アンツィラナナ
アンツィラナナ(Antsiranana)とは、マダガスカルの北端に位置する都市。1975年まではディエゴ・スアレス(Diego-Suárez)と呼ばれていた。アンツィラナナはアンツィラナナ自治州、およびダイアナ(Diana)地域圏の首府である。
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[編集] 交通
アンツィラナナは天然の良港を持つが、マダガスカルの主要地域から離れていること、最近まで南部への道路網が整備されていなかったことから、物流拠点としては重要視されなくなっている。
[編集] 歴史
旧名のディエゴ・スアレスとは、ここを訪れたポルトガルの航海者ディエゴ・スアレスにちなんで命名された[要出典]。
1880年代にはいると、アンツィラナナの湾部は、蒸気船の給炭地を設けようとするフランスに狙われることとなった。フランスと当時マダガスカルを支配していたメリナ王国との最初の戦い(the first Franco-Hova War)の後、1885年12月17日に、メリナ王国の女王ラナバロナ3世は ノシ・ベ島、セントメリー島とともに、アンツィラナナとその周辺部をフランスの保護領とする条約に調印した。なお、これらの地域は1896年に他のフランス領マダガスカル植民地に包括された。
日露戦争の際には、日本に向かう途中のバルチック艦隊がアンツィラナナに停泊して補給を行っている。
アンツィラナナは、1942年の連合国軍によるマダガスカル占領の際の目標の一つともなった。日本が前年(1941年)にフランス領インドシナでそうしたように、ヴィシー政権に圧力をかけ、マダガスカルの使用権を譲らせる恐れがあったのである。このためマダガスカル占領が開始された。アンツィラナナは最上級の港湾を持ち、重要な公的機関が位置しているという事実のため初期の侵攻目標となった。また、日本の特殊潜航艇によるイギリス艦隊攻撃の舞台ともなったうえ、日本軍の偵察兵が上陸している(詳細はマダガスカルの戦いを参照)。
フランスは、1960年のマダガスカル独立以降もアンツィラナナを軍事基地としており、それは1973年にマダガスカルに社会主義革命が起こるまで続いた。
[編集] 切手
切手についてはディエゴ・スアレスの切手(en)を参照のこと