バーリトゥード

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2005年、ストックホルムで行なわれた European Vale Tudo の試合の一場面

バーリトゥードVale tudo)は、ポルトガル語で「何でもあり」を意味し、20世紀においてブラジルで人気を博すようになった、最小限のルールのみに従って素手で戦うフルコンタクト方式の格闘技イベントの名称である[1][2]。一部の論者は、バーリトゥードを近接格闘術 (combat sport) のひとつの形態と捉えている[3]。バーリトゥードは他の様々な形態の武道マーシャルアーツ)から技法を取り入れてきた結果、 今日の総合格闘技に近いものとなっており、「総合格闘技の代名詞」と称されることもある[2]

歴史[編集]

1920年代から1980年代まで[編集]

1920年代のブラジルのサーカス興行においては、「バーリトゥード」と呼ばれた格闘技が、余興の出し物として人気を博した[4]。こうした見世物の様子を描いた1928年10月4日付の『Japanese-American Courier 』の記事は次のようなものであった[5]

サンパウロからのある報道は、柔術こそが真に最強の武術であると声高に伝え、大サーカスの横に設けられた付属テントの中で行なわれた興味深い見世物において、バイーア州出身の化け物のように大きな男が、小柄な日本人格闘家の手にかかってコテンパンにやっつけられたことを伝えた。大男は南アメリカに古くから伝わる格闘技であるカポエイラの達人だったが、日本人を背負って、頭を蹴ろうとしたところ、...この小柄な東洋人が柔術を使って反撃し、大男を掴んで投げ飛ばし、少しばかり格闘した後、最後は動かなくなった大男の上に腰を下ろして座っていたという。

しかし、このサーカスの用語が、広く一般的に使われるようになるのは1959年から1960年にかけての時期に、リオデジャネイロのテレビ局の番組『Heróis do Ringue』(「リングのヒーローたち」の意)において、異なる種類の格闘技の選手同士を戦わせる試合を指してこう呼び慣らわすようになってからであった。この番組の取組の企画者や司会者たちは、グレイシー一族の面々を出場させたのをはじめ、いずれの出場者もそれぞれのスタイルで鍛えた本物の手練であった。ある晩の放送中、ジョアン・アルベルト・バレート(João Alberto Barreto:後に UFC 1 のレフェリーを務めた人物)は、ルタ・リーブリの選手と戦うことになった。その試合でバレートは相手をつかまえてアームロックの技をかけたが、相手はギブアップしなかった。結局、バレートはそのまま相手の腕を折ってしまった。こうした成り行きの結果、番組は打ち切りとなり、程なくして『Telecatch』というプロレス番組が後継の番組となった。

1960年代以降のバーリトゥードは、ほとんどサブカルチャーの域を出ない存在となり、試合のほとんどは、マーシャル・アーツの道場や小さな体育館で行なわれていた[要出典]。サブカルチャーとしてのバーリトゥードは、主としてリオデジャネイロで行なわれていたが、北部地方 (Região Norte) や南部地方 (Região Sul)、さらにカポエイラが盛んなバイーア州でも、数多くの試合が行なわれた。リオデジャネイロのシーンでは、ブラジリアン柔術ルタ・リーブリの抗争に焦点が当てられていたが、他の地域における興行では,より広く様々なマーシャル・アーツが競う形態となることが多かった[要出典]

1990年代以降[編集]

1970年代、有名なグレイシー一族のひとりであるホリオン・グレイシーが、アメリカ合衆国へ移住し、1993年にはアルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ (UFC) の創設を支援して、新たな市場にバーリトゥードを紹介した[6]。UFCの大成功によって、バーリトゥードは一挙に世界中へ拡散し、特に日本で盛り上がるとともに、本国のブラジルでも人気が復活したのみならず、新たな人気の高まりを見せるに至った。この当時、最も注目された興行には、Desafio、ユニバーサル・バーリトゥード・ファイティング (Universal Vale Tudo Fighting, UVF)、ブラジルにおけるブラジリアン・バーリトゥード・ファイティング (Brazilian Vale Tudo Fighting, BVF)、日本における修斗が開催した諸々のイベント、特に最も重要なVALE TUDO JAPANなどがあった。しかし、1990年代において最高峰の大会となっていたのは、World Vale Tudo Championship (WVC)International Vale Tudo Championship (IVC) であり、1990年代を通してブラジルのテレビやペイ・パー・ビューで放映されていた[要出典]

