面白半分
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面白半分(おもしろはんぶん)
雑誌『面白半分』(おもしろはんぶん)は、佐藤嘉尚が1971年に興した株式会社面白半分が発行した月刊誌。初代の編集長に吉行淳之介を迎え、同年12月に創刊(1972年1月号)した。編集長は人気作家が(原則)半年毎に交代していた。
吉行淳之介が朝日新聞に掲載したエッセイの「『日本軽薄派』という雑誌を作ってみたい」という一文を見た佐藤が、吉行の協力を取り付けて、「面白くてタメにならない雑誌」として刊行。編集長は吉行の後、野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村良、田村隆一が交代で務めた。
野坂編集長時代に永井荷風作と言われる春本「四畳半襖の下張」を全文掲載し、わいせつ図書で摘発された。(四畳半襖の下張事件)
大日本肥満者連盟(大ピ連)結成でも話題となった。
1980年まで刊行されたが、9月~11月号が休刊となり、12月号「臨終号」が最後となった。
[編集] 各編集長時代
- 吉行淳之介
- 野坂昭如
- 開高健
- 対談「随時小酌」、コラム「トイレ探訪」「私の葬式」などを掲載。
- 五木寛之
- 藤本義一
- 金子光晴
- 井上ひさし
- 特集「テレビ、人間、…」「テレビお偉方身元調査」など、テレビに関する記事で特徴を出した。
- 遠藤周作
- 「神父さんの好奇心座談会」、講談「四畳半年増の色張」など掲載。
- 田辺聖子
- 匿名座談会「男性作家読むべからず」ただし出席者の佐藤愛子、中山あい子、田辺聖子は写真掲載していた。筒井康隆「腹立半分日記」連載開始。
- 筒井康隆
- クレージーな持ち味で人気が高まり、発行部数も増加。編集長も延期して1年間務めた。タモリの連載「ハナモゲラ語の思想」の原稿が締め切りに間に合わず、4ページ分が何も印刷されず真っ白のまま店頭に並んだ事がある。
- 半村良
- パロディー連作「南千家流」、特集「皇居再利用計画」「次期元号は"早稲田"(法政でも可)に決定」など。