伊号第三七潜水艦
伊号第三七潜水艦は大日本帝国海軍の伊一五型潜水艦の一隻。第四次海軍補充計画によって建造が決定され、呉海軍工廠で起工。1943年3月10日に竣工した。太平洋戦争で戦没。
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[編集] 戦歴
就役後6月8日からインド洋において通商破壊任務に従事し、輸送船やタンカーなど7隻を撃沈している。この際、撃沈した船の乗務員に対して銃撃を行った。これは第八潜水戦隊司令部より「艦船を撃沈して生じた捕虜はすべて処刑すべし」という命令が出ていたからである[1]。また偵察任務のためアフリカ東岸のモンサバ港まで進出した[2]。印度洋の通商破壊作戦で大戦果を挙げた有名な艦として、戦時中の記録映画「轟沈」にも登場している。1944年に入って機雷に接触して損傷を負ったため、修理のため活動を休止した。その後、回天作戦を行うことになる。
[編集] 沈没
伊三七潜の最後は以下のとおりである。 1944年11月8日大津島基地を出撃した菊水隊の母艦潜水艦の一隻として回天4基を搭載して、パラオ諸島のコッソル海域水道に停泊中の敵艦隊を目指して出撃した。回天の最初の作戦であるウルシー泊地攻撃「菊水隊作戦」が11月20日決行されることになっていた。11月19日朝、伊三七潜はパラオ本島北方で浮上潜行を繰りかえしているところを防潜網展開中の設網艦ウインターベリーに08時58分に発見された。通報により米護衛駆逐艦「コンクリン(Conklin)」・「マッコイ・レイノルズ(McCoy Reynolds)」は10時55分現場付近に到着。両艦はソナーで探索を開始、午後も捜索を続け15時04分コンクリンが探知し、マッコイ・レイノルズが15時39分にヘッジホッグを2回発射し,13発の爆雷攻撃を行ったが効果なく、目標を見失った。16時15分コンクリンが再度探知し攻撃、ヘッジホッグを発射し、小さい爆発音(命中音?)らしきもの1を探知。続くヘッジホッグ2回と艦尾からの1回の爆雷攻撃には反応がなかった。しかし、マッコイ・レイノルズが再度爆雷攻撃を行ったところ、17時01分に海面にまで達する連続した水中爆発を認めた。以後反応無く、撃沈と判定された。
その後,米駆逐艦は海面に浮き上った木材その他の断片を多数揚収したため、通常の沈没ではなく、潜水艦内部での爆発が原因と推理している。伊三七潜は搭載した新兵器の回天を隠匿するために自爆を選んだ可能性もある。 伊三七潜の乗員と隊員は総員戦死。1945年3月10日、戦没認定され除籍。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 高橋一雄『神龍特別攻撃隊 潜水空母搭載「晴嵐」操縦員の手記』(光人社、2001年) ISBN 4-7698-1015-6
1943年12月~1944年8月まで伊三七潜水艦水上偵察機搭乗員。
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