ヤン・レッツェル

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ヤン・レッツェル
レッツェルの設計により竣工した広島県物産陳列館(1921〜33年頃)。この当時は県商品陳列所と呼ばれていた
聖心女子学院正門

ヤン・レッツェルJan Letzel, 1880年4月9日 - 1925年12月26日)はチェコ建築家

広島県広島市の広島県物産陳列館(後の原爆ドーム)の設計者として有名。ヤン・レツルとも表記される。

目次

[編集] 経歴

ポーランド国境に近いボヘミアナーホトで生まれた。実家はホテルを経営をしていた。1900年プラハで美術専門学校に入学し、ヤン・コチェラ教授の指導を受けた。彼はコチェラから石やコンクリートによるシンプルな近代建築の手法の影響を受けたほか、ユーゲント・シュティールアール・ヌーヴォーの影響も吸収した。

エジプトで働いた後、1907年に来日、ゲオルグ・デ・ラランデの事務所を経て1909年に独立。第一次世界大戦中の1916年、チェコに帰国した。

1918年、チェコ独立後、貿易省の仕事で再度来日。関東大震災後、チェコに帰国し、1925年にプラハで死去した。

[編集] 作品

レッツェルが設計を手がけた日本国内の建造物は、廃墟として姿を止めている広島県物産陳列館(原爆ドーム)を除き、ほとんどが地震・戦災・火災により消失し現存していない。

[編集] その他

  • 藤森照信『建築探偵奇想天外』によればチェコの温泉地ムシュネーにレツルの作品(1905年)が残っており、アール・ヌーヴォー風の壁画が描かれているという。
  • 「原爆ドームの設計者、ヤン・レッツェル」などと紹介されることがあるが、設計したのは広島県物産陳列館であって、原爆ドームではない。
  • 1991年には、NHKチェコ放送との合作により、ドラマ「ヤン・レツル物語~ヒロシマドームを建てた男~」が制作された。作品内においては、アジアの果ての国に心酔するおかしな人物と周囲から見做され、手がけた建物が災害により次々と崩壊するのを目にして死んだ、悲劇的な人物として描かれている。

[編集] 外部リンク

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