コンテンツにスキップ

「チャタレー事件」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
+Template:出典無効Template:精度。自費出版、かつ著者の川村一彦はウィキペディアからの剽窃を繰り返している人物。Wikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイト#川村一彦の著作物固定リンク)を参照
無効とされた出典を削除。「出典の明記」を記載。
22行目: 22行目:


== 概要 ==
== 概要 ==
[[File:Ito Sei and Oyama Hisajiro.JPG|thumb|200px|小山(左)と伊藤(右)]]
[[File:Ito Sei and Oyama Hisajiro.JPG|thumb|200px|小山(左)と伊藤(右)]]{{出典の明記| date = 2024年5月| section = 1}}
『チャタレイ夫人の恋人』には露骨な性的描写があったが、出版社社長も度を越えていることを理解しながらも出版した。[[6月26日]]、当該作品は押収され<ref name="iwanami80">[http://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=14340&query=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%95%B4 岩波書店株式会社『岩波書店八十年』(1996.12)]</ref>、[[7月8日]]、発禁となり<ref name="iwanami80">[http://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=14340&query=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%95%B4 岩波書店株式会社『岩波書店八十年』(1996.12)]</ref>、翻訳者の伊藤整と出版社社長は当該作品にはわいせつな描写があることを知りながら共謀して販売したとして、[[9月13日]]<ref name="iwanami80">[http://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=14340&query=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%95%B4 岩波書店株式会社『岩波書店八十年』(1996.12)]</ref>、刑法第175条違反で起訴された。第一審(東京地方裁判所昭和27年1月18日判決)では出版社社長小山久二郎を罰金25万円に処する有罪判決、伊藤を無罪としたが、第二審(東京高等裁判所昭和27年12月10日判決)では[[被告人]]小山久二郎を罰金25万円に、同伊藤整を罰金10万円に処する有罪判決とした。両名は[[上告]]したが、最高裁判所は昭和32年3月13日に上告を棄却し、有罪判決が確定した。
『チャタレイ夫人の恋人』には露骨な性的描写があったが、出版社社長も度を越えていることを理解しながらも出版した。[[6月26日]]、当該作品は押収され<ref name="iwanami80">[http://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=14340&query=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%95%B4 岩波書店株式会社『岩波書店八十年』(1996.12)]</ref>、[[7月8日]]、発禁となり<ref name="iwanami80">[http://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=14340&query=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%95%B4 岩波書店株式会社『岩波書店八十年』(1996.12)]</ref>、翻訳者の伊藤整と出版社社長は当該作品にはわいせつな描写があることを知りながら共謀して販売したとして、[[9月13日]]<ref name="iwanami80">[http://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=14340&query=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%95%B4 岩波書店株式会社『岩波書店八十年』(1996.12)]</ref>、刑法第175条違反で起訴された。第一審(東京地方裁判所昭和27年1月18日判決)では出版社社長小山久二郎を罰金25万円に処する有罪判決、伊藤を無罪としたが、第二審(東京高等裁判所昭和27年12月10日判決)では[[被告人]]小山久二郎を罰金25万円に、同伊藤整を罰金10万円に処する有罪判決とした。両名は[[上告]]したが、最高裁判所は昭和32年3月13日に上告を棄却し、有罪判決が確定した。


=== 弁護人について ===
=== 弁護人について ===
{{出典の明記| date = 2024年5月| section = 1}}
出典:<ref name=":0">{{Cite book |title=戦後日本回想・S25年 |url=https://books.google.co.jp/books?id=6OX4DwAAQBAJ&pg=PA59&lpg=PA59&dq=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%82%A4%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%81%8B%E4%BA%BA+%E7%BE%BD%E7%9F%A2%E8%AC%99%E4%B8%80%E3%80%80%E5%AE%8C%E8%A8%B3%E3%80%801973%E5%B9%B4&source=bl&ots=pcLk6VKZk5&sig=ACfU3U1TJnuw3JdIZWMe7_TEvB-zus67Vg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjTytvbvI6GAxXUgVYBHSwaCRo4FBDoAXoECAIQAw#v=onepage&q=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%82%A4%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%81%8B%E4%BA%BA%20%E7%BE%BD%E7%9F%A2%E8%AC%99%E4%B8%80%E3%80%80%E5%AE%8C%E8%A8%B3%E3%80%801973%E5%B9%B4&f=false |publisher=歴史研究会 |language=ja |last=川村一彦}}{{出典無効|date=2024年2月|title=自費出版、かつ著者の川村一彦はウィキペディアからの剽窃を繰り返している人物。&#91;&#91;Wikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイト#川村一彦の著作物&#93;&#93; https://w.wiki/7bw$ を参照。}}</ref>{{出典無効|date=2024年2月|title=自費出版、かつ著者の川村一彦はウィキペディアからの剽窃を繰り返している人物。&#91;&#91;Wikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイト#川村一彦の著作物&#93;&#93; https://w.wiki/7bw$ を参照。}}

