ジーン・ケネディ・スミス

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ジーン・ケネディ・スミス
Jean Kennedy Smith
1953年
在アイルランドアメリカ合衆国大使英語版
任期
1993年6月24日 – 1998年9月27日
大統領ビル・クリントン
前任者ウィリアム・H・G・フィッツジェラルド英語版
後任者マイク・サリヴァン英語版
個人情報
生誕Jean Ann Kennedy
(1928-02-20) 1928年2月20日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ボストン
死没 (2020-06-17) 2020年6月17日(92歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
政党民主党
配偶者
子供ウィリアム英語版を含む4人
ジョセフ・P・ケネディ
ローズ・フィッツジェラルド
親族ケネディ家
教育マンハッタンビル大学英語版 (BA)

ジーン・アン・ケネディ・スミスJean Ann Kennedy Smith, 1928年2月20日 - 2020年6月17日)は、アメリカ合衆国の外交官、活動家、人道主義者[1]、作家であり、1993年から1998年のあいだに在アイルランドアメリカ合衆国大使英語版を務めていたことで知られる。彼女はケネディ家の一員であり、ジョセフ・P・ケネディローズ・フィッツジェラルドのあいだに生まれた8番目の子で末娘である。兄は第35代アメリカ合衆国大統領のジョン・F・ケネディと第64代アメリカ合衆国司法長官のロバート・F・ケネディ、弟は上院議員のエドワード・M・ケネディ、姉はスペシャルオリンピックス創始者のユーニス・ケネディ・シュライバーである。また大統領夫人のジャクリーン・ケネディとは義理の姉妹関係にある。

彼女はビル・クリントン政権下のアイルランド大使として北アイルランド和平プロセス英語版に尽力したと言われている。彼女は国務省シン・フェイン党指導者のジェリー・アダムズ英語版へのビザ発行を促して批判を受けたが、彼女の家族はこれが1994年の停戦宣言でのIRA暫定派に影響を与えたと主張している。しかしながら後にアダムズは北アイルランド和平プロセスを主導したのはクリントンであり、その過程でスミスはベルファストの司祭からの助言に頼っていたと述べた[2]アイルランド大統領メアリー・マッカリースはアイルランドへの貢献を認めて1998年に彼女にアイルランド名誉市民権を与えた。

彼女は障害を持つ人々が芸術に従事できる社会を目指す国際的な非営利組織であるベリー・スペシャル・アーツ英語版(VSA)の設立者でもある。2011年に彼女はVSAや障害者との活動によりバラク・オバマ大統領から大統領自由勲章を授与された。

生い立ちと教育[編集]

ジーン・アン・ケネディは1928年2月20日にマサチューセッツ州ボストンで生まれた。これは姉のキャスリーンの8歳の誕生日と同日であった[3][4]。彼女はジョセフ・P・ケネディローズ・ケネディがもうけた9人きょうだいの8番目であった[5]。他のきょうだいにはジョセフ・P・ケネディ・ジュニア、第35代アメリカ合衆国大統領のジョン・F・ケネディローズマリー・ケネディ、スペシャルオリンピックス創始者のユーニス・ケネディ・シュライバーパトリシア・ケネディ・ローフォード、司法長官・上院議員のロバート・F・ケネディ、上院議員のテッド・ケネディがいる[6][7]。彼女はケネディ家のこの中でも特に恥ずかしがり屋で警戒心が強かったと言われている。彼女はマンハッタンビル大学英語版に(当時は聖心会の学校で現在はパーチェス英語版にある)に通い、そこで後に義理の姉妹となるエセル・スカケル(1950年に兄のロバートと結婚)とジョーン・ベネット英語版(1958年に弟のテッドと結婚)の友人となった[8]。1949年にマンハッタンビルを卒業した[9][10]

キャリア[編集]

政治的活動[編集]

彼女は兄のジョンの政治的キャリアに深く関与していた。彼女は1946年の下院、1952年の上院、そして1960年の大統領選挙運動に協力した。彼女は「何かのために協力する」という両親からの教えに基づき、きょうだい達と共にテキサス州ウィスコンシン州といった重要州でのジョンの戸別訪問を手伝った[11]

1968年6月5日に兄ロバートがカリフォルニア州予備選挙英語版に勝利した後に暗殺された際、彼女は夫と共にロサンゼルスアンバサダーホテルに滞在していた[12]

ベリー・スペシャル・アーツ[編集]

