ヴィリアーズ家
ヴィリアーズ家(英語: Villiers family)は、イギリスの貴族の家系。
ヴィリアーズの他[1]、ヴィリヤーズ[2]、ヴィラーズ[3]、ヴィリアールズ[4]とも表記される。
歴史
[編集]ヴィリアーズ家は名前に示されるごとくフランス系の中産階級だった[2]。
レスターシャーのハイ・シェリフを務めた地主ジョージ・ヴィリアーズ(1544頃-1606)の同名の四男ジョージ・ヴィリアーズ(1592-1628)はイングランド史に名を残す政治家の一人である。彼はステュアート朝の初代国王ジェームズ1世の宮廷で急速に昇進し、1616年8月27日に「ヴィリアーズ子爵(Viscount Villiers)」及び「バックス州におけるワッドンのワッドン男爵(Baron Whaddon of Whaddon, in the County of Bucks)」、1617年1月5日に「バッキンガム伯爵(Earl of Buckingham)」、1618年1月1日に「バッキンガム侯爵(Marquess of Buckingham)」、1623年5月18日に「バッキンガム公爵(Duke of Buckingham)」と「コヴェントリー伯爵(Earl of Coventry)」に叙せられた(すべてイングランド貴族爵位)[5]。チャールズ1世の宮廷でも権力を握り続け、強硬なプロテスタント(ピューリタン)が多数を占める議会に支えられて三十年戦争でスペインやフランスとの戦争を指揮したが、芳しくない戦況と財政から批判されるようになり、1628年3月には「権利の請願」を裁可して議会の懐柔を図ったが、同年8月に暗殺された[6]。バッキンガム公爵位はその子ジョージ(1628-1687)に引き継がれたが、彼に子供がなかったため上記のバッキンガム公爵以下6つの爵位は2代で絶えた[7]。
一方1619年7月19日には初代バッキンガム公の異母長兄ウィリアム(1575頃-1629)が準男爵[8]、同母兄ジョン(1591頃-1658)がイングランド貴族「パーベック子爵(Viscount Purbeck)」と「バッキンガム州におけるストック男爵(Baron Stoke, in the County of Buckingham)」に叙された[9]。1623年4月18日には同母弟クリストファー(1593頃-1630)も「ウェールズにおけるアングルシー伯爵」に叙されている[10]。しかしこれらの称号・爵位も子孫が途絶えたために消滅している[11][12]。
初代バッキンガム公の異母次兄エドワード(1585頃-1626)の家系のみが現在まで続いている。このエドワードはアイルランド貴族初代グランディソン子爵オリバー・シンジョンの姪バーバラと結婚したため、その間の子らは女系継承で「リメリックのグランディソン子爵(Viscount Grandison of Limerick)」位を継承した[13]。ウィリアム(1614-1643)、ジョン(-1661頃)、ジョージ(1617頃-1699)と兄弟順の相続が続き、ジョージの孫に当たる5代グランディソン子爵ジョン(1684頃-1766)は1721年9月11日にアイルランド貴族「リートリム県のグランディソン伯爵(Earl Grandison, of County Leitrim)」に叙されたが、同伯爵位は一代で絶えている(グランディソン子爵位は後述するジャージー伯爵家が継承)[14][15]。ただし、ウィリアムの娘バーバラ・パーマーはチャールズ2世の愛人となりクリーヴランド公爵に叙せられ、バーバラとチャールズ2世の庶子チャールズ・フィッツロイとヘンリー・フィッツロイ兄弟はそれぞれクリーヴランド公、グラフトン公に叙せられ、クリーヴランド公家は途絶えたがグラフトン公家が現在まで続いている[16]。
エドワードの末子エドワード(1620-1689)の子エドワード(1656-1711)は、1691年3月20日にイングランド貴族爵位「ケント州におけるダートフォードのヴィリアーズ子爵(Viscount Villiers, of Dartford in the County of Kent)」と「ケント州におけるホーのヴィリアーズ男爵(Baron Villiers, of Hoo in the County of Kent)」に叙せられ、ついで1697年10月13日にイングランド貴族「ジャージー伯爵(ジャージー島伯爵)(Earl of the Island of Jersey)」に叙せられた[17][18]。
3代ジャージー伯爵ウィリアム(-1769)の弟にあたるトマス(1709-1786)は外交官としての功績から1756年6月3日に兄とは別にグレートブリテン貴族「ウィルトシャー州におけるヒンドンのハイド男爵(Baron Hyde of Hindon in the County of Wiltshire)」に叙されて貴族院議員となり、ホイッグ党の政治家として閣僚職を歴任し、1776年6月14日にはグレートブリテン貴族「クラレンドン伯爵」に叙されている[19][20]。
このジャージー伯爵家とクラレンドン伯爵家が2015年現在まで存続している。
系図
[編集]ジョージ (1544頃-1606) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代準男爵 ウィリアム (1575頃-1629) | エドワード (1585頃-1626) | 初代パーベック子爵 ジョン (1591頃-1658) | 初代バッキンガム公 ジョージ (1592-1628) | 初代アングルシー伯 クリストファー (1593頃-1630) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代準男爵 ジョージ (1620-1682) | 2代バッキンガム公 ジョージ (1628-1687) | 2代アングルシー伯 チャールズ (1627-1661) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代準男爵 ウィリアム (1645-1712) | 2代グランディソン子爵 ウィリアム (1614-1643) | 3代グランディソン子爵 ジョン (-1661頃) | 4代グランディソン子爵 ジョージ (1617頃-1699) | エドワード (1620-1689) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代クリーヴランド公爵夫人 バーバラ・パーマー (1641-1709) | エドワード (1654頃-1693) | 初代ジャージー伯 エドワード (1656-1711) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代グランディソン伯 5代グランディソン子爵 ジョン (1684頃-1766) | 