トミスラヴ・イヴコヴィッチ
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| 名前 | ||||||||||||||
| ラテン文字 | Tomislav Ivković | |||||||||||||
| 基本情報 | ||||||||||||||
| 国籍 | ||||||||||||||
| 生年月日 | 1960年8月11日(52歳) | |||||||||||||
| 出身地 | ||||||||||||||
| 選手情報 | ||||||||||||||
| ポジション | GK | |||||||||||||
| クラブ1 | ||||||||||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||||||||||
| 1978-1982 1982-1983 1983-1985 1985-1988 1988-1989 1989 1989-1993 1993 1994 1994-1996 1996-1997 1997-1998 |
通算 |
53 (0) 15 (0) 46 (0) 88 (1) 15 (0) 14 (0) 133 (0) 9 (0) 17 (0) 64 (0) 6 (0) 34 (0) 494 (1) |
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| 代表歴 | ||||||||||||||
| 1983-1991 | 38 (0) | |||||||||||||
| 監督歴 | ||||||||||||||
| 2009 2010 |
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| 1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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トミスラヴ・イヴコヴィッチ(クロアチア語: Tomislav Ivković、1960年8月11日 - )は、ユーゴスラビア出身の元同国代表サッカー選手、指導者。現役時代は上背と長い手足を生かし、ハイボールに強いゴールキーパーとして活躍[1]。1980年代後半からユーゴスラビア代表の正ゴールキーパーを務め、連邦崩壊後はポルトガルリーグのクラブを渡り歩いた。
目次 |
来歴 [編集]
クラブ [編集]
イヴコヴィッチは1978年にディナモ・ザグレブでプロとしてのキャリアをスタートさせた。1982年にミロスラヴ・ブラジェヴィッチ監督と衝突してディナモを退団[2]。半年ほどディナモ・ヴィンコヴィツィに籍を置いた後、1983年にレッドスター・ベオグラードへ入団した。
1985年オーストリアのFCチロル・インスブルックへ移籍。1988年に退団した後、ヴェアナーSC、KRCヘンクを経て、1989年にポルトガルのスポルティング・リスボンへ移籍した。移籍初年度のUEFAカップ・SSCナポリ戦では、当時ナポリに所属していたディエゴ・マラドーナに対し「PKが決まったら100ドルやる、止めたら100ドルよこせ」と話しかけ、動揺したマラドーナはPKを外したというエピソードが残っている[3]。
スポルティングで4シーズン過ごした後、GDエストリル・プライア、ヴィトリア・セトゥーバル、CFベレネンセス、UDサラマンカ、CFエストレラ・アマドーラと渡り歩き、1998年に38歳で引退した。
代表 [編集]
1983年から1991年までユーゴスラビア代表として38キャップを記録している。1984年の欧州選手権ではゾラン・シモヴィッチの控えとしてメンバー入りし、同年のロサンゼルスオリンピックで銅メダルを獲得したチームにも名を連ねた。オリンピックでは良績を挙げたが、欧州選手権では唯一出場したデンマーク代表戦にて5失点を喫し、チームも1勝もあげることなくグループリーグで敗退している。
1990年のワールドカップでは全5試合にフル出場。PK戦までもつれた準々決勝のアルゼンチン代表戦では再びマラドーナのPKを止めるなど活躍を見せたが、チームは3本のPKを外して敗れた[4]。
連邦崩壊後はクロアチア国籍を選択したが、ディナモで衝突した過去があるミロスラフ・ブラジェヴィッチが代表監督に就任したため、クロアチア代表のユニフォームを着ることはなかった。
引退後 [編集]
2004年から2006年まで自身も尊敬するズラトコ・クラニチャールのもとで、クロアチア代表のゴールキーパーコーチを務めた[5]。2007年からはクラニチャールとともにアラブ首長国連邦へ渡り、アル・シャバーブのコーチに就任[6]。2009年にはイランのピルズィ・テヘランでアシスタントコーチを務めた。
2010年4月からクロアチアのNKメジムリェにて初の監督業に挑むが[7]、成績不振により短期間で解任され、クラブも2部リーグへ降格した。
出典 [編集]
- ^ 木村、p.295-296
- ^ 木村、p.295
- ^ 木村、p.296
- ^ “Safet Sušić se molio u kapelici, Maradona se nije usudio pogledati me u oči” (クロアチア語). Index Sport (2010年4月8日). 2010年9月10日閲覧。
- ^ 木村、p.306
- ^ “Cicin oproštajni party zbog odlaska u Dubai” (クロアチア語). jutarnji.hr (2007年7月15日). 2010年9月10日閲覧。
- ^ “Tomislav Ivković novi trener NK Međimurje” (クロアチア語). NoviList (2010年3月4日). 2010年9月10日閲覧。
参考文献 [編集]
- 木村元彦 『蹴る群れ』 講談社、2007年、p.295-306。ISBN 978-4062137676。
外部リンク [編集]
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