ヘンリー・フィッツロイ (初代グラフトン公)

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初代グラフトン公ヘンリー・フィッツロイ

初代グラフトン公ヘンリー・フィッツロイ(Henry FitzRoy, 1st Duke of Grafton, KG, 1663年9月28日 - 1690年10月9日)は、イングランドの貴族・軍人。イングランド王チャールズ2世と愛人バーバラ・パーマーとの間に生まれた庶子。初代グラフトン公でフィッツロイ家(グラフトン系)の祖。クリーヴランド公チャールズ・フィッツロイは同母兄、ノーサンバランド公ジョージ・フィッツロイは同母弟に当たる。ダイアナ元皇太子妃の先祖の1人。

チャールズ2世からは厚遇され1672年にユーストン伯、1675年にグラフトン公と叙爵され、1672年にチャールズ2世の側近のアーリントン伯ヘンリー・ベネットの1人娘イザベラと結婚、1680年にガーター勲章を受勲、翌1681年近衛歩兵第1連隊隊長、1682年海軍中将に就任した。1685年に父とアーリントンが死去、イザベラがアーリントン伯位を継承することでグラフトン公家は爵位と領地を増加させた。

同年に叔父のジェームズ2世の戴冠式では大司馬として出席、直後に起こった異母兄のモンマス公ジェームズ・スコット反乱ではサマセットから反乱軍を攻撃した。以後はジョン・チャーチル(後のマールバラ公)と行動を共にするようになり、1688年名誉革命ではチャーチルと共にジェームズ2世の軍から脱走してウィリアム3世に寝返った。1690年のウィリアマイト戦争でチャーチルのアイルランド南部の遠征に同行、コーク包囲中に致命傷を受けて亡くなった。イザベラとの間の1人息子チャールズがグラフトン公位を継承、後にアーリントン伯位も相続した。

参考文献[編集]

公職
先代:
カンバーランド公
海軍中将
1682年 - 1689年
次代:
トリントン伯
名誉職
先代:
ノーサンバランド伯
大司馬
1685年
次代:
オーモンド公
先代:
アーリントン伯
サフォーク統監
1685年 - 1689年
次代:
コーンウォリス男爵
イングランドの爵位
先代:
新設
グラフトン公
1675年 - 1690年
次代:
チャールズ・フィッツロイ