淀江町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
淀江町
廃止日 2005年3月30日
廃止理由 新設合併
米子市、淀江町米子市
現在の自治体 米子市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
中国・四国地方
都道府県 鳥取県
西伯郡
団体コード 31385
面積 25.74km²
総人口 9,056
(2005年2月1日)
隣接自治体 鳥取県:米子市、西伯郡大山町
町の木 モクセイ
町の花 ツツジ
淀江町役場
所在地 689-3492
鳥取県西伯郡淀江町大字西原1129番地1
特記事項 町役場は米子市役所淀江支所になっている。現在、電話番号は変更されている。
 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト

淀江町(よどえちょう)は、鳥取県西伯郡にあった地方自治体役場は大字西原に所在した。2005年3月31日に、米子市新設合併し、(新)米子市となった。合併前の面積は25.74m²、人口は9,000人余り。

明治22年(1889年)、町制施行。昭和30年(1955年)に、宇田川村(うだがわ)・大和村(やまと)の2村と高麗村(こうれい)から分村した今津を合併した。(高麗村の残部は所子村と合併して大山町を新設)「水と緑と史跡のまち」のキャッチフレーズのとおり、大山を背景に日本海を眼前に望む自然、そして妻木晩田遺跡向山古墳群上淀廃寺跡、国の重要文化財石馬」など、遺跡文化財の豊かな地域である。

「淀江」の名は、縄文時代以来、淀江平野に潟湖が発達し「よどんだ入江」から来ていると言われ、古くは「大山寺縁起」に見られる。中世には海岸線を東西に走る山陰道と、南の日野郡へ向かう交通路の交点で、さらには湊(みなと)としての利用もされたと言われ、西伯耆の要衝として発展した。江戸時代享保年間以降は特に港町、また藩倉所在地として栄え、幕末には淀江台場も築かれた。明治時代中頃以降、和傘の生産が盛んとなった。

史料[編集]

西伯郡の大地主[編集]

明治35年(1902年)2月の『鳥取県伯耆国一円地価所得税詳覧』によって、米子町を含む西伯郡地価一万円以上の大地主をみると以下のとおりである。彼等は当時の経済的実力者で、その多くは、質屋を営み、銀行に投資し、商業に従事し、あるいは各種会社の役員を兼ねるなど多面的な経済活動をしていた。[1]

米子・坂口平兵衛(七万二千八百一円)
三好栄太郎(五万六千二百六円)
名島嘉吉郎(四万七千六百七十七円)
益尾吉太郎(四万七千七百五十四円)
所子・門脇篤慶(三万六千八百十八円)
米子・松村吉太郎(三万六千百四十六円)
所子・門脇元右ェ門(三万三千七百一円)
日吉津・石原以波保(二万八千六百八十八円)
大幡・仲田兵一郎(二万七千六百七十八円)
米子・木村吉兵衛(二万四千五百九十六円)
大高・船越弥一郎(二万千三百三円)
渡・庄司廉(一万九千九百四十六円)
福米・本生芳三郎(一万八千二百二十一円)
逢坂・橋井富三郎(一万五千七百八十六円)
天津・植田豊三郎(一万五千七百八十六円)
米子・野坂茂三郎(一万五千七十八円)
御来屋・中川藤吉(一万四千百四十三円)
淀江吹野三右ェ門(一万二千九百二十円)
米子・益尾徳次郎(一万二千二百三十九円)
富益・永見億次郎(一万千八百二十円)
米子・大谷房太郎(一万千六百二十六円)
・荒木徳三郎(一万千二百七十八円)
庄内・国谷享(一万千九百円)
米子・杵村善市(一万千四十一円)
近藤ナオ(一万九百九十円)
法勝寺・千代清蔵(一万八百八円)
淀江泉頭宇三郎(一万七百五十二円)
大幡・矢田貝平重(一万六百十五円)
大山・椎木多四郎(一万九十八円)
賀野・岡田平次郎(一万二千九百二十円)

出身人物[編集]

  • 石橋弘(実業家、政治家) - 元石橋造船鉄工所代表取締役。元境港市議会議員。旧姓松井。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『米子商業史』118頁

関連項目[編集]