定平郡
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| 定平郡 | |
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| 位置 |
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| 各種表記 | |
| ハングル: | 정평군 |
| 漢字: | 定平郡 |
| 発音: | チョンピョン=グン |
| ローマ字転写: | Chŏngp'yŏng kun |
定平郡(チョンピョンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道の南部に位置する郡。
目次 |
地理 [編集]
北に咸州郡、西に耀徳郡、南に金野郡と隣接している。東は日本海(東朝鮮湾)に面する。
東南部の平野(定平平野)は咸興平野に連なるが、総じて山がちな地形である。北西側には狼林山脈が走っており、最高峰は白山(ペクサン/노란봉、1834m)である。ほかにノランボン(노란봉、1734m)、剣山嶺(コムサンリョン/검산령、1131m)がある。
歴史 [編集]
古くは高句麗、ついで女真の領域であった。女真と高麗との間で争奪が行われ、983年には高麗によって千丁万戸府が置かれている。1041年には城郭と関門が築かれて定州防禦使が置かれ、元興・宣徳とともに北方辺境防衛の要衝となり、女真との境界となる千里長城の一部を構成した。その後モンゴル帝国の支配下に入るが、1356年に恭愍王が高麗による支配を回復し、都護府を置いた。朝鮮王朝には咸鏡道に属するが、太宗は、平安道の定州と区別するためにこの地を定平と改称した。1895年に定平郡となった。
1952年時点の定平郡は、5面216里から構成されていた。
1952年12月に行われた北朝鮮の行政区画再編により新上郡を分割、定平郡定平面・朱伊面・高山面、広徳面の一部、咸州郡の一部を併せた新たな定平郡(1邑27里)を構成した。
1974年1月には新上郡を廃止し、再び定平郡に統合した。
年表 [編集]
- 983年 - 千丁万戸府が置かれた。
- 1041年 - 定州防禦使が置かれた。
- 1356年 - 定州都護府が置かれた。
- 太宗代 - 定州が定平に改称された。
- 1895年 - 咸興府定平郡となる(二十三府制)
- 1896年 - 咸鏡南道定平郡となる。
- 1952年12月 - 定平郡を再編。
- 1974年1月 - 新上郡を廃止し、定平郡に編入した。
交通 [編集]
鉄道 [編集]
外部リンク [編集]
- (朝鮮語) 中央日報北韓ネット・北韓地名辞典 定平郡
- (朝鮮語) 咸鏡南道 (以北五道委員会)
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