仙台市交通局モハ43形電車

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仙台市電気水道局電車事業所モハ43形電車
仙台市交通局モハ43形電車
基本情報
運用者 仙台市電気水道局電車事業所→仙台市電気水道局事業部電車課→仙台市電気水道局事業部交通課電車事業所→仙台市交通局
製造所 梅鉢鉄工所
製造年 1938年
製造数 3両(43 - 45)
廃車 1965年
投入先 仙台市電
主要諸元
編成 2軸車(単車)
軌間 1,067mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
車両定員 40人(着席18人)
車両重量 8.5 t
全長 8,160 mm
全幅 2,200 mm
全高 3,810 mm
車体 半鋼製
台車 梅鉢 ブリル21E形
車輪径 760 mm
固定軸距 2,134 mm
主電動機 三菱 MB-74AR
主電動機出力 18.7 kw
駆動方式 吊り掛け駆動方式
歯車比 5.85(89:13)
出力 37.4 kw
定格速度 25.5 km/h
定格引張力 570 kg/h
制御方式 直接制御、直並列組合せ制御
制御装置 三菱 MR-8
制動装置 空気ブレーキ発電ブレーキ手ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3][4][5][6]に基づく。
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モハ43形(モハ43がた)は、かつて仙台市仙台市交通局)が運営していた路面電車仙台市電で使用されていた電車である[1][2][3]

概要・運用[編集]

大阪府堺市に工場を有していた梅鉢鉄工所(→帝國車輛工業)で製造された、半鋼製の車体を有する電車。それまで仙台市電に導入されていた電車と同様の2軸車であったが車体デザインは大幅に変更され、当時世界的に流行していた流線形を取り入れた前面形状を有していた。屋根は雨樋が天井部に設置された張り上げ屋根と呼ばれる構造を用いた[1][2][3][4][6][7]

1938年に3両が製造され、同年代に進んでいた路線延伸による列車本数増加に対応した。だが、直後の第二次世界大戦期の戦時体制によって梅鉢鉄工所は資材不足に陥り、それ以上の製造は不可能となった。そのため、以降は1948年まで仙台市電は東京市電(→都電)を始めとする各都市からの車両譲渡によって利用客の増加や車両不足に対処する事となった。戦時中は仙台市も空襲に遭い甚大な被害を受けたものの、43形を含めた市電の車両は1両も戦災に巻き込まれず、戦後も引き続き各系統で使用され続けた。製造当初の集電装置はポールであったが戦後はビューゲルに交換され、屋根の中央部に1基設置された[注釈 1]1965年に3両とも廃車され、長町車庫で解体が行われたため2020年時点の現存車両は存在しない[1][2][3][5][8][9][10]

注文流れ車両[編集]

製造メーカーの梅鉢鉄工所では、終戦後に仙台市電が43形の同型車両を導入する事を想定し、同型車両を3両完成させていたが、財政難のため仙台市による受け取りが行われず、注文流れ品となった。その後これらの車両は1946年に仙台市電と接続していた秋保電気鉄道に導入され、マハ8、10、11の車両番号で使用された。ただしマハ11については翌1947年愛媛県松山市路面電車松山市内線)を有する伊予鉄道に譲渡されている[1][2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ビューゲルへの交換初期はポールとの併設が行われていた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 宮松丈夫 2007, p. 14-15.
  2. ^ a b c d e 宮松丈夫 1976, p. 84.
  3. ^ a b c d 柏木璋一 1976, p. 79.
  4. ^ a b 朝日新聞社「日本の路面電車諸元表(旅客車のみ)」『世界の鉄道 昭和39年版』1963年、170-171頁。 
  5. ^ a b 仙台市交通局『昭和史とともに 仙台市電―その50年』宝文堂、仙台市、1976年5月10日。 
  6. ^ a b 江本廣一; 和久田康雄 (2013-2-28). “仙台市交通局”. 路面電車の記憶 昭和20年代・30年代のアルバム. 彩流社. pp. 11-13. ISBN 978-4779117190 
  7. ^ 8:金属加工技術を受け継ぎ発達した産業 ~ 堺”. 三井住友トラスト不動産. 2020年7月23日閲覧。
  8. ^ 宮松丈夫 1976, p. 85.
  9. ^ 柏木璋一 1976, p. 80.
  10. ^ 亀谷英輝 1966, p. 35.

参考資料[編集]

  • 宮松丈夫『仙台市電』ネコ・パブリッシング〈RM LIBRARY 90〉、2007年2月1日。ISBN 978-4-7770-5193-9 
  • 亀谷英輝「仙台市電の現況と当面の課題」『鉄道ファン』第6巻第5号、交友社、1966年5月1日、32-35頁。 
  • 柏木璋一「仙台市電ものがたり」『鉄道ファン』第16巻第7号、交友社、1976年7月1日、78-82頁。 
  • 宮松丈夫「仙台市電思い出アルバム」『鉄道ファン』第16巻第7号、交友社、1976年7月1日、83-86頁。