ノート:やおい/過去ログ1

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なぜやおいになるのか[編集]

  この項目が追加された理由と、この項目名になってる理由と、何を指した説明なのかが分からないのだけど。削除していい?Yasaikyo 2006年6月13日 (火) 11:47 (UTC)

この項目は要らないと思います。思春期でやおいにいくという解釈は正しくないと思います。自分を男の子キャラに置き換えるとか、少年漫画を好んで見るという女の子は幼稚園、小学生から始まります。----匿名060718

ホモソーシャル[編集]

なんか何処にいってもこの単語が出てくるな。やおい愛好家の傾向は別項目だから関係ないだろうに。 愛好家の傾向は腐女子かおたくの項目に記述されるべきだが、それ以前に事実と違うからアウトだろう。 --yasaikyo 2006年05月22日

ホモソーシャルに関する記述の削除・差戻しで編集合戦気味のようです。

  • この部分の存続を主張されるBieliznaさんへ: 大変興味深い内容ではあるのですが、このような解釈は私は初めて聞くものですので、どのような文献でそのような指摘がなされているかを示していただけないでしょうか?
  • yasaikyoさんへ: 主張は理解できるし、どちらかというと私はyasaikyoさんを支持する立場ですが、できればノートでも要約欄でも言葉を荒げないよう注意していただけますでしょうか。Wikipedia:議論が白熱しても冷静にをご覧下さい。

--cpro 2006年5月23日 (火) 23:35 (UTC)

そりゃあ悪かった。 「荒らしのためrev」って言われたのが二回目だった物でね。 --yasaikyo 2006年05月23日

ホモソーシャルの項を追加したのは自分ではないです。yasaikyoさんが議論なしに繰り返し削除を行うためrevertしただけです。(Bielizna 2006年5月23日 (火) 23:57 (UTC))

その投稿は君のページで見たよ。あと新規の投稿内容は下に掲載してくれよ… --yasaikyo 2006年05月24日 --yasaikyo 2006年05月24日 あ 順番間違えた

最初に記述を加えた218.225.42.15さんにも声をかけておきました。で、もしこの方から応えていただけないようなら、その際は(存続を主張される)Bieliznaさんに記述を残す根拠を示していただければと思います。見る限りホモソーシャルを基にしたやおいの解釈というのはかなり新奇な説(一般に広まっているとは言えない)と思えるので、これが「誰がどこで述べた内容であるか」が示されない限りはウィキペディアには載せない方が無難だというのが私の考えです。--cpro 2006年5月24日 (水) 01:16 (UTC)

やおい自体が一般に広まってないので、別に知られてないのは問題ないと思うんだが、 せめて情報ソースを一緒に載せてほしいと思った。Yasaikyo 2006年5月24日 (水) 01:57 (UTC)

主要なやおいのジャンル[編集]

対象として主要なアニメ等をリストアップしてみたんですが、「○○が入ってないのはおかしい!!」として際限なく追加される危険を感じたためとりあえずコメントアウトしてあります。 このまま追加してしまって大丈夫かやめた方がいいか、アドバイスをお願いします。--Cpro 2005年11月11日 (金) 11:45 (UTC)

面白い試みだと思います。しかし、ただ作品を羅列するだけでは混乱すると思います。同人誌と連動しているわけなので、たとえば、コミケットでのやおいジャンルの推移とか、そういう整理の仕方はどうでしょうか。最初は少女マンガやロックバンドもの?で、そのあとにアニメ、それからジャンプ系、ゲーム系と広がっていったんですよね。--匿名
やめたほうがいいね。メジャーどころを延々とリストアップする羽目になるし、掲載順の話で信者同士が喧嘩するかもしれない。追記:署名忘れた…Yasaikyo 2006年5月26日 (金) 20:37 (UTC)

山川純一[編集]

山川純一は明らかに男性向け作家でしょう。やおいに載せるべきではないと思います。古城 2006年5月26日 (金) 15:50 (UTC)

山川純一の事は良くわかりませんが、どうしてテニスの王子様を外すのですか?古鳥羽護 2006年5月26日 (金) 15:55 (UTC)
主要なアニメ等を載せるか上で議論されているにも関わらずテニスの王子様のみがリストアップされているからです。古城 2006年5月26日 (金) 16:02 (UTC)
聖闘士星矢については、本田和子著 NHK人間大学「少女へのまなざし」(絶版)にて、「美少年誘拐事件」と評する記述があるので、この時代の少年漫画がやおい趣味の走りで、当初は性的同人誌に苦言を呈していた雑誌側も、最近はむしろ女性向けに美少年キャラクターを売り込んでいるわけですが、こうした流れについて言及した出版物があると良いのですが。議論の終結を待つ事には同意します。 古鳥羽護 2006年5月26日 (金) 16:09 (UTC)

やおいが同性愛者差別になっているのか?[編集]

>一方、ゲイ男性や同性愛を弄び、それらを揶揄・侮蔑している、つまり性的少数者に対する人権侵害だという批判もある。

確かにそういう批判は昔からあるのだけど、実際に同性愛者自身が迷惑を蒙ったり、気分を害したという話は聞いた事がありません(逆に自ら愛読するケースは結構、大っぴらにはできないけれど聞いている)。当人たちが差別だと思っていないのにもかかわらず、部外者による批判だけが一人歩きしているように見えます。影響力を考えるともう少し書き方に考慮が必要だと思うのですが唯一BL雑誌で一度だけ同姓にレイプされた人物が不快であるという旨の投稿をしていたのを見たのですが(ただ被害者は同性愛者ではない)。--210.139.67.68 2007年6月12日 (火) 15:25 (UTC)

