熊野神社 (新宿区)

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熊野神社


拝殿

地図
所在地 東京都新宿区西新宿二丁目11番2号[1]
位置 北緯35度41分25.5秒 東経139度41分17.5秒 / 北緯35.690417度 東経139.688194度 / 35.690417; 139.688194座標: 北緯35度41分25.5秒 東経139度41分17.5秒 / 北緯35.690417度 東経139.688194度 / 35.690417; 139.688194
主祭神 櫛御気野神
伊邪那美神[1]
社格郷社
創建 応永年間[1]
別名 新宿十二社 十二社熊野神社 角筈十二社 など
例祭 9月
地図
熊野神社の位置(東京都区部内)
熊野神社
熊野神社
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熊野神社(くまのじんじゃ)は、東京都新宿区西新宿二丁目にある神社新宿総鎮守十二社熊野神社(じゅうにそうくまのじんじゃ)、新宿熊野神社(しんじゅくくまのじんじゃ)とも称される。

由緒[編集]

当神社は中野長者と呼ばれた室町時代紀州出身の商人鈴木九郎によって応永年間1394年 - 1428年)に創建されたものと伝えられている[2]。(天文永禄年間に当地の開拓を行った渡辺興兵衛という人物が祀ったという異説もあり)鈴木九郎は代々熊野神社神官を務めた鈴木氏の末裔で、現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓やの売買などで財を成し、人々から「中野長者」と呼ばれていた。鈴木九郎は当初自身のふるさとである熊野三山若一王子を祀ったところ、商売が成功し家運が上昇したので後に熊野三山から十二所権現をすべて祀るようになったのが始まりとされている。かつて存在した付近の地名「十二社」(じゅうにそう)はこれに因んでいる。この地名は現在でも通り(十二社通り)や温泉新宿十二社温泉)の名などに見られる。

かつては神社境内には大きな滝があり[4]、また隣接して十二社池と呼ばれていた大小ふたつのがあり、江戸時代には付近は江戸近郊の景勝地として知られていた。江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれていた[5]。江戸時代あたりから付近には茶屋や料亭などが立ち並びやがて花街となっていった。最盛期には茶屋や料亭が約100軒も並んでいたという。この賑わいは戦前まで続いていた。

その後明治時代に入り名が熊野神社となり、その後神社の滝や十二社池は淀橋浄水場の造成や付近の開拓により姿を消し景勝地としての様相は徐々に見られなくなっていった。しかし、熊野神社はその後付近が日本有数の高層ビル街と変貌した現在でも新宿一帯の守り神として人々から信仰を得ている。

祭神は櫛御気野大神(くしみけぬのおおかみ)伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)

角筈十二社(熊野神社)」 角筈十二社は、現在の西新宿四丁目あたりにあった。「大滝」と呼ばれた滝や大きな池があり、『名所江戸百景』などにも描かれたほど、江戸時代から遊興地として親しまれていた。明治以降は花柳界でも知られた場所で、池の周りは料亭や茶屋で賑わったが、その池も昭和43年(1968年)に埋め立てられてしまった。「大滝」の絵あり。「角筈十二社は近年夏季に至れば都下の納涼者群集し境内の池畔に数多の拭茶屋あり又崖上より落る殊に涼しく此池東京名物の一に撰みしもひゐき眼にはあらずと云爾」と朱書あり。薄い赤色の紙片には「角筈十二社櫻山際」と記されている。 — 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「角筈十二社(熊野神社)」より抜粋[6]

文化財[編集]

広重「名所江戸百景」に描かれた熊野十二社。十二社池が描かれている

祭事[編集]

氏子地域[編集]

  • 新宿区西新宿一丁目 - 五丁目(各全域)、六丁目11~26
  • 新宿区歌舞伎町一丁目(1番=新宿ゴールデン街一帯を除く)
  • 新宿区新宿三丁目(15・17番の各一部、18番から29番、31番の一部、33番から38番…旧角筈一丁目)

交通アクセス[編集]

周辺施設など[編集]

ギャラリー[編集]

参考資料[編集]

参考文献

公式発行物

関連文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 東京都神社庁.
  2. ^ 江戸名所図会 1927, p. 485.
  3. ^ 江戸名所図会 1927, p. 484.
  4. ^ 江戸名所図会』熊野瀧[3]
  5. ^ 江戸名所図会 1927, pp. 482–483.
  6. ^ 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「角筈十二社(熊野神社)」国立国会図書館蔵書、2018年2月10日閲覧
  7. ^ 京王バス:(新宿駅西口 - 渋谷駅・永福町・佼成会聖堂前・中野車庫行)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]