ズップリンブルク家

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ズップリンブルク家(Supplinburger)は、中世ドイツにおいてドイツ王および神聖ローマ皇帝を出したザクセン出身の貴族の家系である。ズップリンゲンブルク家(Süpplingenburger)とも呼ばれる。また、皇帝を出した王朝としてザクセン朝ともいわれるが、リウドルフィング家のザクセン朝と直接の関係はない。

概要[編集]

ズップリンブルク家は1021年以降ザクセン公領内のハルツガウ伯(de:Harzgau)を世襲した。ズップリンブルク伯兼ハルツガウ伯のゲープハルトは皇帝ハインリヒ4世に対し他のザクセン貴族とともに反乱を起こし、1075年のランゲンザルツァの戦いで戦死した。息子ロタール(のちのロタール3世)は、相続と婚姻により領土を拡大し、1105年にハインリヒ5世が父皇帝ハインリヒ4世に反逆した際、ハインリヒ5世に協力したことにより、1106年ザクセン公位を与えられた。しかしながら1112年以降ロタールはザクセンの反皇帝派の指導的立場に立ち、皇帝側を圧倒した。ロタールはザクセンを完全に支配下に置き、ザクセン内への皇帝権力の関与を許さなかった。

1125年、皇帝ハインリヒ5世は継嗣なく没した。同年開かれた国王選挙のための集会は紛糾したが、結局ロタールがドイツ王に選出された。1133年にはローマから追われていた教皇インノケンティウス2世を復帰させ、神聖ローマ皇帝の冠を受けた。国王の後継の座を争ったシュタウフェン家とは1135年の和解に至るまで、国王領の支配をめぐって争っている。

ロタール3世には息子がおらず、1127年ヴェルフ家バイエルン公ハインリヒ傲慢公を一人娘ゲルトルートと結婚させた上で後継者とし、王権の拡大を図った。しかし1137年12月4日、ロタール3世は南イタリアからの帰還の途上死去し、ズップリンブルク家の男系は断絶した。

ロタール3世の死後、シュタウフェン家のコンラート3世がドイツ王として即位し、ホーエンシュタウフェン朝を開いた。女婿ハインリヒ傲慢公はザクセン公領を継いだが、1138年にコンラート3世によりバイエルン公領ともども剥奪された。ゲルトルートとハインリヒ傲慢公との間にはハインリヒ獅子公が生まれ、ザクセン公およびバイエルン公領は後にハインリヒ獅子公に授封されている。その子オットー4世は、1209年に神聖ローマ皇帝となった。

ドイツ王および皇帝[編集]

  • ロタール3世(王在位:1125年 - 1037年)、皇帝在位:1133年 - 1137年)

系図[編集]

 
 
リウトガー
ハルツガウ伯
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ベルンハルト
ズップリンブルク伯
ハルツガウ伯
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ゲープハルト
ズップリンブルク伯
ハルツガウ伯
 
 
 
ヘートヴィヒ
・フォン・フォルムバハ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ロタール3世
ザクセン公
 
リヒェンツァ
・フォン・ノルトハイム
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ハインリヒ傲慢公
バイエルン公
ザクセン公
 
ゲルトルート
 
ハインリヒ2世
オーストリア公
バイエルン公
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ハインリヒ獅子公
ザクセン公
バイエルン公
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
オットー4世
 
凡例


関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 成瀬 治 他 編『世界歴史大系 ドイツ史 1』山川出版社、1997年