やおいが不快で差別的だと感じるゲイの方がいるから、そういう批判が昔からあるのです。たとえば薔薇族1997年4月号にはやおい批判の記述があります。ここにリンクは貼りませんが、ネットで発言しているゲイの論客の方は、「石原慎太郎の同性愛差別とやおいのゲイ差別は同類であり、石原以上のゲイ差別をしているのがやおいだ」と述べています。部外者ではなく、当事者は差別反対の声を上げているのです。
なぜゲイが やおい や やおい女性に不快感を持つのか、少し説明します。私はゲイですが、ゲイの性愛の対象は男性です。女性には生理的な抵抗感があります。ゲイなら当然のことです。異性愛女性も、同性の女性には生理的な抵抗感を持つと思います。それと同じことです。それなのに女性にゲイの世界にずけずけ足を踏む入れられると、セクハラをされたという感覚になります。2丁目のゲイバーやクラブのゲイナイトに来る腐女子が今は大勢います。こないだゲイナイトに行ったら女性ばかりで驚きました。ゲイが男性同士の出会いの場を求めてゲイナイトやゲイバーに行くのに、そこに異性愛女性がいるのです。これはゲイにとってはありがた迷惑です。あなたが異性愛女性なら、もし、レズビアン女性に言い寄られたら、と想像してみてください。セクハラされたと思うでしょう。ゲイにとっては女性は同性に近い存在です。それが一方的に付きまとわれると、レズ行為を強要されたような、被セクハラ感情を抱くのは自然なことだとご理解ください。やおいに対する反感の根底にはそういう感情があるのです。--123.198.30.228 2012年4月7日 (土) 14:27 (UTC)
具体的なやおい批判としては、ゲイの佐藤雅樹氏による「少女マンガとホモフォビア」(1996年クィア・スタディーズ)などがあります。そこでやおいはゲイを差別し、抑圧していると論じられています。作品の中身への批判だけではなく、やおい女への夥しい批判はネット上に溢れています。私自身ゲイですし10代の頃はJUNEに嵌りましたが、作品に対してより今は、女性たちに土足でゲイの世界に足を踏み入れられることへの不快感を感じます。ゲイにとっては女は同性です。だからレズからセクハラを受けている感覚です。--219.98.31.141 2012年4月8日 (日) 02:18 (UTC)

ノートページへの「2012年4月8日 (日) 02:18」の編集(差分)にて、210.139.67.68さんの発言に要出典タグの貼り付けが行われていましたが、このタグは記事空間で出典の示されていない記述に対して情報源の提示を求めるためのものであってノートページでの使用を前提とされたものではないため、テンプレートを剥がしました。--貿易風会話2012年5月8日 (火) 03:05 (UTC)

差し戻しの説明[編集]

「2011年4月18日 (月) 12:21」の編集(差分)を差し戻しましたが、要約欄には意図を書ききれないためかもしれないためここで説明しておきます。まず、男性同性愛者から批判があることについては「やおいをめぐる論考」の節の「やおいと男性同性愛」のサブセクションで言及されており、「概要」の節でわざわざ書く必要はないと考えます。次に、いわゆる「ナマモノ」が法的・倫理的な問題を引き起こす可能性や、セクシュアルハラスメント差別用語ヘイトスピーチといった問題が俎上に挙がっているという部分についてですが、この内容はぼくが「2011年4月11日 (月) 04:11」の編集(差分)に出典が示されていないことを理由に除去した部分ですので、復帰するのであれば記述内容の妥当性を裏付ける情報源を出典として提示した上で、お願いします。--貿易風 2011年4月19日 (火) 03:41 (UTC)

「ノーマルカップリング」の記述について[編集]

HODGEさんによって「ノーマルカップリング」という用語に関する記述が2回にわたって除去されていますが(1回目2回目)、その理由が示されていません。2回目の要約欄では、

野火ノビタという人物がすべての原因なのか? ナチス御用学者がユダヤ人を「ノーマルではない=劣等」と示し、広め、既成事実化したように。

と記載されていましたが、これは問題となっている箇所を除去する理由の説明にはなっていません。カップリング (同人)での編集の際の要約欄などを考慮すると、HODGEさんはこの用語について同性愛者に対する差別であるとお考えのようですが、(ノート:カップリング (同人)でも説明した通り)Wikipediaではあくまで「ノーマルカップリング」という用語が実際に使われているという客観的事実を提示しているだけであり、同性のカップルが劣等であるといった価値判断を行っているのではありません。編集合戦を避けるためすぐには差し戻しませんが、この発言から1週間ほど様子を見てノートで反論などがなければ除去された部分は復帰しますので、異論がある場合はここで述べてください。--貿易風 2011年4月22日 (金) 01:15 (UTC)厳密にはこっちの記事で記載されているのは「ノーマル」だったので修正。--貿易風 2011年6月18日 (土) 01:15 (UTC)

1週間以上経過したので復帰しました(差分)。--貿易風 2011年5月3日 (火) 02:38 (UTC)
ひとまず差し戻し直しされていることを確認しました。ノートでの提案の上での復帰、それに対するノートでの意見表明なしの除去であるため、何らかの対処があるとしても、全保護ではなく(参考:WP:PROTECT#保護をかけてもよい場合 1-3≪ノートページ、要約欄などでの意志疎通の試みが全くない≫に該当しない)、除去者に対して投稿ブロックが適用される(参考:WP:BP#対象行為の例示 8.1 ≪ノートページ……における議論の拒否や妨害≫、WP:BP#議論の拒否や妨害 「対話のための投稿ブロック」)と信じています。
ともあれ、復帰賛成を表明しておきます。……と書いているうちに、「Wikipedia:コメント依頼/HODGE」が提出されたようです。ひとまずご連絡まで。--NISYAN 2011年5月3日 (火) 13:31 (UTC) かなり前に提出されていたもののようなので、事実誤認ということで取り消し線を入れておきます。--NISYAN 2011年5月3日 (火) 13:33 (UTC)

出典の書き方について[編集]

「2011年5月14日 (土) 17:08」および「2011年5月14日 (土) 17:16」での編集(差分)で出典の形式の変更が行われましたが、適切ではないと思える点があったため(おそらく大変な手間をかけてくださったんだとは思うのですが)いったん差し戻しさせていただきました。以下で説明します。

差し戻し前の版では、「本文で一度でも参照された資料はすべて参考文献の節に列挙する」という状態になってしまっています。参考文献の節にはやおい(BL・腐女子)という文化を理解する上で助けになる主要文献を記すべきであって、例えば『逃走論―スキゾ・キッズの冒険』『女の人生すごろく』『キャラクター文化入門』のような、「基本的にはやおいを論じた本ではないが、一部で言及がみられるためそこを参照している」だけの文献まですべて含めてしまうのは適切ではないかと思います。Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方では、本文中に注釈を挿入する形で出典を提示するケースについて、

