近藤満
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 山梨県南巨摩郡南部町[1] |
生年月日 | 1961年1月10日(63歳) |
身長 体重 |
184 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1982年 ドラフト4位 |
初出場 | 1983年6月22日 |
最終出場 | 1986年5月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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近藤 満(こんどう みつる、1961年1月10日 - )は、山梨県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]身延高から駒澤大学に進学。東都大学リーグでは2年時の1980年春季リーグで優勝を経験。続く大学選手権に近藤も登板したが、チームは決勝で明治大学に敗れ準優勝に留まる[1]。リーグ通算38試合に登板し13勝9敗、防御率1.72、108奪三振。大学同期に広瀬哲朗がいる。
1982年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け入団[1]。
1年目の1983年はウエスタン・リーグで最高勝率のタイトルに輝き、一軍でも18試合に登板[1]。しかし翌年以降は、故障もあって3年間で2試合の登板にとどまり、1986年限りで現役を引退[1]。打撃投手になった[1]。
その後は武蔵野生涯学習振興事業団に所属。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | 中日 | 18 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 133 | 32.0 | 33 | 5 | 8 | 1 | 0 | 14 | 0 | 0 | 14 | 12 | 3.38 | 1.43 |
1985 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 4 | 0.0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | ---- | ---- | |
1986 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 7 | 0.1 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 81.00 | 18.00 | |
通算:3年 | 20 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 144 | 32.1 | 41 | 7 | 10 | 1 | 0 | 14 | 0 | 0 | 23 | 19 | 5.29 | 1.58 |
記録
[編集]- 初登板:1983年6月22日、対読売ジャイアンツ13回戦(ナゴヤ球場)、4回2死から4番手で救援登板、2回1/3を1失点
- 初先発登板:1983年7月13日、対広島東洋カープ13回戦(ナゴヤ球場)、3回5失点(自責点3)で敗戦投手
背番号
[編集]- 21 (1983年 - 1986年)
- 91 (1987年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 近藤満 - NPB.jp 日本野球機構