ランベルト・ダ・スポレート
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ランベルト・ダ・スポレート(Lamberto da Spoleto, 880年頃 - 898年)は、フランク・ローマ皇帝でイタリア王(在位891年 - 898年)。
グイード・ダ・スポレートとアジェルトゥルデとの息子で、非常に若くして父から共同王位を授かり、891年にステファヌス5世により皇帝冠を授かった。同年の教皇の死後に後を継いだフォルモススはランベルトにイタリア王冠を授けることを強いられた。しかし教皇はケルンテンのアルヌルフに介入を求め、アルヌルフはイタリア北部に侵攻した。
894年に父が死ぬと、ランベルトは教皇フォルモススに皇帝冠を公認してもらうためローマへ向かったが、教皇はサンタンジェロ城に監禁されアルヌルフを待った。そして896年にアルヌルフにより開放されるとアルヌルフを皇帝として戴冠した。 フォルモスス教皇の死の少し後、アルヌルフは脳梗塞を患い戦闘を放棄することになった。
アジェルトゥルデは支援者たちに選出されたステファヌス6世を得た。897年にステファヌス7世は前教皇に対し裁判を行った。このときフォルモススの死体を掘り出して裁判に出席させ、有罪判決を受けた死体はテーヴェレ川に捨てられた。これは歴史上『死体裁判』として悪名が高い出来事である。
教皇ヨハネス9世は898年にアルヌルフの戴冠を無効と宣言し、ランベルトを支持したが、ランベルトは同年狩りをしていて突然の死を迎えることとなった。
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