  • 出典が参考文献の節に記載されている文献である場合は、文献の著者姓・発行年や参照順番号で文献を指し示します。

と書いているので、脚注として参照したすべての文献を参考文献に含めなければならないということではないはずです。

それから{{Cite book}}のテンプレですが、この記事で使われている文献は現時点ではすべて和書なので、もしこのテンプレを使うならそれぞれ和書の引数を入れる必要があります(差し戻し前の版では洋書仕様になっていました)。和書仕様にすると自動的にタイトルに二重鍵括弧がつくので、title=のあとのところの『』は不必要になります。また、雑誌については{{Cite book}}ではなく{{Cite journal}}を使うことになっています。

さらに、脚注で「姓+年+頁数」の形で文献参照するにしても、参照先が雑誌記事の場合に「雑誌名+号数+頁数+(著者名)+記事名」という形で明記するのはやや不自然に感じました。この方式でいくなら、参考文献の節では雑誌類(あるいは複数の論文が所収されている書籍)については記事毎・論文毎の単位で資料を列記し、本文で脚注として参照する際には書籍の場合と同様に「姓+年+頁数」で指定するのが自然なのではないでしょうか。

現在の出典明記方法は、基本的にはWikipedia:出典を明記する/個別参照法の「番号参照」を行い、「参考文献に挙げられているもの、すでに脚注で既出のもの」に関しては書誌情報を省略して「資料名+頁数」で参照するという形式をとっているわけですが、(とりあえず今回行われた変更は全体としては不備が目立つと考えいったん全部戻すことにしたということなので)現状の参照形式の「資料名+頁数」から「姓+年+頁数」へあらためたほうがいいという方がいらっしゃるのであれば、あらためてそのように変更していただいてもそれはかまいません。--貿易風 2011年5月17日 (火) 02:35 (UTC)

まず出典の形式変更については、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/やおい 20110514における出典の提示方法に問題があるとの指摘を受けてのものです。そこで指摘されたように他の秀逸、良質な記事の出典の提示方法を参考にしてこの形式としました(参考元としてはテンポイントエナメル質)。エナメル質では「本文で一度でも参照された資料はすべて参考文献の節に列挙する」状態になっていたためそれに倣いましたが、この点に関しては主要出典と他の出典が同列に並べられて見難いのは私も感じてまして、良質な記事の選考中にあれこれいじるのもと思い選考終了後に改善しようと思っていた部分でもあります。{{Cite book}}のテンプレの和書の引数を入れていなかったことや雑誌もCite bookにしていたのは私の手落ちです。雑誌中の記事名に関しては良い方法が分からず、ひとまずそうしておいただけですので、貿易風さんの提案された形でよいと思います。また、参照形式についても他の秀逸な記事に倣っただけですし、資料名がある方が分かりやすいというのであればそれでも良いと思います。ただ、現在の出典の提示方法では良質な記事の選考で指摘されているように問題なのはその通りであるように思いますし、テンプレの引数や雑誌中の記事名等については上記指摘に沿って訂正し、主要文献と非主要文献とは分ける形で分かりやすく列挙しようかと思います。つきましては、一旦出典を整理した私の版からの方が再整理がやりやすいので(書誌情報の補強等もありますし)、貿易風さんとの合意が取れれば再度差し戻し、そこから改善していきたいと思います。--重陽 2011年5月17日 (火) 09:33 (UTC)
つまり現在の状態でいうと、「参考文献として挙げられておらず、なおかつ同一資料(の別箇所)を複数回にわたって参照している場合について、2回目以降の脚注をみてもその書誌情報がすぐにはわからない」のが困るということでしょうか?
であれば、2回目以降のところにそれぞれ「前掲」と書いておくか、あるいは参考文献の節の文献リストと脚注リストの間のところに「同一文献を複数回参照している箇所では、2回目以降は資料名以外(or著者姓・発行年以外)の書誌情報は省略した」というような注意書きを添えておいたりすればそれでいいような気もしますが…。
なんらかの再整理をするにあたって作業の都合上いったん「2011年5月14日 (土) 17:16」の版に戻してから行ったほうがやりやすいということであれば、それについてはもちろんかまいません。--貿易風 2011年5月18日 (水) 13:07 (UTC)
2回目以降の参照において注意書きを添えても、膨大な脚注リストの中から1回目の参照がどこにあるのかを探し出さなければならないのは分かりにくく、脚注中と参考文献節に書誌情報が散逸しているのも非常に参照性が悪いように思います。また現在の版では例えば「金田淳子『文化の社会学』」が1回目の参照部分ではなく3回目の参照部分に書誌情報があったり、「杉浦由美子『オタク女子研究 腐女子思想大系』」では5回目の参照部分に書誌情報があったりと一部散逸しており、随時加筆されていくWikipediaの特性上仕方のないことだとは思いますがこれも非常に参照性を悪くしているように思います。このような点における参照性の悪さは、良質な記事の選考の指摘を受けて実際に出典整理を行っていて一番感じた部分でもあります。一旦書誌情報は参考文献節にまとめた上で主要文献と参考文献の小節に分けて、「やおい」についてかかれた文献と、文献の一部で「やおい」について触れられているだけのものを分別提示することで、参照性のよさと文献の重要度の差別化を両立できるのではないかなという案を考えているのですがいかがでしょうか?主要かそうでないかの区別は、現在参考文献として挙げられているものとそうでないものとで分けようと思っています。--重陽 2011年5月18日 (水) 14:05 (UTC)
たしかに省略箇所(の順序)がおかしくなっているところがありますね…。とりあえずの対処としてご指摘の2文献は直しておきました(差分)。この記事では脚注の個数自体がかなり多くなってしまっているので、大まかな方向として重陽さんの案(書誌情報と脚注は分離するが、文献リストを主要なものとそうでないものに分ける案)に異論は無いのですが、もし脚注での参照方法を現状の「資料名+頁数」から「姓+年+頁数」に変更する場合、ちょっと気になることがあります(変更しないのであれば以下は無視してください)。
前々回のコメントでぼくは
  • この方式でいくなら、参考文献の節では雑誌類(あるいは複数の論文が所収されている書籍)については記事毎・論文毎の単位で資料を列記し、本文で脚注として参照する際には書籍の場合と同様に「姓+年+頁数」で指定するのが自然なのではないでしょうか。
と指摘していて、これについて
  • 雑誌中の記事名に関しては良い方法が分からず、ひとまずそうしておいただけですので、貿易風さんの提案された形でよいと思います。
とのお返事をいただいていたわけですが、もし実際に(現在参考文献に挙げられている)『ユリイカ』の2007年6月臨時増刊号と12月臨時増刊号に収録されている論文を個別に参考文献節に列挙することになった場合、それらの論文の扱い(主要とみなすか否か)はどのようにお考えでしょうか?
ぼくが加筆したときの意図としては、『ユリイカ』の2007年6月臨時増刊号と12月臨時増刊号に収録されている文献論文はいずれもやおい・BL・腐女子関連のものであるためこの2冊をそれぞれ主要文献とみなして参考文献節に提示しておいたのですが、これら2冊に収録されている個々の論文をそれぞれ主要文献として列挙するのには違和感があります。重複を気にしないのであれば、論文集としてメインの節に2冊を挙げて、個々の論文はサブの節に入れるという手もありますが…。--貿易風 2011年5月19日 (木) 02:16 (UTC)(修正)--貿易風 2011年5月20日 (金) 01:23 (UTC)
主要文献の所にユリイカと個々の論文を列挙するつもりだったのですが、重複を気にせずに主要文献と参考文献の両方に載せて、主要文献ではユリイカのみの書誌情報を載せ、参考文献節に再度ユリイカの書誌情報を載せるとともにその下に下記のような形で個々の論文を並べる形の方が、主要文献を分ける意図から考えればよさそうですね。具体的には、以下のようにしようと思っています。脚注は分かりやすければ特にこだわらないのですが、「資料名+頁数」ですと雑誌を参考にした部分がどうしても雑誌名と論文名とで長くなってしまうため、このようにまとめるなら「資料名+頁数」から「姓+年+頁数」に変更する方がいいのかなと思いました。

