昭和のいる・こいる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭和のいる・こいるしょうわ -)は、昭和のいると、昭和こいるの2人による漫才コンビである。略称は「のいこい」。漫才協会落語協会所属、10代目鈴々舎馬風ファミリーである。

目次

[編集] メンバー

[編集] 昭和 のいる

昭和 のいる1942年7月23日 - )は、突っ込み担当。石川県石川郡吉野谷村(現・白山市)出身。本名は、岡田 弘(おかだ ひろし)。立ち位置は右側。実家は大工の棟梁。国士舘大学卒業(大学入学前は地元で代用教員をしていた)。眼鏡を掛けている。漫才協会副会長。

[編集] 昭和 こいる

昭和 こいる1944年1月26日 - )は、ボケ担当。群馬県伊勢崎市出身。本名は、庄田 太一(しょうだ たいち)。立ち位置は左側。実家は裕福な化粧品屋。幼少期の頃から歌が好きで小学生時代にNHKの「子供のど自慢」に出演歴あり。日本大学芸術学部音楽科中退(同期に井上大輔)。頭髪が少なくなったが、昔からリーゼント頭。顔がジョージ・ウォーカー・ブッシュに似ている。漫才協会理事。 以前は地元の伊勢崎市に「もしもし」という居酒屋を経営していたが面倒になって閉店。

[編集] 来歴

  • 学生時代のアルバイト先であった歌声喫茶で出会う。二人はその店で司会進行を務め、やりとりが面白いということで漫才師の道を勧められる。程なくして獅子てんや・瀬戸わんやを紹介され師事、1966年4月に「花園のいる・こいる」の名前でデビューを果たす。
  • この1966年当時は「演芸ブーム」の真っ只中。Wけんじの全盛期で東京漫才も上方に負けない勢いがあった頃である。同期にコント55号横山やすし西川きよし等がいた。その後、若手連で研究会を結成。当時のメンバーで残っているのはのいる・こいるの他はあした順子・ひろしのみ。
  • 当初の芸名「花園のいる・こいる」が「女性漫才によく間違われる」ということで、一時は師匠の名前をもらい「獅子のびる・瀬戸こえる」に改名。だが、のえるが急性肝炎となり「この名前は縁起が悪い」ということで、師匠たちと交友が厚かった三橋美智也の提案で現在の芸名に改名。
  • 1975年以降は賞レースにも参加しダークホースと注目される。当時は三味線漫才のさがみ三太・良太と毒舌漫才のツービートがライバルと見なされていた。
  • 1984年真打昇進。
  • 以降は一部で評価はされつつもこれと言った人気も出ないままベテラン芸人となっていったが、2000年頃突然幾つかのバラエティ番組で取り上げられ、ブレイク。2006年現在、東京のベテラン漫才コンビの中では唯一と言って良いほどあらゆる年齢層に認知されている。

[編集] 芸風・評価

  • のいるの話を、こいるが面倒臭さそうに無気力に流す。困惑するのいるに対し、捕まえ所の無いこいるは一貫して人を嘲け笑う様な笑みを見せ、「良かった良かった良かった」、「分かった分かった分かった」、「しょうがねしょうがね」、「はいはいはいはい」、「へいへいへいへい」、「ほうほうほうほう」、「はいはいはいはいはいはい。そうだよな、しょーがねーや。はいはいはいはいはいはいはいはい。良かった良かった良かった。うん良かったな。え?良くないって?良くないってさ。ほーほーほーほーほーまぁどっちでもいいや。な?な?な?な?、しょうがねーしょうがねーしょうがねーやー。そうそうそうそうそうそうそう、あるあるあるあるあるあるある。はいはいはいはい。そうそうそうそう謝っちゃえばいいや。はいはいはいはい。だめだだめだだめだだめだ、しょーがねーしょーがねーしょーがねーやー。良かった良かった良かった良かった。うれしいうれしいうれしい、なんだっていいよな。まあそんなもんだそんなもんだ、しょーがねーしょーがねーしょーがねーやー。関係ねー関係ねー関係ねー。」等のギャグを、甲高い声で早口で捲くし立てる。
  • 十八番のネタは「民謡教室」。民謡を朗々と歌うのいるに対し、「分かっちゃいないな」などとケチを付け、こいるが取って代わると何故か細切れ(「ー(伸ばす音)」をすべてハ行で発音する。【例】クーラー⇒クふラは)になって歌い出すというものである。
  • 彼らの芸風について、一部のお笑いファンからは”漫才とは言い難い””二人の話が全く噛み合っていない、片方が話をするものの、一方が適当な相づちを入れるだけで、全く聞く耳を持たずに一方通行的に喋りまくっているだけ”といった批判的な意見も多い。もっともこれについては、ある意味掟破りとも言えるオンリーワン的スタイルを完成させている点を評価するか否かで二分されるものであり、主に”関西風の漫才を愛する人”の中からは、彼らのネタは「漫才ではない」という風に受け取られることも事実である。
  • 東京の若手芸人が漫才からおもにコントへ移行した中で、のいるこいるの漫才は異彩を放っている。

[編集] 備考

  • 女性ピン芸人の鳥居みゆきは中学生の時に彼らのネタを寄席で初めて見て感動したという。その時点で将来芸人になる事は考えていなかったが、表現者になりたいと思わせてくれたコンビだと語っている[1]

[編集] 受賞歴

  • 1976年 - NHK漫才コンクール最優秀賞。
  • 1977年 - 国立演芸場花形新人賞銀獅子賞。
  • 2001年- 浅草芸能大賞奨励賞。

[編集] CD・レコード

[編集] DVD

[編集] 出演番組

[編集] 映画出演

[編集] 脚注

  1. ^ 2006年5月号「お笑いポポロ」(麻布台出版社

[編集] 外部リンク