ホップスコッチ/或るエリート・スパイの反乱

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ホップスコッチ/或るエリート・スパイの反乱
Hopscotch
監督 ロナルド・ニーム
脚本 ブライアン・フォーブス
ブライアン・ガーフィールド
原作 ブライアン・ガーフィールド
製作 エリー・ランドー
オットー・プラシュキス
音楽 イアン・フレイザー
撮影 アーサー・イベットソン
ブライアン・W・ロイ
配給 エンバシー・ピクチャーズ
公開 アメリカ合衆国の旗 1980年9月26日
日本の旗 劇場未公開
上映時間 104分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
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ホップスコッチ/或るエリート・スパイの反乱(あるエリート・スパイのはんらん、原題:Hopscotch)は、1980年に公開されたアメリカ合衆国スパイコメディ映画。監督はロナルド・ニーム、主演はウォルター・マッソー。日本では劇場未公開で、東北新社/キングレコードからVHSが発売されたほか『ホップスコッチ・CIAを震撼させた男』という題でテレビ放送された[1]

概要[編集]

ブライアン・ガーフィールド1975年に発表した同名の小説の映画化。ガーフィールドは映画化の為に6年の歳月をかけて26種類以上の草稿を書き上げている[2]。また、本作でマッソーがゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた。

タイトルの「ホップスコッチ」とは、いわゆるケンケンパのことである。

あらすじ[編集]

ミュンヘンのオクトーバーフェストで、ベテランCIA捜査官マイルズはマイクロフィルムがKGBのヤスコフの手に渡るのを阻止し、工作員を次々と検挙していった。だが彼はヤスコフを逮捕しなかったことを理由に、上司のマイヤーソンからデスクワークへの配置換えを命令される。

マイルズはこの状況を受け入れず、行動を起こす。関係書類を全て破棄し、CIAを退職。かつての恋人イゾベルを訪ねるためにザルツブルクへ飛ぶ。事情を察したヤスコフはマイルズに会い、KGBへの亡命を誘うが拒否される。

「回顧録でも書くのか」と皮肉るヤスコフの言葉を聞いたマイルズは、CIAやスパイ業界の内幕を赤裸々に暴露する小説の執筆を開始し、最初の章の内容を各国の諜報機関に送り付ける。マイルズの小説の執筆を知ったCIAは、彼を止めようと動き出すのだった。

キャスト[編集]

※括弧内は日本語吹替

製作[編集]

構想[編集]

この映画は当初、小説のようなスリラー作品になる予定で、ウォーレン・ビーティジェーン・フォンダが出演することになっていた。しかし、ビーティがワーナー・ブラザーズと対立したために頓挫した[2]

キャスティング[編集]

ホロコーストで多くの親族を失ったユダヤ人のマッソーは、当初ドイツでのロケを拒否していたが、ニームがマッソーの息子デヴィッドと継娘のルーシーを映画に出演させることで、マッソーが譲歩した[3]

撮影[編集]

「ホップスコッチ」の撮影は、イギリスロンドンフランスマルセイユバミューダワシントンD.C.ジョージア州のサバンナ・アトランタ、当時の西ドイツミュンヘンなど、ヨーロッパとアメリカの多くの場所で行われた。また、冒頭のオクトーバーフェストは演出ではなく、実際に開催されていた中で8台のカメラを隠して撮影を行った[3]

演出[編集]

  マッソーには国務省から「本物のパスポート」が発行されており、彼が複数の国を行き来する際に使う偽名のパスポートが発行されている。パスポートはその機密性から、使用しないときは制作会社の金庫に保管され、撮影終了後、パスポートはワシントンD.C.の国務省に手渡しで返された[3]

脚注[編集]

  1. ^ allcinema『映画 ホップスコッチ/或るエリート・スパイの反乱 (1980)について 映画データベース - allcinemahttps://www.allcinema.net/cinema/215462022年9月17日閲覧 
  2. ^ a b Hopscotch (1980) - IMDb, https://www.imdb.com/title/tt0080889/trivia/ 2022年9月17日閲覧。 
  3. ^ a b c AFI|Catalog”. catalog.afi.com. 2022年9月17日閲覧。

外部リンク[編集]