== 文献 ==

=== 主要文献 ===

  • ユリイカ 総特集・腐女子マンガ体系』2007年6月臨時増刊号、青土社、2007年6月、ISBN 9784791701636 
  • 『ユリイカ 総特集・BLスタディーズ』2007年12月臨時増刊号、青土社、2007年12月、ISBN 4791701720 
  • 堀あきこ『欲望のコード―マンガにみるセクシュアリティの男女差』臨川書店、2009年。ISBN 978-4653040187 
  • 守如子『女はポルノを読む―女性の性欲とフェミニズム』青弓社、2010年。ISBN 978-4787233103 
  • 以下略

=== 参考文献 ===

  • ユリイカ 総特集・腐女子マンガ体系』2007年6月臨時増刊号、青土社、2007年6月、ISBN 9784791701636 
    • 三浦しをん・金田淳子「「攻め×受け」のめくるめく世界 男性身体の魅力を求めて」。 
    • 渡辺由美子「青少年漫画から見る「やおい」」。 
    • 以下略
  • 『ユリイカ 総特集・BLスタディーズ』2007年12月臨時増刊号、青土社、2007年12月、ISBN 4791701720 
    • 小谷真理「腐女子同士の絆 C文学とやおい的な欲望」。 
    • 吉本たいまつ「「オタク喪男」とボーイズラブ 801ちゃんと一緒に」。 
    • 以下略
  • 浅田彰「スキゾ・カルチャーの到来」『逃走論―スキゾ・キッズの冒険』筑摩書房、1984年。ISBN 978-4480841384 
  • 東浩紀斎藤環小谷真理『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』青土社、2003年。ISBN 978-4791760091 
  • 以下略
このような感じですがどうでしょうか?--重陽 2011年5月19日 (木) 21:51 (UTC)

(インデント戻し)はい、その案でいいと思います。これで一通り合意形成できたかな…?--貿易風 2011年5月20日 (金) 01:23 (UTC)

ありがとうございます。それでは、合意は形成されたとして作業に入りたいと思います。ただ、私の個人的な都合で作業できるのは早くても日曜の夜からですので、ひとまず記事は現状でおいておきますね。--重陽 2011年5月21日 (土) 00:43 (UTC)
再度整理されているのを確認しました(差分)。お疲れさまでした。
同一著者でなおかつ同一年発表の資料はアルファベットの添え字をつけて参照するようになっていますが、a,b,c…というのが具体的にどの資料に対応しているのかわからない状態だったので(クリックすればわかるみたいですがプリントアウトされたものを読むケースも想定したほうがいいと思うので)、とりあえずテンプレの末尾にアルファベットをつけておく感じにしました(差分)。もしかしたら別のところ(author=やyear=のところとか)につけたほうがいいかもしれません。--貿易風 2011年5月24日 (火) 03:22 (UTC)
訂正ありがとうございました。添え字の件は確かに「クリックすれば分かる」だけでは不親切ですね。そこまで気が回ってませんでした。場所としては脚注部分に合わせてyear辺りがいいかもしれませんね。また時間があるときにやってみます。この度は手落ちの多い改編でお手数おかけしましたことお詫びいたしますと同時に、重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。--重陽 2011年5月24日 (火) 16:37 (UTC)

差し戻しの説明(その2)[編集]

さきほど「2011年6月10日 (金) 08:51」の版まで差し戻しを行ったので(差分)、意図をここで説明しておきます。

まず、「2011年6月10日 (金) 08:53」の編集(差分)で「現実のゲイの間では」が「現実のレズビアン達の間では」になおされていたところについて。「リード役/被リード役」という意味での「タチ/ネコ」という用語自体は現在では男性同性愛者(ゲイ)の間でも女性同性愛者(レズビアン)の間でも使われていますが(実際、ゲイ用語レズビアン用語の記事の両方で挙げられています)、この記事では男性同性愛を描く創作物についての説明を行っており、特に問題の箇所は「挿入する方」「挿入される方」について言及したあとでの文脈なので「レズビアン用語」として紹介するのは不適切です。

