ヴィシー
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| ヴィシー | |
|---|---|
| 国 | |
| 地域圏(Région) | オーヴェルニュ地域圏 |
| 県(département) | アリエ県 |
| 郡(arrondissement) | ヴィシー郡 (郡庁所在地) |
| INSEEコード | 03310 |
| 郵便番号 | 03200 |
| 市長(任期) | Claude Malhuret () |
| 面積 | 5,85km² |
| 人口 | 26 501人 (1999年) |
| 人口密度 | 4530人/km² |
ヴィシー(Vichy)は、クレルモン=フェランに近い温泉保養地。第二次世界大戦期にはヴィシー政権が置かれた場所としても知られている。現在はアリエ県、ヴィシー郡の郡庁所在地。フランス語の形容詞形がヴィシソワVichyssois、その女性形がヴィシソワーズVichyssoise。スープのヴィシソワーズは発明者の出身地がヴィシーだったことから。
目次 |
[編集] 歴史
19世紀までにヴィシーは流行の基地となり、多くの著名人の注目を集めた。しかし、1861年から1866年のナポレオン3世の時代に再開発が行われ、街の様子は一変した。新しい大通りが通り、アリエ川沿いに堤防が造られ、公園には1865年建築家Badgerによって巨大なカジノが造られた。
第二帝政の後、ベル・エポックによる二番に大きな建築ラッシュが起きた。1903年にオペラハウス、ホール、東洋風に設計された大浴場がオープンした。
[編集] ヴィシー政権
詳細は「ヴィシー政権」を参照
1940年6月22日に署名された停戦条約の後、この区域はドイツには占領されず、フランス国 (État Français) の名前で、7月1日にヴィシーを首都と定めた。理由は比較的パリに近く (列車で4.5時間) 、当時ホテルの収容人数が第2位の街であったためである。その上、当時では超近代的な電話交換機が、電話を介して全世界と連絡を取ることが可能であった。
7月1日、政府は多くのホテルの所有権を得た。国会議員600人はヴィシーでの会議や評議会に参加した。7月9-10日には、オペラハウスの大ホール客席で、国会議員は、第三共和制終了のための投票を行った。民主政体は廃止され、フィリップ・ペタンを首席とするヴィシー政権がこれに替わった。600人中わずか80人の議員が反対を表明した。この日から始まって4年以上の間、ヴィシーはフランスの首都となり。「ヴィシー政権」と呼ばれた。
北アフリカのフランス植民地を舞台とした映画「カサブランカ」には、登場人物の警察署長が「ヴィシー水」を捨てるという象徴的なシーンがある。

