後藤宙外
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後藤 宙外(ごとう ちゅうがい、1866年12月23日 - 1938年6月12日)は、明治後期から昭和初期に活躍した小説家、評論家。本名寅之助。
目次 |
[編集] 概要
1866年12月23日、秋田県仙北郡払田村(現在の大仙市払田)で生まれる。1880年、兄と上京するが、すぐに帰郷。1889年再上京し、東京専門学校(現早稲田大学)修英語科に入学。その後文学科に転じ、1894年卒業。1895年、「早稲田文学」に「ありのすさび」を発表する。1897年に島村抱月、小杉天外、水谷不倒、伊原青々園と共に、「丁酉文社(ていゆうぶんしゃ)」を結成。1900年、「春陽堂」に入社。秋田時事社長、六郷町長を務め、払田柵跡の発掘はよく知られており、1929年から翌年にかけて『仙北郡高梨村拂田柵址略図』を作成した。文学者としては、自然主義に強く反発した。
[編集] 代表作
- ありのすさび
- 闇のうつゝ
- 腐肉団
- 思ひざめ
- 新機軸
- 非自然主義
- 明治文壇回顧録


