ゾフィー・ドロテア・フォン・ハノーファー
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ゾフィー・ドロテア・フォン・ハノーファー(Sophie Dorothea von Hannover, 1687年3月16日 - 1757年6月28日)は、プロイセン王及びブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の妃。イギリス王及びハノーファー選帝侯ジョージ1世(ゲオルク・ルートヴィヒ)とリューネブルク侯ゲオルク・ヴィルヘルムの娘ゾフィー・ドロテアの娘。ジョージ2世の妹である。
1687年にハノーファーで生まれる。当時、ハノーファー公家はまだ選帝侯の資格もイギリス王位も獲得しておらず、父ゲオルク・ルートヴィヒはハノーファー公子という身分であった。父がハノーファー選帝侯となった後の1706年、プロイセン王フリードリヒ1世の子で従弟である王太子フリードリヒ・ヴィルヘルムと結婚した。1713年、夫の即位によってプロイセン王妃となった。
子女 [編集]
夫フリードリヒ・ヴィルヘルムは父王とは対照的に愛人を持たなかったが、これも両親に似ず文化や芸術に無関心で粗野な無骨者であり、ゾフィー・ドロテアとの仲も決して良好なものではなかった。それでも夫婦の間には、以下に示す14人の子供が生まれた。
- フリードリヒ・ルートヴィヒ(1707年 - 1708年)
- フリーデリケ・ゾフィー・ヴィルヘルミーネ(1709年 - 1758年) - ブランデンブルク=バイロイト辺境伯フリードリヒ3世妃
- フリードリヒ・ヴィルヘルム(1710年 - 1711年)
- フリードリヒ(1712年 - 1786年) - プロイセン王フリードリヒ2世・ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ4世
- シャルロッテ・アルベルティーネ(1713年 - 1714年)
- フリーデリケ・ルイーゼ(1714年 - 1784年) - ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯カール・ヴィルヘルム・フリードリヒ妃
- フィリッピーネ・シャルロッテ(1716年 - 1801年) - ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世妃、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の最初の妻エリーザベト・クリスティーネの母
- ルートヴィヒ・カール・ヴィルヘルム(1717年 - 1719年)
- ゾフィー・ドロテーア・マリー(1719年 - 1765年) - ブランデンブルク=シュヴェート辺境伯フリードリヒ・ヴィルヘルム妃
- ルイーゼ・ウルリーケ(1720年 - 1782年) - スウェーデン王アドルフ・フレドリク妃
- アウグスト・ヴィルヘルム(1722年 - 1758年) - プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の父
- アンナ・アマーリエ(1723年 - 1787年)
- フリードリヒ・ハインリヒ・ルートヴィヒ(1726年 - 1802年)
- アウグスト・フェルディナント(1730年 - 1813年)