黒田重隆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒田重隆(くろだ しげたか、永正5年(1508年)- 永禄7年2月6日(1564年3月18日))は戦国時代の武将。黒田高政の子。黒田職隆、小寺高友、井手友氏、松井重孝の父であり、黒田孝高(如水・官兵衛)の祖父に当たる。官位は下野守。
若い頃は山陽地方随一の商業都市として繁栄していた備前の福岡(現在の岡山県長船町)に在住していたと伝わる。その後、姫路の広峯神社の神官と目薬を売ることで財を成し、播磨の国人になったという。はじめ竜野城主赤松政秀に仕えたが、ほどなく御着城主小寺政職に主を替え、重用され、姫路城の城代となった。その後、重隆によって姫路城の修築が行われたと考えられている(築城そのものを重隆が行ったという説もある)。
|
|||||||||||||||||