被告人側の弁護人には、[[正木ひろし]]、後に[[最高裁判所裁判官]]となる[[環昌一]]らが付き、さらに[[特別弁護人]]として[[中島健蔵]]、[[福田恆存]]らが出廷して、論点についての無罪を主張した。
被告人側の弁護人には、[[正木ひろし]]、後に[[最高裁判所裁判官]]となる[[環昌一]]らが付き、さらに[[特別弁護人]]として[[中島健蔵]]、[[福田恆存]]らが出廷して、論点についての無罪を主張した。


=== 論点 ===
=== 論点 ===
出典:<ref name=":0" />{{出典無効|date=2024年2月|title=自費出版、かつ著者の川村一彦はウィキペディアからの剽窃を繰り返している人物。&#91;&#91;Wikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイト#川村一彦の著作物&#93;&#93; https://w.wiki/7bw$ を参照。}}
* [[わいせつ物頒布罪|わいせつ文書]]に対する規制(刑法175条)は、[[日本国憲法]][[日本国憲法第21条|第21条]]で保障する表現の自由に反しないか。
* [[わいせつ物頒布罪|わいせつ文書]]に対する規制(刑法175条)は、[[日本国憲法]][[日本国憲法第21条|第21条]]で保障する表現の自由に反しないか。
* 表現の自由は、[[公共の福祉]]によって制限できるか。
* 表現の自由は、[[公共の福祉]]によって制限できるか。


== 最高裁判決 ==
== 最高裁判決 ==
{{出典の明記| date = 2024年5月| section = 1}}
出典:<ref name=":0" />{{出典無効|date=2024年2月|title=自費出版、かつ著者の川村一彦はウィキペディアからの剽窃を繰り返している人物。&#91;&#91;Wikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイト#川村一彦の著作物&#93;&#93; https://w.wiki/7bw$ を参照。}}

[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]昭和32年3月13日大法廷判決は、以下の「'''わいせつの三要素'''」を示しつつ、「[[公共の福祉]]」の論を用いて上告を棄却した。
[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]昭和32年3月13日大法廷判決は、以下の「'''わいせつの三要素'''」を示しつつ、「[[公共の福祉]]」の論を用いて上告を棄却した。


47行目: 44行目:


=== 公共の福祉 ===
=== 公共の福祉 ===
{{出典の明記| date = 2024年5月| section = 1}}
「性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がないのであるから、本件訳書を猥褻文書と認めその出版を公共の福祉に違反するものとなした原判決は正当である。」
「性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がないのであるから、本件訳書を猥褻文書と認めその出版を公共の福祉に違反するものとなした原判決は正当である。」


53行目: 51行目:


=== 公共の福祉論について ===
=== 公共の福祉論について ===
{{出典の明記| date = 2024年5月| section = 1}}
公共の福祉論の援用が安易であることには批判が強い。公共の福祉は人権の合理的な制約理由として働くが、わいせつの規制を公共の福祉と捉える見方には懐疑論も強い。
公共の福祉論の援用が安易であることには批判が強い。公共の福祉は人権の合理的な制約理由として働くが、わいせつの規制を公共の福祉と捉える見方には懐疑論も強い。