2代ジャージー伯 ウィリアム (-1721) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代ジャージー伯 6代グランディソン子爵 ウィリアム (-1769) | 初代クラレンドン伯 トマス (1709-1786) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4代ジャージー伯 ジョージ (1735–1805) | 2代クラレンドン伯 トマス (1753–1824) | 3代クラレンドン伯 ジョン (1757–1838) | ジョージ (1759–1827) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5代ジャージー伯 ジョージ (1773–1859) | 4代クラレンドン伯 ジョージ (1800–1870) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6代ジャージー伯 ジョージ (1808–1859) | 5代クラレンドン伯 エドワード (1846–1914) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7代ジャージー伯 ヴィクター (1845–1915) | 6代クラレンドン伯 ジョージ (1877–1955) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8代ジャージー伯 ジョージ (1873–1923) | ジョージ (1906–1935) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9代ジャージー伯 ジョージ (1910–1998) | 7代クラレンドン伯 ローレンス (1933–2009) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョージ (1948-1998) | 8代クラレンドン伯 ジョージ (1976-) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10代ジャージー伯 ウィリアム (1976-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 森護 1994, p. 38.
- ^ a b 今井宏編 1990, p. 163.
- ^ 海保眞夫 1999, p. 171.
- ^ 水谷三公 1987, p. 42.
- ^ Lundy, Darryl. “George Villiers, 1st Duke of Buckingham” (英語). thepeerage.com. 2015年8月14日閲覧。
- ^ 今井宏編 1990, p. 163-179.
- ^ Lundy, Darryl. “George Villiers, 2nd Duke of Buckingham” (英語). thepeerage.com. 2015年8月14日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir William Villiers, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2015年8月14日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “John Villiers, 1st Viscount Purbeck” (英語). thepeerage.com. 2015年8月14日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Christopher Villiers, 1st Earl of Anglesey” (英語). thepeerage.com. 2015年8月14日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir William Villiers, 3rd Bt.” (英語). thepeerage.com. 2015年8月14日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Charles Villiers, 2nd Earl of Anglesey” (英語). thepeerage.com. 2015年8月14日閲覧。
- ^ Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900. .
- ^ Cracroft's Peerage: The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage - 'Grandison, Earl (I, 1721 - 1766)' http://www.cracroftspeerage.co.uk/grandison1721.htm
- ^ Lundy, Darryl. “John FitzGerald, 1st and last Earl Grandison” (英語). thepeerage.com. 2015年8月14日閲覧。
- ^ 森護 1994, p. 40.
- ^ Lundy, Darryl. “Edward Villiers, 1st Earl of the Island of Jersey” (英語). thepeerage.com. 2015年8月14日閲覧。
- ^ Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900. .
- ^ Lundy, Darryl. “Thomas Villiers, 1st Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2015年3月31日閲覧。
- ^ Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900. .
参考文献
[編集]- 今井宏 編『イギリス史〈2〉近世』山川出版社〈世界歴史大系〉、1990年。ISBN 978-4634460201。
- 海保眞夫『イギリスの大貴族』平凡社〈平凡社新書020〉、1999年。ISBN 978-4582850208。
- 水谷三公『英国貴族と近代 持続する統治1640-1880』東京大学出版会、1987年。ISBN 978-4130300636。
- 森護『英国王室史事典-Historical encyclopaedia of Royal Britain-』大修館書店、1994年。ISBN 978-4469012408。