ブラック・ウォー

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ブラック・ウォー
Gov Davey's proclamation.jpg
ブラック・ウォー中に制作された布告ポスター。友好的かつ平等な統治を行うことを宣伝している。
1828年1832年
場所 オーストラリア
結果 タスマニアン・アボリジニーは殆ど絶滅し、イギリス植民者によるアボリジニーのフリンダーズ島への強制移住で終わる
衝突した勢力
オーストラリアの先住民族 オーストラリア

ブラック・ウォーBlack War)は、ヴァン・ディーメンズ・ラント(今のタスマニア)で1800年代前半に起こったイギリス植民者とタスマニアン・アボリジニーの争いである。タスマニアン・アボリジニーは小島に移住させられ、ほぼ絶滅させられた。

経過[編集]

この戦争は公式な宣戦布告無しで開始されたため、その継続期間についてはいくつかのとらえ方がある。1803年にタスマニア島に最初にヨーロッパ人が入植した時に始まったとする見方もある。 最も激しい衝突があったのは1820年代で、特にこの時期をブラック・ウォーと呼ぶことが多い。

1820年代の激しい衝突後、1830年にイギリス人の副総督ジョージ・アーサー(en:Sir George Arthur, 1st Baronet)は、タスマニア島内のアボリジニーを一掃する計画を立てた。この作戦はブラック・ラインとして知られ、流刑者まで含めた島内全ての男性入植者が動員された。入植者は横列を組んで南と東に向け数週間かけて進み、タスマン半島へとアボリジニーを追い込もうとした。しかし、ほとんどアボリジニーを捕捉することはできなかった。

もっとも、ブラック・ラインの実行は、アボリジニーを動揺させ、フリンダーズ島への移住を受け入れさせることにつながったと一般に考えられている。約300人の残存タスマニアン・アボリジニーの大半は、1835年末までにジョージ・ロビンソン(en:George Augustus Robinson)の提案に従いフリンダーズ島へ移住して、事態の鎮静化までの「保護」を受けることになった。そして、この移住完了をもってブラック・ウォーについて戦争終結と見るのが一般的である。

結果[編集]

フリンダーズ島への移住後、劣悪な生活環境とヨーロッパ人がもたらした疫病によりタスマニアン・アボリジニーの人口は激減し、1847年にタスマニア島のオイスター湾保護区に再移送されるまでにタスマニアン・アボリジニーは約40人となっていた[1]。その固有の文化も失われた。民族浄化というブラック・ラインの目的は、フリンダーズ島移住によって代わりに実現されたことになる。

ジョージ・ロビンソンは、1839年にポート・フィリップ地区の主席アボリジニー保護官に任命された。彼の下でオイスター湾の保護区は運営され、1849年末に閉鎖された。

文学上での言及[編集]

H・G・ウェルズの『宇宙戦争』の序文ではこの戦いについて、次のように触れられている。

(訳注:火星人の侵略について考えるに際して)われわれ人間は、自らが行ってきた無慈悲で徹底した破壊という所業を思い起こす必要がある。それも、バイソンドードーといった動物を絶滅させただけでなく、われわれの劣等な近縁種たちまでも手にかけてきたことを。タスマニア人たちは、われわれ人とよく似ていたにも関わらず、ヨーロッパからの移民が行った駆除作戦によって、50年のうちに絶滅させられてしまったのだ。(原文:"We must remember what ruthless and utter destruction our own species has wrought, not only upon animals such as the vanished bison and dodo, but also upon its own inferior races. The Tasmanians, in spite of their human likeness, were entirely swept out of existence in a war of extermination waged by European immigrants, in the space of fifty years." )

注記[編集]

  1. ^ BBC Four, Racism: A History, Part two of three, 'Fatal Impacts', Broadcast on Thursday 27th September 2007

外部リンク[編集]