開豊郡

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開豊郡
位置
DPRK2006 Hwangbuk-Kaepung.PNG
各種表記
ハングル 개풍군
漢字 開豐郡
発音 ケプン=グン
ローマ字転写 Kaep'ung-gun
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開豊郡(ケプンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国黄海北道に属する郡。開城の郊外で、漢江河口部に面する。

地理[編集]

黄海北道の南端に位置する。北から東にかけて開城市が隣接し、西には礼成江を隔てて黄海南道白川郡がある。

南は漢江河口を隔てて大韓民国統治下の仁川広域市江華郡である。

歴史[編集]

歴史的には京畿道に属する地域であった。1914年に豊徳郡と開城郡の一部が合併して開豊郡になる。

朝鮮戦争休戦後、北朝鮮の統治下に置かれた京畿道地域(開城市とその周辺)は「開城直轄市」に編成された。2003年、開城地区の中央政府直轄が解かれ、黄海北道に属した。

年表[編集]

  • 高句麗 - 貞州と呼ばれる。
  • 1018年 - 海豊郡が置かれる。
  • 李氏朝鮮 - 豊徳郡と改称される。
  • 1914年 - 開城郡が豊徳郡を編入。
  • 1930年 - 松都面が開城府に昇格し、開城郡を開豊郡に改称。
  • 1945年8月15日 - 米軍管理下に置かれる。ただし、嶺北面および嶺南面・北面の各一部はソ連軍管理下に置かれる。
  • 1945年11月 - ソ連軍管理下の嶺北面・嶺南面・北面(開豊郡の38度線以北の地域)が黄海道長豊郡に編入。ソ連軍管理下の開豊郡は消滅。
  • 1945年11月4日 - 米軍政の下で行政区画を調整。
    • 嶺南面が長湍郡津西面に編入。
    • 北面が土城面に編入。
  • 1952年12月 - 開豊郡を改編(1邑17里)、開城市に属した。
  • 1955年 - 板門郡とともに開城直轄市の一部となる。
  • 1961年3月 - 黄海北道金川郡の一部を編入。
  • 2002年11月 - 板門郡廃止に伴いその南半部を編入。
  • 2003年6月 - 開城直轄市が廃止され、長豊郡とともに黄海北道に編入される。

外部リンク[編集]