フェルナンド (ヴィゼウ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
べージャ公爵およびヴィゼウ公爵フェルナンド

フェルナンド・デ・ポルトゥガル(Dom Fernando, Infante de Portugal, 2º Duque de Viseu, 1º Duque de Beja, 1433年11月17日 アルメイリン - 1470年9月18日 セトゥーバル)は、ポルトガルの王族、ベージャ公およびヴィゼウ公。ポルトガル軍総司令官(Condestável de Portugal)を務めた。ドゥアルテ1世の息子の一人で、マヌエル1世の父である。

生涯[編集]

ドゥアルテ1世王とその王妃でアラゴンフェルナンド1世の娘であるレオノールの間に三男として生まれた。兄のアフォンソ5世に子供がいなかった1438年から1451年、1451年から1452年の間、ポルトガル王位の推定相続人としてポルトガル公の称号を帯びた。1447年、叔父ジョアン王子の娘ベアトリスと結婚した。

1452年、フェルナンドは冒険旅行を試みてポルトガルを出国しようとした。行き先は北アフリカポルトガル植民地の諸都市だったという説や、母方の伯父のアラゴン王アルフォンソ5世による南イタリア遠征に参加するためだったとする説がある。後者の説は、フェルナンドが嫡出子のいないアルフォンソ5世からナポリ王国を相続することを望んでいたことから、推測された説である。しかし兄王アフォンソ5世は弟の出奔を知るやいなや、謀反を心配して重臣のオデミラ伯サンチョ(Sancho de Noronha, 1.º conde de Odemira)に命じてジブラルタル海峡中を捜索させ、無理やりフェルナンドを宮廷に連れ戻した。

1453年、フェルナンドは兄王により初代べージャ公爵に叙せられた。1460年には叔父のエンリケ航海王子の後継ぎとなる形で、第2代ヴィゼウ公爵およびアヴィス騎士団総長となり、同時にポルトガル王家における新天地開拓の任務も引き継いだ。フェルナンドは1458年に兄王とともに北アフリカに遠征し、モロッコマリーン朝が支配する都市アルケサル・セゲールを征服した。1468年には、ベルベル人海賊Barbary corsairs)の拠点都市アンファ(現在のカサブランカ)を占拠・破壊した。

1470年に37歳で死去し、ベージャの修道院に葬られた。

子女[編集]

ベアトリスとの間に9人の子供をもうけた。

  • ジョアン(1448年 - 1472年) - ベージャ公、ヴィゼウ公、ポルトガル軍総司令官
  • ディオゴ(1450年 - 1484年) - ベージャ公、ヴィゼウ公
  • ドゥアルテ(夭折)
  • ディニス(夭折)
  • シモン(夭折)
  • レオノール(1458年 - 1525年) - 1471年、ポルトガル王ジョアン2世と結婚
  • イザベル(1459年 - 1521年) - 1472年、ブラガンサ公フェルナンド2世と結婚
  • マヌエル(1469年 - 1521年) - ポルトガル王
  • カタリナ(夭折)

参考文献[編集]

  • ”Nobreza de Portugal e do Brasil” – Vol. I, pages 311 and 312. Published by Zairol Lda., Lisbon 1989.