ゾフィア・ドロテア・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク

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ゾフィアと子供達

ゾフィー・ドロテア・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク(Sophie Dorothea von Braunschweig-Lüneburg, 1666年9月15日 - 1726年11月13日)は、ハノーファー公子ゲオルク・ルートヴィヒ、後のハノーファー選帝侯イギリス王ジョージ1世の妻。但し、夫が選帝侯位及び王位を継承する以前に離縁されている。ゾフィー・ドロテア・フォン・ツェレ(Sophie Dorothea von Celle)とも呼ばれる。また「アールデンの公女」(Prinzessin von Ahlden)としても知られる。父はリューネブルク侯ゲオルク・ヴィルヘルム、母はエレオノール・ドルブリューズ

ゲオルク・ヴィルヘルムはプファルツ選帝侯フリードリヒ5世の娘ゾフィーと婚約していたが、婚約を破棄してフランス人の愛妾エレオノール・ドルブリューズと結婚し、ゾフィー・ドロテアが生まれた。選帝侯女ゾフィーはその後、ゲオルク・ヴィルヘルムの弟エルンスト・アウグストと結婚し、ゲオルク・ルートヴィヒらをもうけた。

1682年にゾフィー・ドロテアは従兄ゲオルク・ルートヴィヒ公子と結婚した。本人にとって気の進まない結婚だった上に、過去のいきさつから姑ゾフィーとの折り合いも良くなかった。更に、夫ゲオルク・ルートヴィヒも美貌で名高かった妻に関心を持たず、息子ゲオルク・アウグスト(後のジョージ2世)、娘ゾフィー・ドロテアプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の妃)が生まれた後は、愛人を作って妻を気にかけなくなった。

そのためゾフィー・ドロテアは、ケーニヒスマルク伯フィリップと愛人関係になっていったが、ほどなく夫に知られ、1694年に離婚させられた上にアールデン城に幽閉された。ゾフィー・ドロテアはその後、1726年に死去するまで32年もの間、アールデン城に幽閉され続けた。

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