== 補記 ==
== 補記 ==
{{出典の明記|date=2024年5月|section=1}}
* 出版された本のタイトルは『[[チャタレイ夫人の恋人|チャタレ'''イ'''夫人の恋人]]』だが、判決文では「チャタレ'''ー'''夫人の恋人」となっている。憲法学界における表記も「チャタレー事件」「チャタレイ事件」の2通りがある。
* 出版された本のタイトルは『[[チャタレイ夫人の恋人|チャタレ'''イ'''夫人の恋人]]』だが、判決文では「チャタレ'''ー'''夫人の恋人」となっている。憲法学界における表記も「チャタレー事件」「チャタレイ事件」の2通りがある。
* この裁判の結果、『チャタレイ夫人の恋人』は問題とされた部分に[[伏字]]を用いて[[1964年]]に出版された。具体的には該当部分を削除し、そこに[[アスタリスク]]マークを用いて削除の意を表した。[[1996年]]に[[新潮文庫]]で、伊藤の息子[[伊藤礼]]が削除部分を補った完全版を刊行した<ref>{{Cite book |title=戦後日本回想・S25年 |url=https://books.google.co.jp/books?id=6OX4DwAAQBAJ&pg=PA59&lpg=PA59&dq=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%82%A4%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%81%8B%E4%BA%BA+%E7%BE%BD%E7%9F%A2%E8%AC%99%E4%B8%80%E3%80%80%E5%AE%8C%E8%A8%B3%E3%80%801973%E5%B9%B4&source=bl&ots=pcLk6VKZk5&sig=ACfU3U1TJnuw3JdIZWMe7_TEvB-zus67Vg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjTytvbvI6GAxXUgVYBHSwaCRo4FBDoAXoECAIQAw#v=onepage&q=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%82%A4%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%81%8B%E4%BA%BA%20%E7%BE%BD%E7%9F%A2%E8%AC%99%E4%B8%80%E3%80%80%E5%AE%8C%E8%A8%B3%E3%80%801973%E5%B9%B4&f=false |publisher=歴史研究会 |language=ja |last=川村一彦}}{{出典無効|date=2024年2月|title=自費出版、かつ著者の川村一彦はウィキペディアからの剽窃を繰り返している人物。&#91;&#91;Wikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイト#川村一彦の著作物&#93;&#93; https://w.wiki/7bw$ を参照。}}</ref>{{出典無効|date=2024年2月|title=自費出版、かつ著者の川村一彦はウィキペディアからの剽窃を繰り返している人物。&#91;&#91;Wikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイト#川村一彦の著作物&#93;&#93; https://w.wiki/7bw$ を参照。}}
* この裁判の結果、『チャタレイ夫人の恋人』は問題とされた部分に[[伏字]]を用いて[[1964年]]に出版された。具体的には該当部分を削除し、そこに[[アスタリスク]]マークを用いて削除の意を表した。[[1996年]]に[[新潮文庫]]で、伊藤の息子[[伊藤礼]]が削除部分を補った完全版を刊行した。
* 伊藤は、当事者として体験ノンフィクション『裁判』を書いた。『チャタレイ夫人の恋人』は、1973年に[[羽矢謙一]]が講談社文庫で完訳を刊行した。
* 伊藤は、当事者として体験ノンフィクション『裁判』を書いた。『チャタレイ夫人の恋人』は、1973年に[[羽矢謙一]]が講談社文庫で完訳を刊行した<ref>{{Cite book |title=戦後日本回想・S25年 |url=https://books.google.co.jp/books?id=6OX4DwAAQBAJ&pg=PA59&lpg=PA59&dq=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%82%A4%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%81%8B%E4%BA%BA+%E7%BE%BD%E7%9F%A2%E8%AC%99%E4%B8%80%E3%80%80%E5%AE%8C%E8%A8%B3%E3%80%801973%E5%B9%B4&source=bl&ots=pcLk6VKZk5&sig=ACfU3U1TJnuw3JdIZWMe7_TEvB-zus67Vg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjTytvbvI6GAxXUgVYBHSwaCRo4FBDoAXoECAIQAw#v=onepage&q=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%82%A4%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%81%8B%E4%BA%BA%20%E7%BE%BD%E7%9F%A2%E8%AC%99%E4%B8%80%E3%80%80%E5%AE%8C%E8%A8%B3%E3%80%801973%E5%B9%B4&f=false |publisher=歴史研究会 |language=ja |last=川村一彦}}{{出典無効|date=2024年2月|title=自費出版、かつ著者の川村一彦はウィキペディアからの剽窃を繰り返している人物。&#91;&#91;Wikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイト#川村一彦の著作物&#93;&#93; https://w.wiki/7bw$ を参照。}}</ref>{{出典無効|date=2024年2月|title=自費出版、かつ著者の川村一彦はウィキペディアからの剽窃を繰り返している人物。&#91;&#91;Wikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイト#川村一彦の著作物&#93;&#93; https://w.wiki/7bw$ を参照。}}。
* [[宮本百合子]]は『「チャタレー夫人の恋人」の起訴につよく抗議する』を発表した<ref>[http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card3493.html 図書カード:No.3493][[青空文庫]]</ref>。
* [[宮本百合子]]は『「チャタレー夫人の恋人」の起訴につよく抗議する』を発表した<ref>[http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card3493.html 図書カード:No.3493][[青空文庫]]</ref>。
* [[1960年]]にはイギリスでも同旨の訴訟が起こっている。結果は[[陪審員]]の満場一致で無罪。[[2006年]]には訴訟の様子が[[ノンフィクション]]としてドラマ化された。イギリスでは無罪判決となったが、他の英語国であるアメリカ、カナダ、オーストラリア、インドでは発禁となった。
* [[1960年]]にはイギリスでも同旨の訴訟が起こっている。結果は[[陪審員]]の満場一致で無罪。[[2006年]]には訴訟の様子が[[ノンフィクション]]としてドラマ化された。イギリスでは無罪判決となったが、他の英語国であるアメリカ、カナダ、オーストラリア、インドでは発禁となった。

