ヴォー・チ・コン
ヴォー・チ・コン Võ Chí Công 武志公 | |
任期 | 1987年6月18日 – 1992年9月22日 |
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国家評議会副議長 | グエン・フー・ト フイン・タン・ファット グエン・クエット ダム・クアン・チュン レ・クアン・ダオ グエン・チ・ディン |
共産党書記長 | グエン・ヴァン・リン ドー・ムオイ |
首相 | ファム・フン ドー・ムオイ ヴォー・ヴァン・キエット |
任期 | 1986年6月 – 1987年6月 |
任期 | 1976年7月 – 1982年4月 |
任期 | 1977年7月 – 1979年2月24日 |
任期 | 1976年7月 – 1977年2月 |
出生 | 1912年8月7日(維新6年6月25日) フランス領インドシナ 大南 広南省三岐 |
死去 | 2011年9月8日(99歳没) ベトナム、ホーチミン市 |
政党 | インドシナ共産党 ベトナム労働党 ベトナム共産党 |
ヴォー・チ・コン(ベトナム語:Võ Chí Công / 武志公、1912年8月7日[1][2][3] - 2011年9月8日[4])は、ベトナムの政治家。ベトナム戦争時は南ベトナムの共産党指導者として活動し、ベトナム社会主義共和国建国後、副首相や第2代国家評議会議長(国家元首に相当)などの要職を務めた。
経歴
[編集]クアンナム省に生まれる。コンの政治活動は、1930年に初期・反フランス民族主義運動家であるファン・ボイ・チャウとファン・チュー・チンに出会ったことに始まる。1935年、インドシナ共産党に入党。第二次世界大戦中はフランス・ヴィシー政権に対する抵抗運動を行い、1942年に逮捕された。懲役25年の判決を受け、バンメトート刑務所に収監されたが、1945年3月に解放された。1945年8月の革命において、ベトナム中部のクアンナム省ダナンの蜂起を指導。1946年、第93連隊政治委員および第5軍区執行部副委員長に任命。その後第一次インドシナ戦争で奮戦した。
1950年、第5連区委員。1952年、クアンナム政治委員会書記。1955年3月、第5戦区副書記[5]。
1958年末、第5戦区書記に就任。1960年9月、ベトナム労働党(後の共産党)第3回党大会において非公然党中央委員として秘密裏に選出[6][7]。同年12月、南ベトナム民族解放戦線の創立メンバーとなり、同中央委員会幹部会副議長に就任。1962年1月1日、解放戦線の中核となる「南ベトナム人民革命党」[8] が創設されると党中央委員会議長に就任[9]。また、ベトナム労働党南部中央局(COSVN)副書記を兼ねるなど、南ベトナムにおける党組織の重要人物であった。
ベトナム社会主義共和国建国後の1976年7月、ファム・ヴァン・ドン内閣の副首相に就任し、水産大臣(1976年 - 1977年2月)を兼任[10]。同年12月、ベトナム共産党第4回党大会において政治局員に選出され、党内序列第13位となる[11][12]。翌1977年から農業大臣(1977年7月 - 1979年)を兼任。1977年9月10日、南部農業改造中央委員会委員長に任命され、直接南部農業集団化運動の指揮を取ることになった[13]。1982年3月、第5回党大会において、政治局員兼書記局員に選出。政治局第7位、書記局第3位の地位に昇進[14][15] した。同年4月、副首相を退任[16]。
1986年6月、再び副首相に就任[16]。同年12月の第6回党大会において書記局を退任したが政治局員に再選出され、序列第3位に昇格[17]。1987年6月18日、第8期国会第1回会議において国家評議会議長に選出。1989年6月、憲法修正委員会委員長を兼務し、新憲法(1992年憲法)の作成に尽力した[18][19]。
1991年6月の第7回党大会において政治局員を退任し、党中央委員会顧問に退いたが、7月の国会人事においては国家評議会議長に留任した。これは新憲法発布と、新たな国家元首が選出されるまでの暫定的措置であった[20]。翌1992年、憲法改正によって国家評議会が廃止され、国家主席制が復活すると、同年9月22日、国家評議会議長を退任した。
1997年12月の第8期党中央委員会第4回総会において党中央委員会顧問を退任した。
2011年9月8日、重病のためホーチミン市の病院で死去[21]。99歳没。
顕彰
[編集]著書
[編集]- Trên những chặng đường cách mạng (Hồi ký), NXB Chính trị Quốc gia, Hà Nội, 2001
脚注
[編集]- ^ Saigon online: Mừng đồng chí Võ Chí Công 95 tuổi
- ^ Google Books: Vietnam under Communism, 1975-1982 By Van Canh Nguyen, Earle Cooper
- ^ The leadership of the PRG, the NFLSV and their affiliated organization, 1973 (PDF)
- ^ Former State leader passes away Viethnam Plus 2011-9-8
- ^ 木村(2006年)、118ページ
- ^ 坂村(2001年)、58ページ。
- ^ 第3期党中央執行委員会(1960-1976年) Archived 2014年2月28日, at the Wayback Machine.
- ^ 人民革命党は、ベトナム労働党の南での分身、カモフラージュ政党であった。
- ^ 友田(1981年)、63-64・308ページ
- ^ 第6期国会期政府(1976-1981年)
- ^ 木村(1996年)、62ページ
- ^ 第4期党中央執行委員会(1976-1982年) Archived 2013年1月30日, at the Wayback Machine.
- ^ 木村(2004年)、128ページ
- ^ 木村(2004年)、151ページ
- ^ 第5期党中央執行委員会(1982-1986年) Archived 2014年1月13日, at the Wayback Machine.
- ^ a b 第7期国会期政府(1981-1987年)
- ^ 第6期党中央執行委員会(1986-1991年) Archived 2014年1月13日, at the Wayback Machine.
- ^ 木村(2004年)、140ページ
- ^ 憲法修正委員会およびコン委員長の活動については、五島文雄「ドイモイ下における国家機構の再編 ― 九二年憲法体制の形成過程を中心に」(三尾忠志編『ポスト冷戦のインドシナ』日本国際問題研究所、1993年、25-54ページ)参照。
- ^ 白石(1993年)、211ページ
- ^ ベトナムの元国家評議会議長 ボー・チ・コン氏死去 産経新聞 2011年9月9日閲覧
- ^ a b 重要日誌 (PDF) 『アジア動向年報』1988年版、アジア経済研究所、245ページ
- ^ 重要日誌 (PDF) 『アジア動向年報』1992年版、アジア経済研究所、204ページ
参考文献
[編集]- 友田錫 『裏切られた革命 - チュン・ニュー・タンの証言』 中央公論社、1981年
- 白石昌也 『ベトナム - 革命と建設のはざま』 東京大学出版会、1993年
- 木村哲三郎 『ベトナム - 党官僚国家の新たな挑戦』 アジア経済研究所、1996年
- 坂村哲雄 『ベトナム指導者一覧 2001』 ビスタ ピー・エス、2001年
- 木村哲三郎「ドイモイの政治的側面(2)」『南北朝鮮統一はどうなるか(2)』 (PDF) 亜細亜大学アジア研究所、2004年
- 木村哲三郎「ベトナム戦争の起源と中ソ」『南北朝鮮統一はどうなるか(4)』 (PDF) 亜細亜大学アジア研究所、2006年
外部リンク
[編集]- Võ Chí Công (Việt Nam thế kỉ 20)
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