オットー4世 (神聖ローマ皇帝)
オットー4世(Otto IV., 1175年 - 1218年5月19日)は、ヴェルフ家出身の神聖ローマ皇帝(在位:1198年 - 1215年)。バイエルン公兼ザクセン公ハインリヒ獅子公とイングランド王ヘンリー2世の娘マティルダの次男。ライン宮中伯ハインリヒ5世の弟、リューネブルク公ヴィルヘルムの兄。シュヴァーベン大公としてはオットー3世(在位:1208年 - 1212年)であった。
幼少期をイングランドで育ち、1197年、ハインリヒ6世が死去すると、後継者のフリードリヒ2世が幼少だったために即位できず、皇位を巡っての争いが発生する。この時オットー4世は、ハインリヒ6世の弟で東ローマ皇帝イサキオス2世の娘婿であったフィリップと争って敗れた。しかし、1208年にフィリップが暗殺されたため、翌1209年、ローマ教皇インノケンティウス3世の戴冠を受けて正式に神聖ローマ皇帝として即位した。同年、フィリップの娘ベアトリクスと婚約した(1212年に結婚後、ベアトリクス死去)。
しかし、即位後に大規模なイタリア遠征を計画したため、教皇インノケンティウス3世と対立して1210年に破門され、ドイツ諸侯の支持を失ってしまう。更に成人したフリードリヒ2世を皇位に推すフランス王フィリップ2世と対立して叔父のイングランド王ジョンと協力して争うが、1214年7月27日にブーヴィーヌの戦いでフランス軍に大敗する。諸侯に完全に見放されたオットー4世は翌1215年、廃位の上に追放され、1218年にブラウンシュヴァイクで病死した。遺体は甥のオットー1世によって、ブラウンシュヴァイク大聖堂に葬られた。
ベアトリス死去後の1214年4月19日にブラバント公アンリ1世の娘マリアと再婚するが、2度の結婚で子がなかったため、甥のオットー1世が遺領を継いでブラウンシュヴァイク=リューネブルク家の祖となった。
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