モヘンジョダロ
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| 英名 | Archaeological Ruins at Moenjodaro | ||
| 仏名 | Ruines archéologiques de Mohenjo Daro | ||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | 文化遺産(ii) (iii) | ||
| 登録年 | 1980年 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 地図 | |||
| 使用方法・表示 | |||
モヘンジョ=ダロ(ウルドゥー語:موئن جو دڑو、シンド語:موئن جو دڙو、英語: Moenjodaro, Mohenjo-daro)は、インダス文明最大級の都市遺跡。
ユネスコ世界遺産には、1980年、文化遺産として「英語名:Archaeological Ruins at Moenjodaro (和訳名:モヘンジョダロの遺跡群)」の名で登録されている。
目次 |
[編集] 呼称
[編集] 地名の語源
モヘンジョ=ダロの地名は現地の言葉で「死の丘」を意味するものであり、歴史学者が足を踏み入れるまでは、非常に古い時代に生きたであろう得体の知れない死者が眠る墳丘として, 地元民に代々伝えられる禁忌の領域であった。
モヘンジョ=ダロは廃墟としての名であり、繁栄していた往時の呼び名、すなわち都市の名は、それを紐解くヒントすら得られていない。
[編集] 衰退の謎
紀元前2500年から紀元前1800年にかけて繁栄したと考えられている。最大で4万人近くが暮らしていたと推測されている。しかしその後、きわめて短期間のうちに滅亡の時を迎えたと考えられており、さまざまな憶測が絶えない。近年[いつ?]の研究では大規模な洪水によって一気に衰退したと考えられている。
[編集] 都市の特徴
[編集] 計画都市
遺跡は、東西南北に焼成煉瓦で敷き詰められた直線道路が伸びる。沐浴施設・二階建ての住宅・井戸など煉瓦造りの大規模な構造物が並び、しかもそれらは緻密に計画されて配置されている。幅9mの道が南北に走り、街は碁盤の目のように区画されていた。焼成煉瓦で造られた街は上下水道も整備されていた。生活排水を流す排水溝は街の至る所に張り巡らされていた。モヘンジョ=ダロは4,500年以上も前に作られた、水を巧みに利用する高度な計画都市であった。人々はインダス川の水を利用し、農業も盛んに行っていた。
[編集] 宗教的領域
モヘンジョ=ダロの「城塞」(城塞並みに重厚な建造物であることからそのように呼ばれているが、城塞とは異なり、戦争用の遺物は見られない)には、現代人が「大浴場」「公衆浴場」などと通称している、長辺約12m、短辺約7m、深さ約2.5mという規模のプール型の施設がある。これは、豊饒と再生を祈念する儀礼が行われた沐浴場と考えられている。これには「穀物倉」と通称される長辺約46m、短辺約23mの施設が隣接して設けられており、27箇所の建物基礎が確認されている。その施設の上屋構造は木造であったと推定されている。研究者は、これら2つを併せて神殿のような宗教施設であったと考えている。
[編集] 遺跡を巡る現代史
文明遺跡としての発見は、1922年、インド考古調査局員であったインド人歴史学者R・D・ボンドパッダーエ(Rakhaldas Das Bandyopadhyay (ベンガル語:রাখালদাস বন্দোপাধ্যায়、異名:Rakhaldas Banerji、Rakhaldas Banerjee [R・バネルジ、R・バナージー])の発掘調査によってなされた[1]。
1980年、「英語名:Archaeological Ruins at Moenjodaro (和訳名:モヘンジョダロの遺跡群)」の名でユネスコ世界遺産の文化遺産に登録された。
遺跡が属する地域一帯では地下水位の上昇による塩害が進行し続けているが、モヘンジョ=ダロはこれを覆い隠していた堆積物が大規模に取り払われた1965年以降、遺構の構成物である煉瓦が塩分を吸い上げて風化してゆく塩分砕屑現象が止まらない。そうして土に還ってしまった遺構も少なくはなく、保存の問題が何十年も叫ばれ続けている。
[編集] ユネスコ世界遺産
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
[編集] 交通アクセス
往路はカラチからサッカル (Sathkar) まで空路を利用。サッカルからチャータータクシーを利用して、約1時間半程度。 カラチの旅行会社であらかじめ往復航空券とチャータータクシーの予約をする方法がある。モヘンジョ=ダロの隣町ラルカナまで鉄道もあるが、治安があまりよくない。復路はモヘンジョ=ダロ空港からカラチまでの直行便があり、インダス川を空から眺めることができる。
なお、モヘンジョ=ダロから見てインダス川の対岸にも公衆トイレが多く存在するが、こちらの方はアクセスも難しい上、 アベサン(武装集団)が猛威を振るっているため、非常に危険である。 また、以前はモヘンジョ=ダロの宿舎に宿泊もできたが、職員が夜には全員引き上げるため、現在は宿泊は不可能。 ラルカナの安宿に宿泊する手もあるが、治安のことを考えるとなるべくカラチから日帰りで行くべきである。
[編集] 脚注・出典
- ^ “Early excavations at Mohenjo-daro” (en). 2010年1月17日閲覧。
[編集] 関連項目
- インダス文明 - ハラッパー / モヘンジョ=ダロ
- ヴァーストゥ・シャーストラ
- 古代核戦争説
[編集] 外部リンク
- “Archaeological Ruins at Moenjodaro - World Heritage” (en). The UNESCO official site. UNESCO. 2010年1月17日閲覧。
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