金野郡

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金野郡
位置
DPRK2006 Hamnam-Kumya.PNG
各種表記
ハングル 금야군
漢字 金野郡
発音 クミャ=グン
ローマ字転写 Kŭmya kun
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金野郡(クミャぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道の南部に位置する郡。

かつては永興郡(えいこうぐん/ヨンフンぐん)と呼ばれた。

地理[編集]

北は定平郡、北西に耀徳郡、南西に高原郡と隣接している。東は日本海海岸に位置し、南は虎島半島によって外海から隔てられた永興湾である。

耀徳郡に源を発する金野江が郡内に平野をひらき、永興湾に注いでいる。

歴史[編集]

現在の金野郡(旧・永興郡)の範囲は、北朝鮮によって1952年に再編成されたものがもとになっている。それまでの咸鏡南道永興郡の範囲は、現在の耀徳郡を含んでいた。永興郡が金野郡に改められたのは1977年である。

この一帯は古代の高句麗の地で、高麗に入ると和州が置かれて辺境防衛の要地となった。13世紀半ばにはモンゴル帝国の圧迫を受けるとこれに降り、モンゴルによって双城総管府が設置された。1356年、双城総管府が陥落して高麗が支配を回復し和州牧を置くが、このとき功績があったのが李子春とその子李成桂(のちの朝鮮王朝建国者)であった。

1393年に永興府が置かれ、一時は朝鮮東北地域を統治する観察使の役所も置かれた。

日本統治下では永興湾が要塞に指定され(永興湾要塞)、虎島に砲台が築かれた。

1952年、永興面・憶岐面・長興面全域と順寧面の主要部、鎮坪面・横川面・仁興面の各一部によって永興郡が再編された。

年表[編集]

出身者[編集]

外部リンク[編集]