2024年5月15日 (水) 15:35時点における版

最高裁判所判例
事件名 猥褻文書販売被告事件
事件番号 昭和28(あ)1713
1957年昭和32年)3月13日
判例集 刑集11巻3号997頁
裁判要旨
  1. わいせつとは徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。
  2. 芸術作品であっても、それだけでわいせつ性を否定することはできない。
  3. わいせつ物頒布罪で被告人を処罰しても憲法21条に反しない。
  4. 第一審判決で無罪としたが、控訴審で右判決は法令の解釈を誤りひいては事実を誤認したものとして」これを破棄し、自ら何ら事実の取調をすることなく、訴訟記録及び第一審裁判所で取り調べた証拠のみによつて、直ちに被告事件について、犯罪事実を認定し有罪の判決をしたことが、刑訴法400条ただし書きに反しないとされた事例(4.については多数意見では触れていないが刑集には触れられている)
大法廷
裁判長 田中耕太郎
陪席裁判官 真野毅 小谷勝重 島保 齋藤悠輔 藤田八郎 河村又介 小林俊三 本村善太郎 入江俊郎 池田克 垂水克己
意見
多数意見 田中耕太郎 小谷勝重 島保 齋藤悠輔 藤田八郎 河村又介 小林俊三 本村善太郎 入江俊郎 池田克 垂水克己
意見 真野毅(1. - 3.について)
反対意見 真野毅(4.について)
参照法条
刑法175条、憲法21条
テンプレートを表示

チャタレー事件(チャタレーじけん)は、イギリス作家D・H・ローレンスの作品『チャタレイ夫人の恋人』を日本語に訳した作家伊藤整と、版元の小山書店社長小山久二郎に対して刑法第175条のわいせつ物頒布罪が問われた事件。日本国政府連合国軍最高司令官総司令部による検閲が行われていた占領下1951年昭和26年)に始まり[1]1957年(昭和32年)の上告棄却で終結した。わいせつ表現の自由の関係が問われた。

概要

小山(左)と伊藤(右)