それから直後の「2011年6月10日 (金) 08:54」の編集(差分)ではレディースコミックが関連項目に追加されていましたが、これは記事内の複数箇所で言及済みであるため、特に関連項目の節に挙げる必要は無いかと思います(Wikipedia:関連項目も参照)。

ということで、これら2つの編集が行われる直前の版まで、戻しました。--貿易風 2011年6月20日 (月) 03:36 (UTC)

「やおいをめぐる論考」での出典者について[編集]

やおいをめぐる論考で、各論者がやおいについて論じた説が引用されています。しかし、その人のオリジナルな意見ではないことが、あたかもオリジナルの意見であるかのようにされていることに疑問を感じます。例えば下記の4人の説がそうです。

「金田淳子は、(中略)やおいによってまなざす主体性(性的欲望を持つ主体性)を獲得することができるとしている」
「藤本由香里も、やおい表現に、犯る側の視線、見る側の視線の獲得という意義を見出しており、高橋すみれも前述したようにやおい系作品では女性キャラクターがまなざす主体として描かれていることがあることから女性が性的視線の主体性を獲得できるとしている」
「榎本ナリコは、通常の男女の性愛では、両者の生殖器の生物学的な構造上から、男性側が欲望の主体で女性側が客体となることが事実上義務付けられている。しかし、現実世界では欲望の主体性になれない女性であっても、やおい系作品の攻めの男性キャラクターに感情移入しているときは、擬似的に欲望の主体となることができる」

引用したのはほんの一部ですが、これらのことは中島梓や上野千鶴子が先に述べていることです。 例えば藤本さんの『私の居場所はどこにあるの?―少女マンガが映す心のかたち』は1998年3月刊行であり、上野の『発情装置』は同年の1月です。どれも金田さん、高橋さん、藤本さん、榎本さんのオリジナルではありません。榎本さんの「両者の生殖器の生物学的な構造上から~」の部分だけはオリジナルといえるでしょうか。でも主体性や能動的視点の獲得とは、やはり中島や上野が先にいっています。私が知らないだけで、80年代に既に女性漫画家らが言っていたかも知れません。それを新しい論者のオリジナルであるかのように書くのは、アカデミズムの世界では知識の盗用といい、マナー違反だと言っておきます。削除するほどではないかな、と思ったので一言申し沿えておきます。--123.198.30.228 2012年4月7日 (土) 14:28 (UTC)

コメント 私は同書を持っていませんので内容を確認できないという理由から修正は困難ですが、記事は半保護されているわけではないのでIPさんでも編集可能な状態です。もしよろしければ、出典記載の上、記事を修正していただくことは可能でしょうか?あるいは、記事に記載することを躊躇われる何らかの事情(出典記載部分の体裁が判らないなど)があるなら、ノートに修正文案を記載いただけないでしょうか?つまり、≪中島梓は……と言っている。≫≪上野千鶴子は……と言っている≫というレベルの文案をページ数の情報を含めて記載いただければ、私が代理で、体裁を整えて記事に反映することはやぶさかではありません。--NISYAN会話2012年4月7日 (土) 21:03 (UTC)
123.198.30.228 です。コメントありがとうございます。極論すれば中島さんの「美少年学入門」(84年)「コミュニケーション不全症候群」(91年)「タナトスと子供たち」(98年)、上野の「性愛論」(91年)「発情装置」(98年)の5冊で、「やおいをめぐる論考」に書かれていることの殆どは言い尽くされています。本は持っているのですが、なんせ極度の疲労と多忙の為、文献を開いて引用し、UPする気力が今はわきません。それらの著書は非常に多岐にわたって少年愛に言及されており、該当箇所などを探し出すのも労力を要するからです。余裕が出てきたらするかも知れません。--219.98.31.141 2012年4月8日 (日) 02:26 (UTC)

「発生から現在までの経緯」の節について[編集]

