アンドレイ・パナディッチ

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パナディッチ Football pictogram.svg
名前
本名 アンドレイ・パナディッチ
愛称 パナ
ラテン文字 Andrej PANADIĆ
基本情報
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 1969年3月9日
出身地 ザグレブ
身長 188cm
体重 84kg
選手情報
ポジション DF
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンドレイ・パナディッチ(Andrej Panadić、1969年3月9日-)は、クロアチア(旧ユーゴスラビアザグレブ出身の元サッカー選手

長身で空中戦に強く、ディフェンスリーダーとしての統率力も高いセンターバック。「パナ」の愛称で親しまれた。スキンヘッドの風貌が特徴。

経歴[編集]

クロアチア出身のパナディッチは母国のクロアチアの名門ディナモ・ザグレブ、当時ドイツ2部のケムニッツァーFCKFCユルディンゲンドイツ・ブンデスリーガの名門ハンブルガーSVなどでプレー。ハンブルガーSV時代はUEFAチャンピオンズリーグ本大会にも出場、アウェーのスタディオ・デッレ・アルピで行われた試合でユヴェントスを3‐1で破るなどの好結果に貢献した。

2001年イヴィツァ・オシム監督率いるオーストリア・ブンデスリーガSKシュトゥルム・グラーツに移籍。しかしレギュラーに定着するには至らず、僅か1シーズンで退団。

2002年6月名古屋グランパスエイトに移籍。名古屋では3バックのリベロとして活躍したが、2004年ナビスコカップジュビロ戦で負傷し、6月に解雇された。試合中でも、パナコールに、手をあげてこたえる愛らしさも、好まれた。2005年1月にはオーストリア2部のFCケルンテンのテストを受けたが、左膝の負傷を機に引退した。

2008年に08-09年シーズンから名古屋時代のチームメイトであったヴァスティッチ選手が在籍するオーストリア・ブンデスリーガLASKリンツの監督に就任することが発表された。

ディナモ・ザグレブ在籍中の1989年にユーゴスラビア代表に初選出される。ワールドカップイタリア大会のメンバーにもエントリーされたが、試合出場はなかった。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ユーゴスラビア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1988年-1989年 ディナモ・ザグレブ 28 3
1989年-1990年 ディナモ・ザグレブ 30 4
1990年-1991年 ディナモ・ザグレブ 18 0
スロベニア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1991年-1992年 ヒット・ゴリツァ 20 0
クロアチア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1992年-1993年 クロアチア・ザグレブ 29 3
1993年-1994年 クロアチア・ザグレブ 23 4
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
1994年-1995年 ケムニッツ ブンデス2部 32 4
1995年-1996年 ケムニッツ ブンデス2部 33 2
1996年-1997年 ユルディンゲン ブンデス2部 31 2
1997年-1998年 ハンブルガー ブンデス1部 13 2
1997年-1998年 ユルディンゲン ブンデス2部 14 1
1998年-1999年 ハンブルガー ブンデス1部 26 2
1999年-2000年 ハンブルガー ブンデス1部 29 1
2000年-2001年 ハンブルガー ブンデス1部 24 0
2001年-2002年 ハンブルガー ブンデス1部 9 0
オーストリア リーグ戦 リーグ杯 オーストリア杯 期間通算
2001年-2002年 シュトゥルム・グラーツ ブンデスリーガ 14 1
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2002年 名古屋 37 J1 22 0 - 3 0 25 0
2003年 名古屋 3 J1 26 3 4 0 2 0 32 3
2004年 名古屋 3 J1 3 0 2 0 - 5 0
通算 ユーゴスラビア 76 7
スロベニア 20 0
クロアチア 52 7
ドイツ ブンデス1部 101 5
ドイツ ブンデス2部 110 9
オーストリア 14 1
日本 J1 51 3 6 0 5 0 62 3
総通算 424 32

代表歴[編集]

外部リンク[編集]