『チャタレイ夫人の恋人』には露骨な性的描写があったが、出版社社長も度を越えていることを理解しながらも出版した。6月26日、当該作品は押収され[2]7月8日、発禁となり[2]、翻訳者の伊藤整と出版社社長は当該作品にはわいせつな描写があることを知りながら共謀して販売したとして、9月13日[2]、刑法第175条違反で起訴された。第一審(東京地方裁判所昭和27年1月18日判決)では出版社社長小山久二郎を罰金25万円に処する有罪判決、伊藤を無罪としたが、第二審(東京高等裁判所昭和27年12月10日判決)では被告人小山久二郎を罰金25万円に、同伊藤整を罰金10万円に処する有罪判決とした。両名は上告したが、最高裁判所は昭和32年3月13日に上告を棄却し、有罪判決が確定した。

弁護人について

被告人側の弁護人には、正木ひろし、後に最高裁判所裁判官となる環昌一らが付き、さらに特別弁護人として中島健蔵福田恆存らが出廷して、論点についての無罪を主張した。

論点

最高裁判決

最高裁判所昭和32年3月13日大法廷判決は、以下の「わいせつの三要素」を示しつつ、「公共の福祉」の論を用いて上告を棄却した。

わいせつの三要素

  1. 徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、
  2. 通常人の正常な性的羞恥心を害し
  3. 善良な性的道義観念に反するものをいう

(なお、これは最高裁判所昭和26年5月10日第一小法廷判決の提示した要件を踏襲したものである)

公共の福祉

「性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がないのであるから、本件訳書を猥褻文書と認めその出版を公共の福祉に違反するものとなした原判決は正当である。」

事件の意義

わいせつの意義が示されたことにより、後の裁判に影響を与えた。また、裁判所がわいせつの判断をなしうるとしたことは、同種の裁判の先例となった。国内だけでなく、東京でのこの裁判は、のちのイギリスやアメリカでの同種の裁判の先鞭となり、書籍や映画の販売促進に効果的な手段としてみなされ、利用されるようになった[1]

公共の福祉論について

公共の福祉論の援用が安易であることには批判が強い。公共の福祉は人権の合理的な制約理由として働くが、わいせつの規制を公共の福祉と捉える見方には懐疑論も強い。

補記

  • 出版された本のタイトルは『チャタレ夫人の恋人』だが、判決文では「チャタレ夫人の恋人」となっている。憲法学界における表記も「チャタレー事件」「チャタレイ事件」の2通りがある。
  • この裁判の結果、『チャタレイ夫人の恋人』は問題とされた部分に伏字を用いて1964年に出版された。具体的には該当部分を削除し、そこにアスタリスクマークを用いて削除の意を表した。1996年新潮文庫で、伊藤の息子伊藤礼が削除部分を補った完全版を刊行した。
  • 伊藤は、当事者として体験ノンフィクション『裁判』を書いた。『チャタレイ夫人の恋人』は、1973年に羽矢謙一が講談社文庫で完訳を刊行した。
  • 宮本百合子は『「チャタレー夫人の恋人」の起訴につよく抗議する』を発表した[3]
  • 1960年にはイギリスでも同旨の訴訟が起こっている。結果は陪審員の満場一致で無罪。2006年には訴訟の様子がノンフィクションとしてドラマ化された。イギリスでは無罪判決となったが、他の英語国であるアメリカ、カナダ、オーストラリア、インドでは発禁となった。
  • 2007年に「日本D・H・ロレンス協会」の会長を務めた倉持三郎が、彩流社で『「チャタレー夫人の恋人」裁判 日米英の比較』を刊行した。なお著者は2005年に集大成の形で『D・H・ローレンスの作品と時代背景』(彩流社)を刊行している。

参考文献

  • 阪本昌成「わいせつ文書の頒布禁止と表現の自由─チャタレイ事件」芦部信喜高橋和之長谷部恭男編『憲法判例百選I 第4版』(有斐閣、2000年)
  • 阪口正二郎「文学とわいせつ(1)─チャタレー事件」堀部政男・長谷部恭男編『メディア判例百選』(有斐閣、2005年)
  • 伊藤整『裁判』1958年(復刻版、晶文社, 1997年)- 伊藤の裁判メモをもとにしたドキュメンタリー小説。

脚注

関連事件

関連項目

外部リンク