「2012年4月7日 (土) 14:50」の編集(差分)についてです。
1点目。「2007年頃から腐女子ややおい・ボーイズラブといった文化もメディアで取り上げられるようになった(腐女子も参照)。」という記述がコメントアウトされて代わりに「近年は、腐女子ややおい・ボーイズラブといった文化もメディアで取り上げられることが多くなった。」が追加され、さらに
1980年代に既にテレビのワイドショーでボーイズラブは取り上げらています。確か1990年前後のバブル時代、テレビ朝日「こんにちは2時」に中島梓さんがVTR出演し、ボーイズラブについて語っています。同時期にフジテレビの朝の情報番組にも中島さんは出ています。1991年のトゥナイトでもゲイに関心を持つ女性が取り上げられました。2007年からというのは根拠のないデタラメだと思います
という指摘がコメントアウトで埋め込まれています。2007年うんぬんという記述の根拠となっているのは、参照先の腐女子の記事の「概要」の節に書かれた同様の記述の出典として挙げられている吉本たいまつさんの論文「「オタク喪男」とボーイズラブ 801ちゃんと一緒に」です。もちろん2007年頃までにもやおい・ボーイズラブ文化がメディアで取り上げられることが一切無かったということはないでしょうが、この文章の趣旨としては「その頃(2007年後半頃)にメディアへの露出が急激に上がった」ということです。そのニュアンスが伝わるように文章表現を修正するのはいいと思いますが、「2007年頃」という数字自体はデタラメではなく根拠のあるものであり、また有益な情報だと思いますので残したほうがいいと思います。また、「近年」という表現はWikipedia:すぐに古くなる表現は使わないの観点から問題があります。
2点目。「また、腐女子と同様の嗜好を持つ男性(腐男子)も全体から見れば少数ではあるが現れるようになった。」という記述がコメントアウトされ、代わりに「ボーイズラブ作品を読むゲイ男性(腐男子)も全体から見れば少数ではあるが存在する」という記述が追加されています。さらにコメントアウトとして
ゲイにもボーイズラブを読む人はいますが、腐女子と同様の嗜好というわけではありません
という文章が埋め込まれているのですが、そもそも腐男子とは基本的には「(腐女子のように)やおい・ボーイズラブ作品を好む男性」を指し示す言葉であり、本人がゲイ(男性同性愛者)であるかとは関係がありません。「ゲイでありかつボーイズラブ作品を楽しむ男性」が存在すること自体は守如子さんが『女はポルノを読む―女性の性欲とフェミニズム』で指摘していますが、ここでいっているのは本人がゲイであるかとは無関係に「やおい・ボーイズラブを好む人の中には、少数ではあるが男性も存在する」ということです。つまりここでいう「(腐女子と同じ)嗜好」とは「やおい・BLものの創作物を好む」という意味で使っているわけで、(同じ読みの)「性的指向」と紛らわしいということであればそれに配慮して表現をかえてもいいとは思いますが、「ボーイズラブ作品を読むゲイ男性(腐男子」という表現だと読者に「腐男子=ゲイ」という誤解を与えかねないため好ましくないと考えます。
以上のことから、それぞれ1週間ほど待っても特に反論がなければ
  • 近年は、腐女子や…」を「2007年頃から、腐女子や…」と直し、文末の「腐女子も参照)」の部分も復帰する。
  • コメントアウトされた「また、腐女子と同様の嗜好を持つ男性(腐男子)も全体から見れば少数ではあるが現れるようになった。」という部分を「また、やおい・ボーイズラブ作品を好む男性(腐男子)も全体から見れば少数ではあるが現れるようになった。」とした上で復帰する。「また、ボーイズラブ作品を読むゲイ男性…」の部分は除去。
というように編集しようと思います(また、記事内容へのツッコミは記事へコメントアウト状態で埋め込むのではなくノートで行うのが適切なので、コメントとして残された文章部分も同時に除去するつもりです)。異論があればこの下にお願いします。--貿易風会話2012年4月10日 (火) 07:27 (UTC)
文章を変えたのは私です。吉本たいまつさんがそういっているのは事実でしょうが、その説がまず疑わしいのと、2007年より前の1980年代さえ、フジテレビやテレ朝のワイドショーでやおいは肯定的に取り上げられていたことは事実であり、「2007年頃から腐女子ややおい・ボーイズラブといった文化もメディアで取り上げられるようになった」では問題があり、デタラメです。「その頃(2007年後半頃)にメディアへの露出が急激に上がった」というニュアンスに文章表現を修正するのなら賛成です。
腐男子について。私はゲイですが、男同士の恋愛を扱った作品を読む事自体、ゲイ(バイセク含む)だと思います。異性愛者男性はまず好んで男性同性愛作品を読むことはありません。異性愛男性が腐女子と同じ嗜好だというのは無理がある解釈です。「腐男子=ゲイという誤解を与えかねない」といますが、誤解ではありません。「ボーイズラブ作品を読むゲイ男性…」という記述は問題を感じません。
「腐女子と同様の嗜好を持つ男性」について。異性愛女性がやおいを読むのは、異性愛作品では満たされない何かがあるからでしょう。それと同じ嗜好でBLを読んでる(例えば能動的視点を獲得したいため、男になって男を愛したいためなど)わけでは男性はありません。またゼロ年代に腐男子(私はこの言葉は嫌いですが)が現れるようになったわけではありません。現に80年代に私は読んでますし、80年代に行ったコミケ会場にも、私と同じ10代のゲイ男性は会場にちらほらいました。従ってゼロ年代半ば頃からとか、2007年以降に「腐男子が現れるようになった」では問題があります。やはりここは「近年は(略)存在する」でいいと思います。それか年代を特定せず、「現れるようになった」とするのなら異論はありません。--121.103.29.12 2012年4月11日 (水) 06:37 (UTC)
1点目。確認しておくと、ぼくがここで提案しているのは、現状の版(すなわち、IPさんが変更を加えたあとの版)を基準として「近年は、腐女子や…」のところを「2007年頃から、腐女子や…」と直すということです。IPさんがすでに実行された、「取り上げられるようになった」を「取り上げられることが多くなった」に変更したところについてはそのままにしますので(元に戻しませんので)、この論点についてIPさんにとっても納得のいかない提案にはなっていないと思います。もしそれでもなお不都合があるというでしたらあらためてご指摘ください。
2点目。IPさんは、
男同士の恋愛を扱った作品を読む事自体、ゲイ(バイセク含む)だと思います。異性愛者男性はまず好んで男性同性愛作品を読むことはありません。
とおっしゃっていますが、そんなことはありません。「腐男子」という俗語の定義はあくまで「やおい・BLを好む男性」という創作物の水準での嗜好によるものであり、本人の現実世界での性的指向(ゲイか否か)とは無関係なものです。例えば本記事でも出典として用いている金田淳子さんの「ヤオイ・イズ・アライブ わかりたいあなたのための、やおいマンガ・マップ」という論文では腐男子・腐兄を「やおいを愛好する男子」として定義しており、そこには性的指向に関する条件は含まれていません。下に参考になりうるネット記事のリンクを置いておきますのでこれもごらんください。
この記事に登場するサンキュータツオさんの例からもわかるように異性愛者でかつやおい・BLを好む男性はふつうに存在するわけで、「やおい・BLを好む男性はすべて同性愛者(or両性愛者)である」(あるいは対偶を取って「異性愛者の男性がやおい・BLを好むことはない」)という主張は誤りといえます。また、Wikipediaで典拠にできるような水準の情報源ではありませんが、おまけとしてこの話題を扱っているQ&Aサイトのログも置いておきますのでよかったらご覧ください→[1][2]
文末の「現れるようになった」についてですが、1点目の「やおい・BLがメディアに頻繁に取り上げられるようになった時期」の話と同様に、それまでは全く腐男子がいなかったわけではないでしょうから、確かに表現をかえたほうがいいかしれません。存在したかどうかという水準で言えばかなり初期の頃から現在でいう腐男子の人は存在したのだろうと思いますが、吉本たいまつさんの論文「男もすなるボーイズラブ」によれば2000年頃にはごく少数だったコミケのオリジナルBL日の男性の人数が2004年頃から増え始め、「腐男子」「腐兄」といった言葉の浸透とともにそれを自称して作品のレビューなどをする男性が目立ち始めたとのことなので、用語の浸透とともにゼロ年代前半頃から数が増えてより広く認知されるようになった、というような形で書くのがいいと思いました。それと、「(腐男子が)全体からみれば少数」という情報自体は「発生から現在までの経緯」の節ではなく「概要」の節の腐男子の説明の段階で書いたほうがいい気がしてきたので、まとめて
  • 「概要」の節について、「男性の愛好者のことは腐男子(ふだんし)・腐兄(ふけい)と呼ぶが、やおい・ボーイズラブといった嗜好は男性からは嫌悪されることもままある。」という部分を「全体からみれば少数ではあるが男性の愛好者も存在し、腐男子(ふだんし)・腐兄(ふけい)と呼ばれる。ただし、やおい・ボーイズラブといった嗜好は男性からは嫌悪されることもままある。」に変更する
  • 「発生から現在までの経緯」の節に載せる腐男子のくだりは、「また、ゼロ年代前半頃からは腐男子・腐兄といった用語の浸透とともに男性の愛好者も増加し、その存在が認知されるようになった。」とする
というような形で編集するのはいかがでしょうか?
なお、「近年」という表現については、前回のコメントで述べたとおりWikipedia:すぐに古くなる表現は使わないのガイドラインと照らして問題がありますので、なるべく使わないほうがいいです。--貿易風会話2012年4月12日 (木) 04:34 (UTC)
1点目(とコメントアウト状態の意見表明部分の除去)についてはさきほど記事に反映させました(差分)。2点目については、前回のぼくの発言への反応がいまのところありませんが、この発言からさらに1週間ほど経過しても異論などが無いようであれば前回書いたとおりに記事を修正しようと思いますので、もし異論があればこの下にお願いします。--貿易風会話2012年4月17日 (火) 13:25 (UTC)

