ファッルフシヤル

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ファッルフシヤル
Farrukhsiyar
ムガル帝国第9代皇帝
The Emperor Farrukhsiyar on his balcony 1715-1719, Bibliothèque nationale de France, Paris.jpg
ファッルフシヤル
在位 1713年 - 1719年
戴冠 1712年4月7日
1713年1月11日
別号 パードシャー
全名 ムイーヌッディーン・ムハンマド・ファッルフシヤル
出生 1685年8月20日
アウランガーバード
死去 1719年4月29日
デリーデリー城
埋葬 デリーフマーユーン廟
配偶者 インディラ・クンワール
  ほか数名
王朝 ムガル朝ティムール朝
父親 アズィーム・ウッシャーン
母親 サーヒバ・ニズワーン
宗教 イスラーム教スンナ派
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ファッルフシヤルFurrukhsiyar, 1683年8月20日 - 1719年4月29日)は、ムガル帝国の第9代皇帝(在位1713年 - 1719年)。シャー・ファッルフシヤルとも呼ばれる。父は第7代君主バハードゥル・シャー1世の次男アズィーム・ウッシャーン

生涯[編集]

1713年、ファッルフシヤルはサイイド兄弟の支持をうけてジャハーンダール・シャーを倒し、玉座を継承した[1][2]

容貌はすぐれていたが、彼は政治的判断を兄弟に左右され、皇帝としての力量を十分に発揮できなかった。これより皇帝は有名無実と化した[3]

1719年2月、ファッルフシヤルはサイイド兄弟の陰謀で廃位・目つぶしのうえで幽閉され、完全に宮廷を牛耳るようになったサイイド兄弟はラフィー・ウッダラジャートを後任とした[4]

廃位された後、ファッルフシヤルは逃亡しようとしたために絞殺されてしまう[5][6]

脚注[編集]

  1. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p251
  2. ^ Delhi 11
  3. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p251
  4. ^ Delhi 11
  5. ^ Delhi 11
  6. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p251

参考文献[編集]

  • フランシス・ロビンソン著、小名康之監修・月森左知訳 『ムガル皇帝歴代誌』 創元社、2009年
  • ビパン・チャンドラ著、栗原利江訳 『近代インドの歴史』 山川出版社、2001年

関連項目[編集]