甦れ! 俺の西鉄ライオンズ

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甦れ! 俺の西鉄ライオンズ
黒田武士シングル
B面 平和台おお騒ぎ -ライオンズ昭和54年-
リリース
ジャンル 歌謡曲
プロ野球応援歌
レーベル ミノルフォンレコード
作詞・作曲 中山大三郎
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甦れ! 俺の西鉄ライオンズ』(よみがえれ! おれのにしてつライオンズ)は、1978年6月1日ミノルフォンレコードから発売された黒田武士のシングル。規格品番はKA-1123。及び同シングルの収録曲。

概要[編集]

1950年に「西鉄クリッパース」として発足、あくる1951年に「西鉄ライオンズ」となって以後、パシフィック・リーグの強豪として君臨した福岡のライオンズだったが、いわゆる黒い霧事件の影響で、その黄金時代の輝きを取り戻すことができず、その後福岡野球への身売り(スポンサーとして太平洋クラブクラウンガスライター)を経験。値上げされた本拠地・平和台野球場福岡県福岡市)の使用料と観客の少なさに起因する資金不足が常態で引き続き低迷していた。

この楽曲は当時のライオンズ(球団名「クラウンライターライオンズ」)の状況を憂えた九州出身の中山大三郎が作詞・作曲を担当し、成績の低迷、度々変わる球団名、不安定な球団経営に対するファンの怒り、また往年の名選手を織り込んで歌にしている。その為、「返せ!返せ!ライオンズを返せ!!」というフレーズがあったり、「俺達の手でライオンズを取り戻そう。新しい名前は例えば九州ライオンズ」という建設的提言の節もあったりした。また、1958年の日本シリーズ(「巨人」=読売ジャイアンツを3連敗から逆転の4連勝して優勝した)の実況音源を入れている。

カップリング(B面)には「平和台おお騒ぎ〜ライオンズ昭和54年〜」という題名で「ライオンズが久々に優勝したら」という設定で(史実では埼玉移転初年度となった)「1979年のライオンズの活躍」を歌っている。同曲では間奏に合わせて「ライオンズ(先発・東尾修)がパ・リーグ優勝を賭けてプレーオフで阪急ブレーブスと戦い、本拠地・平和台球場にて開催された第5戦で立花義家が阪急のエース・山田久志からサヨナラホームランを放ち16年ぶりのリーグ優勝を決める」「日本シリーズセ・リーグ覇者の巨人相手に4連勝し、最後は平和台で永射保が胴上げ投手となって1958年以来21年ぶりの日本一に輝く」という架空実況がなされている[1]

結局1978年を最後に国土計画へ売却されて埼玉県へ移転したため、福岡のライオンズは28年の歴史に幕を下ろしたが、作詞・発表当時はまだ移転・売却が表面化していなかったため「移転反対」を意思表示する目的で書かれた曲ではなかった。

レコード発売に先立って、KBCラジオ『まずはラジオでおつかれさん』で放送されると、「現役選手に聞かせて奮起させろ」「聞いたバイ。胸の熱うなった。この歌を平和台球場に流して、球団、現役選手に喝を入れてくれ」等の声が同局に殺到したという(出典:西日本スポーツ・1978年5月9日、第1面)。

その後、同年秋に上記の身売りと埼玉移転が発表されたため、移転に対してこの曲の歌詞を重ね合わせて考えるファンもいた。

クラウンライターとして最後の試合となった1978年11月18日のシンシナティ・レッズ対クラウンライター・巨人連合(平和台球場)の試合後、別れを惜しむ福岡のライオンズファンがこの曲を合唱したが、この光景を目にしたレッズのスパーキー・アンダーソン監督は「葬送曲が流れている」と語ったという。[1][リンク切れ]

野球に関する音源のみで行うDJイベント『プロ野球 音の球宴』ではゲームセット直前に必ず歌われている。

収録曲[編集]

  1. 甦れ! 俺の西鉄ライオンズ
  2. 平和台おお騒ぎ -ライオンズ昭和54年-
    • 構成:中山大三郎とライオンズ狂団、アナウンス:諸岡青二

歌詞に登場する選手[編集]

脚注[編集]

  1. ^ なお実際にパ・リーグを優勝したのはライオンズ(西武)でも阪急でもなく近鉄バファローズ(リーグ初優勝・日本シリーズでは敗退)だった。またその対戦相手となったセ・リーグ優勝チームは巨人ではなく広島東洋カープ(日本シリーズで近鉄を破り初の日本一)だった。実際に福岡を本拠地とするプロ野球チームがリーグ優勝・日本一の座を手にするのはこの曲が発表されてから21年後の1999年福岡ダイエーホークス(旧・南海ホークス)が大阪から移転して以来パ・リーグ初優勝を決めて日本シリーズ中日ドラゴンズを破るまで待たねばならなかった。なお、歌詞に登場する立花は、1999年時点でダイエーの二軍打撃コーチを務めていた。

外部リンク[編集]