(インデント戻し)1週間ほど経過しましたが特に反論などは無かったので、予告どおりに編集しました(差分)。--貿易風会話2012年4月25日 (水) 12:56 (UTC)

「やおいをめぐる論考」の節について[編集]

1点目。「2012年4月7日 (土) 13:47」の編集(差分)で、「男性が性的欲望を持ってポルノグラフィを消費することは健全なことだと考えられているが」という部分に要出典が付加された上で
マスターベーションですら異常性愛とされていた歴史を知らないのでしょうか?男性がポルノを消費することは女性より抵抗・偏見は少ないということはあっても、健全だとの通念はないと思います。
との指摘がコメントアウト状態で埋め込まれています。この部分は段落全体がながくぼようこさんの論文「女性たちの"腐った夢"=<やおい小説> <やおい小説>の魅力とその問題性」を出典としており、そのことは記事でも脚注形式で明示されていますが、そこの文脈としては現代の日本の社会状況を説明しているので「マスターベーションですら異常性愛とされていた」時代の話はあまり関係がなく、そもそも要出典タグは出典の示されていない記述に対して貼るものであって「出典は示されているが記述内容自体の正当性に疑問を覚える」ときに貼るものではないので、このタグは外したほうがいいと考えます。ただし、出典となっている論文では「健全なことだと考えられている」とまでは書かれていなかったので、この要出典部分を「若年者向けのものを含む多くのメディアで男性の性的欲望を肯定するようなメッセージが流布している社会的状況があるが」というような表現に直しておいたほうがいいかもしれません。
2点目。「2012年4月8日 (日) 01:15」から「2012年4月8日 (日) 01:45」にかけての編集(差分)において、まず「ネガティヴな解釈が与えていた」という部分が「ネガティヴな解釈を与えているものもあった」と書き換えられていることについて。変更前の「ネガティヴな解釈が与えていた」だと助詞が間違っているので「ネガティヴな解釈を与えていた」と変更することは適当だと思いますが、この段落の出典元である金田淳子さんの論文「やおい論、明日のためにその2。」では、この時期のやおい論(つまり記事本文でいう「「なぜ彼女らは男性同性愛の作品を好むのか?」という問いに対する答えを与えるようなやおいに関する論考」にあたるもの)がネガティヴな傾向にあったことが記述されているので、(単にネガティヴなものが存在したというだけではなくそれが多勢を占めていたということを明確にする意味で)「ネガティヴな解釈を与えていた」という形で修正するのでよいと思います。また、やおい批評が否定的論調から中立・肯定的論調にシフトした時期について、「上野千鶴子の『発情装置』(1998年)の辺りから」との記述が追加されていますが、これは出典元の論文には記載されていない情報のため、現状では「出典を示した上でそこに記述されていない独自の内容が追加されている」という意味で独自研究的になってしまっています。コメントアウトで
ゼロ年代からではありません。上野はまた『性愛論』(1991年)でも、少年愛漫画はジェンダー抜きで人間同士がどれだけ愛せるかということだったのね、と肯定的に発言している。中島梓の『美少年学入門』(1984年)でも竹宮恵子や木原の対談が載っており、対等な関係や葛藤を描きたいから男同士のカップルにする、という解釈をしています。必ずしもネガティブな解釈ではありません
との文章が埋め込まれていましたが、出典の論文で金田淳子さんは上野千鶴子さんや中島梓さんの論評をどちらかといえばネガティブなものとして言及しています。したがって、シフト時期を「上野千鶴子の『発情装置』(1998年)の辺りから」とする部分は変更すべきかと思います。もともとはこの部分に「ゼロ年代に入ると」という記述が入っており、ちょうど出典元の論文では大まかに「ネガティブ群」として言及されている論考が1990年代以前、「中立・ポジティブ群」として言及されている論考が2000年代だったのでこういう書き方にしたのですが、出典元にシフト時期がゼロ年代突入時期だと明示的に書いてあるわけではないので、そこを考慮するならWikipediaの記事でも具体的な時期には言及しない書き方をすることになるかと思います(ちなみにもし金田淳子さんの論文を元に「やおいを肯定的に論じた初期の例」を挙げるなら上野千鶴子さんではなく谷川たまゑさんなりそうです)。
以上のことから、1週間ほど待って特に異論がなければ
  • 社会通念上、男性が性的欲望を持ってポルノグラフィを消費することは健全なことだと考えられているが」の部分を「男性の場合、若年者向けのものを含む多くのメディアで男性の性的欲望を肯定するようなメッセージが流布している社会的状況があるが」とあらためた上で要出典タグを外す
  • ネガティヴな解釈を与えているものもあった」の部分を「ネガティヴな解釈を与えていた」にする
  • それが社会学者の上野千鶴子の『発情装置』(1998年)の辺りから」の部分を「しかし時間が過ぎると」にする
というように変更しようと思います(また、コメントアウト状態で埋めまれた文章も上の節で説明した理由により除去します)。こちらも、もし異論があればこの下にお願いします。--貿易風会話2012年4月10日 (火) 07:27 (UTC)
1点目の「若年者向けのものを含む多くのメディアで男性の性的欲望を肯定するようなメッセージが流布している社会的状況があるが」に改変するのは同意します。
解釈には2つあると思います。なぜやおいになるのか、というテーマへの答えと、やおい作品そのものへの解釈です。私は上野の「発情装置」のBLに関する記述は、そのどちらにおいても「ネガティブ」とは受け取らず、客観的に分析しているという印象を持ちました。中島さんの「摂食障害など心に傷を負った少女がやおいに走る」というような解釈はネガティブとも言えましょうが、男同士の恋愛自体は、「純粋なもの」として肯定的に発言しています。上野もそうです。ただここでは、「なぜ彼女らは男性同性愛の作品を好むのか?という問いに対する答え」であり、上野はその答えにポジティブな回答を寄せているとも言い切れないので、「ネガティヴな解釈を与えているものが多かった」として、「しかし時間が過ぎると」に変更するなら賛成です。「ネガティヴな解釈を与えていた」と断定するのは疑問があります。--121.103.29.12 2012年4月11日 (水) 06:37 (UTC)
ぼくがこの節で提案している3つの事項のうち1番目と3番目のものについては同意していただけているようなので、2番目のものについて書きます。つまり、
  • ネガティヴな解釈を与えているものもあった」の部分を「ネガティヴな解釈を与えていた」にする
という提案についてなのですが、記事本文を見ていただければわかるとおり、この文章は「それらの多くは…」という前置きから始まっています。なので、末尾を「ネガティヴな解釈を与えていた」で結んだとしても全体としては「初期のやおい論は否定的論調のものが優勢(多数派)であった」という趣旨の文章にしかならず、「初期のやおい論は1つの例外も無く否定的論調であった」という断定的な記述にはなりません。むしろ末尾を「ネガティヴな解釈を与えているものが多かった」で結んでしまうと文章全体としては「それらの多くは…、(中略)、…ものが多かった」というような同語反復的な表現になってしまうので、やはり「ネガティヴな解釈を与えていた」でいいのではないでしょうか。--貿易風会話2012年4月12日 (木) 04:34 (UTC)
最初の提案から1週間経過したので、1点目と3点目(とコメントアウト状態の意見表明部分の除去)については記事本文に反映させました(差分)。2点目については、前回のぼくのコメントに対する反応は今のところありませんが、この発言からさらに1週間経ってもこのままであればこれも記事に反映させようと思いますので、もし異論がある場合はこの下にお願いします。--貿易風会話2012年4月17日 (火) 13:30 (UTC)

