邑久郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

邑久郡(おくぐん・おおくぐん・おおくのこおり・おくのこおり)は、かつて岡山県および備前国に存在したである。2004年に市町村合併により消滅している。2003年時のデータでは、人口39,365人、面積125.51 km²。

古くは大伯郡太伯郡とも表記されていた。

沿革[編集]

  • 1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法施行:郡役所は尾張村、後に合併し邑久村になる
  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制施行(20村)
    • 牛窓村・鹿忍村・長浜村 (牛窓町 → 瀬戸内市
    • 邑久村・福田村・今城村・本庄村・笠加村・玉津村・裳掛村 (邑久町 → 瀬戸内市)
    • 豊原村 (瀬戸内市及び岡山市東区
    • 美和村・国府村・行幸村 (長船町 → 瀬戸内市)
    • 幸島村・太伯村・豊村・朝日村 (西大寺市 → 岡山市東区
    • 大宮村(瀬戸内市及び岡山市東区)
    • 鶴山村 (備前市
  • 1896年(明治29年)2月26日 - 牛窓村が町制施行して牛窓町となった。(1町19村)
  • 1924年(大正13年)4月1日 - 鹿忍村が町制施行して鹿忍町となった。(2町18村)
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 邑久村・福田村・今城村・豊原村・本庄村・笠加村が合併して邑久町となった。(3町12村)
  • 1953年(昭和28年)2月1日 - 幸島村・太伯村・豊村・邑久町の一部・上道郡西大寺町・可知村・光政村・津田村・九蟠村・金田村・古都村が合併して西大寺市となった。(3町9村)
  • 1954年(昭和29年)
    • 1月1日 - 玉津村が邑久町に編入された。(3町8村)
    • 10月1日 
      • 大宮村の一部を西大寺市に編入
      • 牛窓町・鹿忍町・長浜村が合併して牛窓町となった。(2町7村)
  • 1955年(昭和30年)
    • 3月31日(3町3村)
      • 大宮村の一部を牛窓町に編入
      • 美和村・国府村・行幸村が合併して長船町となった。
      • 鶴山村・和気郡備前町・香登町・伊里町・鶴山村が合併して和気郡備前町となった。
    • 4月1日 朝日村が西大寺市に編入された。(3町2村)
  • 1956年(昭和31年)2月20日 - 大宮村が西大寺市に編入された。(3町1村)
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 裳掛村が邑久町に編入された。(3町)
  • 2004年(平成16年)10月31日まで以下3町が属していた。
  • 2004年(平成16年)11月1日 - 上記3町が合併し、「瀬戸内市」となったため消滅した。

郡域の変遷[編集]

明治22年6月1日 明治22年 - 昭和26年 昭和27年 昭和27年 - 昭和30年 昭和31年 - 昭和43年 昭和44年 - 昭和63年 平成1年 - 平成20年 現在 平成21年4月 -
幸島村 幸島村 幸島村 昭和28年2月1日
西大寺市
西大寺市 昭和44年2月18日
岡山市へ編入
岡山市 岡山市 平成21年4月1日
政令市に移行
岡山市東区
太伯村 太伯村 太伯村
豊村 豊村 豊村
邑久村 邑久村 昭和27年4月1日
邑久町
福田村 福田村 邑久町 邑久町 邑久町 平成16年11月1日
瀬戸内市
瀬戸内市 瀬戸内市
今城村 今城村
本庄村 本庄村
笠加村 笠加村
豊原村 豊原村
玉津村 玉津村 玉津村 昭和29年1月1日
邑久町へ編入
裳掛村 裳掛村 裳掛村 裳掛村 昭和33年4月1日
邑久町へ編入
美和村 美和村 美和村 昭和30年3月31日
長船町
長船町 長船町
国府村 国府村 国府村
行幸村 行幸村 行幸村
牛窓村 明治29年2月26日
牛窓町
牛窓町 昭和29年10月1日
牛窓町
牛窓町 牛窓町
鹿忍村 大正13年4月1日
鹿忍町
鹿忍町
長浜村 長浜村 長浜村
大宮村 大宮村 大宮村 昭和30年3月31日
牛窓町へ編入
大宮村 昭和31年2月20日
西大寺市へ編入
昭和44年2月18日
岡山市へ編入
岡山市 岡山市 平成21年4月1日
政令市に移行
岡山市東区
昭和29年10月1日
西大寺市へ編入
西大寺市
朝日村 朝日村 朝日村 昭和30年4月1日
西大寺市へ編入
鶴山村 鶴山村 鶴山村 昭和30年3月31日
和気郡
備前町
和気郡
備前町
昭和46年4月1日
備前市
備前市 備前市 備前市

古代 - 江戸時代[編集]

古くは吉井川中下流東岸から播磨国境と沖合の島嶼までを郡域としていた。和気郡は元は邑久郡の一部であり、養老5年(721年)に赤坂郡邑久郡両郡から割譲した地域を藤原郡とし、藤原郡が東野郡藤野郡)と名称を変え、延暦7年(788年)に吉井川以西を磐梨郡、以東を和気郡として分割した(続日本紀に記載)。

また吉井川はかつては現在よりも東寄りを流れていたが、洪水により流路が西寄りになったことで、元々川西で上東郡上道郡)であった福岡などが川東となり、邑久郡へ移管となった。

邑久郡西部の他、磐梨郡南部や赤坂郡南部、上道郡などの吉井川下流域一帯は、古代から中世の備前国の中心地域であった。邑久郡に一宮が鎮座しているのもその影響とされる。また、備前国府が邑久郡西部にあったとする説もある。

古くは「邑久」の他に「大伯」あるいは「太伯」等と書き「おおく」「おおはく」「おおあく」となどと呼ばれていた。明治の郡区町村編制法時に「おく」の呼称に統一された。

延喜式神名帳には、かつて備前国一宮であった大社の安仁神社の他、片山日子神社美和神社の3社が記載されている。

和名抄における郷[編集]

和名抄では以下の10郷が同郡に属している。

旧役所・郡衙等[編集]

参考文献[編集]

  • 永山卯三郎『岡山県通史 上巻』岡山県通史刊行会(1930年)
  • 永山卯三郎『岡山県通史 下巻』岡山県通史刊行会(1930年)
  • 池邊彌『和名類聚抄郷名考証』吉川弘文館(1966年)

関連項目[編集]