's Paul Thompson”. Chronicle Live (2009年2月6日). 2015年3月3日閲覧。
  6. ^ Buckley (2004), p. 49.
  7. ^ Buckley (2004), pp. 49–50.
  8. ^ a b Chronicle, Evening (2009年2月6日). “Interview: Roxy Music's Paul Thompson”. 2013年2月27日閲覧。
  9. ^ Discogs”. 2024年2月17日閲覧。
  10. ^ Buckley (2004), pp. 148–149, 182–183.
  11. ^ Paul Thompson Biography”. Roxyrama.com. 2011年2月1日閲覧。
  12. ^ Discogs”. 2024年2月17日閲覧。
  13. ^ Discogs”. 2024年2月17日閲覧。
  14. ^ Buckley (2004), p. 201.
  15. ^ Discogs”. 2024年2月10日閲覧。
  16. ^ Buckley (2004), pp. 207–208.
  17. ^ Buckley (2004), pp. 215–216.
  18. ^ 城山隆『僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」』情報センター出版局|、2005年、422-428頁。ISBN 978-4795843622 
  19. ^ Buckley (2004), pp. 238–239.
  20. ^ Discogs”. 2024年2月17日閲覧。
  21. ^ 1989年から1994年まで。1991年から1993年までを除く。
  22. ^ Buckley (2004), p. 238.
  23. ^ Buckley (2004), pp. 285, 287.
  24. ^ Discogs”. 2024年2月17日閲覧。
  25. ^ Interview: Duran Duran drummer Roger Taylor”. www.journallive.co.uk. 2013年2月24日閲覧。

引用文献[編集]

  • Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. London: Andre Deutsch. ISBN 0-233-05113-9 

外部リンク[編集]