JODAN JODAN
「JODAN JODAN」 | ||||
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海援隊 の シングル | ||||
初出アルバム『倭人傳』 | ||||
B面 | 肩より低く頭をたれて | |||
リリース | ||||
規格 | EPレコード | |||
ジャンル | フォーク | |||
レーベル | ポリドール | |||
作詞・作曲 |
武田鉄矢(作詞) 木村昇(作曲) | |||
チャート最高順位 | ||||
海援隊 シングル 年表 | ||||
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「JODAN JODAN」(ジョーダン・ジョーダン)は1979年7月1日に発売された海援隊15作目のシングル。ポリドール移籍第5弾シングル。
概要
- 気まずい雰囲気を「冗談冗談」といって取り繕う男の悲哀を描いている。
- 付き合っていた女性を別の男に取られその結婚式で祝辞を述べる悔しさ(1番)
- 傲慢な態度の上司が退室したあと罵りの言葉を言うと上司がそこにいたという哀しさ(2番)
- 友人達との飲み会で自分がおごると言うと皆が帰ろうとし、あせって割り勘にする切なさ(3番)
制作経緯
- 西城秀樹のシングル「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」をテレビで2、3回観た武田鉄矢が振り付けに驚き[2]、「これは絶対ヒットするな」と思い[2]、人文字振り付けの部分をマネしようと考えていたら、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」と同じ、両手を使って「J」「O」「D」「A」「N」とアルファベットを一文字ずつ表現する振り付けを思いついた[2]。コミックソングだが絶対に抗議がこないよう事務所と打ち合わせながら制作した[2]。タイトルが「JODAN」だから許してもらえるんじゃないかという気持ちもあったという[2]。
- 武田は芸能界にいてマネされて嫌なことは充分認識しており[3]、西城と『月刊平凡』で対談の企画が持たれ、西城と初めて顔を合わせ[2]、「フリは可愛げがないことをやってると思うけど、自分らヒットなくてあせってるんだよ。まねするようなことしてすいません」と西城に謝った[3]。「贈る言葉」はこの次の曲であった。対談で西城は「バカうけでした。曲の構成も素晴らしくとても面白かったです」と伝え、武田はホッとしたという[3]。海援隊は当時臨時休業中と思われていため[3]、武田は「『JODAN JODAN』で海援隊はミエも外聞もかなぐり捨てて、歌い手に戻った」と話している[3]。『月刊セブンティーン』1979年11月号の武田のインタビューは『3年B組金八先生』の主役が決まったことを話しているが、まさか国民的ドラマになるとは思ってもみなかったようで、『3年B組金八先生』の話より「JODAN JODAN」や高倉健や二番目の子どもが生まれるという話の方が長い[3]。
- 本作リリースの3ヶ月後に放送を開始した武田主演ドラマ『3年B組金八先生』(第1シリーズ、TBS系)の第11話「母に捧げるバラード」(1980年1月4日放映)では、海援隊が同曲を演奏するシーンがある。
収録曲
- 全作詞 武田鉄矢
- JODAN JODAN
- 作曲・編曲 木村昇
- 肩より低く頭をたれて
- 映画『東京大空襲 ガラスのうさぎ』主題歌
- 「頭」は「こうべ」と読む。
収録アルバム
- 倭人傳 - 1979年12月1日リリース、2002年12月11日に紙ジャケット仕様で再発売[4]。
- このアルバムに収録されているものはアレンジ・テンポが異なる上、1番の歌詞も、先述の結婚式ではなく「女性に言い寄ろうとしてフラれかける男の弱さ」を描いたものとなっている。
- B面の「肩より低く頭をたれて」もボーカルトラックが別のもので、さらにストリングスが追加されたアルバムバージョンになっている。
エピソード
- お笑いコンビ、ジョーダンズ(2007年解散)のコンビ名の由来となった。メンバーの三又忠久(現・三又又三)は武田の物真似を得意としており、歌詞をアレンジした「J・O・D ためてー A・N!」のギャグを持ちネタにしている。
- フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』で同曲を歌唱した際(1回目)、曲の終盤で大量のカラーボールを投げ付けられ、武田が「何すんダッ!!」と絶叫した。2回目の歌唱時は、半袖開襟シャツ・ズボン・マントと白ずくめを衣装を着た武田が、イントロ部とアウトロ部でマントをたなびかせてジュディ・オングの「魅せられて」風の振り付けを見せた。