WVC も IVC も、ブラジルの経済活動の中心地であるサンパウロに拠点を置き、後の総合格闘技のスターたちの多くに、世に出る機会を提供していた。しかし、サンパウロ州が、バーリトゥードの試合に、スポーツ行事としての認可を与えることを禁じるようになると、両団体とも衰退し、2002年以降は興行が行なわれなくなった。

2000年代はじめには、ジャングル・ファイトBitetti Combatといった新たな団体が、伝統的なバーリトゥードのルールではなく、より安全な総合格闘技のルールを導入するようになった。しかし、Meca World Vale TudoやRio Heroesをはじめ、一部の団体は伝統的なルールを維持している。

今日でも、バーリトゥードの興行はブラジル全土で盛んに行なわれている。しかし、この競技が暴力的で、流血沙汰も絶えないことから、興行はアンダーグラウンドで行なわれており[要検証 ]、メディアで議論の対象となることもしばしばある。スポーツ評論家たちは、バーリトゥードの試合では、米国や日本などで公認されている、より安全な総合格闘技のルールを採用すべきだと論じている。一方、バーリトゥードのサポーターたちは、米国で発展した総合格闘技のルールは、もはや伝統的なバーリトゥードとは大きく異なっており、キックボクシングムエタイの関係のように、全く別のスポーツと考えるべきだ、と反論している。

反則[編集]

「何でもあり」が原義であり、ルールを限定するバーリトゥードは、団体によって、また、試合によって、その都度異なるルールが設定されることもある[7]グレイシー一族は、反則が多いルールで行なわれることを理由に、大会への参加を拒むことがあった[2]

グレイシー柔術で行なわれる、急所攻撃さえ認めるようなもっとも限定的なルールの場合でも、かみ付きと、目への攻撃は反則とされる[8]。米国のUFCは、これに加えて、急所攻撃や頭突きなどを反則としている[7]。他の格闘技でしばしば反則とされる、顔面への打撃や関節技が正当な技として用いられる点は、バーリトゥードの特徴であり、寝技で相手の上に馬乗りになって顔面を打撃し、相手が打撃を逃れようとうつぶせになる所で首を絞める,という展開がしばしば見られ、馬乗りの体勢となることが「定石」とされている[9]

出典・脚注[編集]

  1. ^ European Vale Tudo. About European Vale Tudo. www.europeanvaletudo.com. URL last accessed on April 28, 2006.(2006年4月28日時点のアーカイブ
  2. ^ a b c 大野宏 (2004年2月27日). “「何でもあり」の衝撃(総合格闘技六話:その1)”. 朝日新聞・朝刊: p. 14  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  3. ^ Walter, Donald F.. “Mixed Martial Arts: Ultimate Sport, or Ultimately Illegal?”. grapplearts.com. 2006年4月28日閲覧。
  4. ^ Boxing booth – Boxrec Boxing Encyclopaedia. Boxrec.com. Retrieved on 2012-01-08.
  5. ^ 出典と推定される記事: "Jiu Jitsu," Time, September 24, 1928.
  6. ^ History of Jiu-Jitsu: Coming to America and the Birth of the UFC. Bleacher Report. Retrieved on 2012-01-08.
  7. ^ a b “競技性高めるPRIDE(総合格闘技六話:その5)”. 朝日新聞・朝刊: p. 14. (2004年3月4日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  8. ^ 村山正司 (1994年3月9日). “格闘技に残る戦いの原点 作家・夢枕獏さん(現代のスポーツ考:3)”. 朝日新聞・夕刊: p. 7  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  9. ^ “グレイシー神話を超えて(総合格闘技六話:その2)”. 朝日新聞・朝刊: p. 10. (2004年3月1日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧

外部リンク[編集]