(インデント戻し)1週間経ったので、こちらも記事本文に反映しました(差分)。--貿易風会話2012年4月25日 (水) 13:01 (UTC)

差し戻しの説明(その3)[編集]

「2013年7月25日 (木) 23:59」~「2013年7月26日 (金) 00:23」の編集(差分)を差し戻したので意図を説明しておきます。
まず、1回目の編集では「偏見に基づく箇所を削除」との要約欄の記述とともに大量の記述が除去されていましたが、それらはいずれもなんらかの専門家・評論家などの著述を出典として記述されたものです。ここに書かれているある見解について、「それは一面的なものであって他の立場からの意見も書かれるべきだ」とお考えであれば、別の出典を用いて他の意見も加筆することで、両論併記(各論併記)によって中立性を保つように編集してください(WP:VWP:NPOVを参照)。仮に、すでに記事に書かれている内容がこの編集を行ったNakatanikibouさんにとっては納得のいかない見解であったとしても、それを理由に除去すべきではありません。また、この編集ではいくつかの新しく書き加えられた記述もありますが、それらには出典が示されていないため検証可能性が満たされていません。記事に情報を書き加える場合は必ず出典を提示するようにお願いします。特に「…鵜呑みにしない事が望まれる。」「反感が付き纏う事は当然であると思われる。」といったように、自分自身の意見を直接Wikipediaの記事に書き込むべきではありませんので、これもご注意ください。
2回目の編集では「冗長な個所を削除」との要約欄とともに大量の記述が除去されていましたが、この内容についても主題から逸脱した散漫な内容ではなく、やおいという文化を理解する上でなんらかの読者の助けになる可能性のある記述だと思います。安易に除去するのではなく、どうしても不要だと思う部分があるなら具体的にその箇所と理由を指摘した上で問題提起をお願いします。--貿易風会話2013年7月27日 (土) 18:31 (UTC)

wikimediaの画像[編集]

ボーイズラブの記事を加筆しているときに、他言語版で画像が使われているのに気が付きました。海外の人が書いたもののようで、日本発祥のやおいの記事に使うのがいいのか悪いのか判断できませんでした。とりあえず張っておきます。

--ジャム・パンナ会話2016年6月8日 (水) 12:11 (UTC)

百科事典的でない内容の整理[編集]

歴史の内容が薄めなことに対して(中国語版みたいに、やおいが根付いた東アジアの話もあった方がいいですね)、論考の節が全体の三分の一~半分くらいあって、百科事典にしては多すぎるように見えます。また、唱えられた説は何でも拾われているように見えるのですが、これだとどんどん増えてしまうのではないかなと思いました。あくまで百科事典で、大学のレポートとかではないので、記事はやおいそのものを中心に、分析は補足的なものでいいと思うのですが。--ジャム・パンナ会話2016年7月17日 (日) 13:39 (UTC)