ニハーヴァンドの戦い

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ニハーヴァンドの戦い
戦争:ニハーヴァンドの戦い
年月日642年
場所イランハマダーン州ニハーヴァンド
結果:アラブ軍の勝利、サーサーン朝の事実上の滅亡
交戦勢力
正統カリフ サーサーン朝

ニハーヴァンドの戦い(ニハーヴァンドのたたかい)は、642年ニハーヴァンド(現在のテヘラン南方)でサーサーン朝正統カリフ時代のイスラーム勢力(アラブ軍)との間に起こった戦い。皇帝ヤズデギルド3世のサーサーン朝軍はアラブ軍に敗退し、サーサーン朝は事実上滅亡した。

背景[編集]

当時、イスラーム成立後の大征服の時代で、正統カリフの下にアラブ・ムスリム軍はアラビア半島から領地を拡大していた。一方、ホスロー2世英語版時代のサーサーン朝は、東ローマ帝国との長い戦いやその後の王位争いなどで国力を消耗しており、カーディスィーヤの戦い英語版636年)でイスラム軍に敗れるなど、オリエントの大国だったサーサーン朝はすっかり弱体化していた。その後も新興のアラブ軍の前にサーサーン朝は敗退を重ね、ついにはアラブ軍がサーサーン朝の本拠地イラクへ進出。首都クテシフォンは陥落し、ザグロス山脈を越えて642年、ニハーヴァンドの戦いが起こった。

戦闘の推移[編集]

影響[編集]

ヤズデギルド3世はエフタルテュルクからの支援を受けようとしたが暗殺され、彼の息子のペーローズ2世は亡命した。