1974年に彼女はベリー・スペシャル・アーツ英語版を設立した[13]。現在はジョン・F・ケネディ・センターのVSAおよびアクセシビリティ部門として知られるこれは障害を持つ青少年に芸術と教育のプログラムを提供する。2011年時点でVSAのプログラムは「43州と52カ国のヤク27万6000人の学生」にサービスを提供したと報じられている[14]。彼女はVSAを代表して世界各国を旅し、障害者の芸術へのより広い参加を提唱した。彼女とジョージ・プリンプトン英語版と共著した『Chronicles of Courage: Very Special Artists』は1993年4月にランダムハウスより出版された[3]

在アイルランドアメリカ合衆国大使[編集]

1993年に当時の大統領のビル・クリントンによって在アイルランドアメリカ合衆国大使に任命された[15]彼女はフランクリン・ルーズベルト政権下で在イギリスアメリカ合衆国大使であった父ジョセフ・P・ケネディが始めた外交遺産を引き継いでいる[16]。大使として彼女は北アイルランド和平プロセス英語版において重要な役割を果たした[17]。彼女はエキュメニカルな見解のデモンストレーションとして、アングリカン・コミュニオンの自治区であるアイルランド聖公会の大聖堂で聖体拝領を受けた[18]

彼女のアイルランドへの貢献は大統領メアリー・マッカリースにより認められ、アイルランド名誉市民権が授与された[19]首相バーティ・アハーンは「あなたはアイルランドの全ての人々により良い生活をもたらすのを助けた」と彼女を賞賛した[13]

聖金曜日合意から約3か月後となる1998年7月4日、彼女はアイルランド大使から退いた[20]

論争[編集]

1994年、彼女はシン・フェイン党の指導者のジェリー・アダムズ英語版へのアメリカビザ付与を支持したことでアメリカ外交政策の最前線に立った。彼女のアイルランドでの仕事は評価されていたが、ビザの支持したことで批判を浴びた。彼女の家族はこの行動がこの後数年間の和平交渉成立の重要なステップだったと主張した[21]。弟のテッドは自身の回想録の中で「ジーンはアダムズが武力闘争を続けることがIRAのアイルランド統一の目的を達成する方法であるとはもはや信じていないと確信していた」、「私たちが到着してから数時間ジーンとの話しただけで、北アイルランドの膠着状態を打開するチャンスという彼女が最も気にかけている事がわかった」と述べた[22]。しかしながら後にアイリッシュ・セントラルはクリントンが大統領選挙運動中にアダムズへのビザ発行を約束していたことを報じた[23]。また2019年にアダムズはBBCでクリントンが北アイルランドの和平プロセスを主導し、その間彼女は西ベルファストの司祭のアレック・リード英語版のアドバイスに従っており、「彼(リード)は側で彼女(ケネディ・スミス)と話し、そして彼女は弟のテディ(・ケネディ)と話していた」と説明した[2]

1996年3月、アダムズへのビザ発行に反対して「反対意見チャンネル英語版」メッセージを送った駐アイルランドアメリカ合衆国大使館英語版外務職員英語版2人に対して彼女が報復を行った件を受け、ウォーレン・クリストファー国務長官は彼女を叱責した[24]。『フォーリン・サービス・ジャーナル英語版』はこの件に関する国務省の報告が「痛烈な批判」であったと報じた[25]。1996年12月、彼女がダブリンの住居を改修するために税金を使うよう大使館のスタッフに圧力をかけていたことが『ボストン・ヘラルド英語版』により報じられた[26][27]。彼女はまたアメリカの利益相反法に違反していたとされる。2000年9月22日に司法省はプレスリリースを発行し、彼女が和解金5000ドルを支払ったことを明かした[28]

1998年にアイルランドのメアリー・マッカリース大統領を支持した彼女はローマ・カトリック教徒であるにもかかわらずダブリンのアイリッシュ・プロテスタントの大聖堂で聖体拝領を行った[29]

表彰[編集]

2008年のケネディ・スミス(左)とヴィクトリア・レジー・ケネディ

彼女のアイルランドと障害者コミュニティへの活動に対していくつかの栄誉が贈られた。1998年にアイルランド政府から名誉市民権が贈られ[30]、また2007年に北アイルランドでの平和への取り組みと障害児に関する人道的活動に対してエール・ソサエティ・オブ・ボストン英語版から金メダル賞が贈られた[31]。2009年に彼女とテッド・ケネディは北アイルランドの和平プロセスへの貢献によりティペラリー平和賞を授与された[32]

2011年2月、障害者への取り組みによりバラク・オバマ大統領から大統領自由勲章が授与された[33][34]

2011年3月15日、彼女は『Iアイリッシュ・アメリカ英語版』誌のアイリッシュ・アメリカの殿堂英語版に加えられた[35]

2012年の映画『リンカーン』では「Woman Shouter」を演じ、ジーン・ケネディ・スミス大使名義でクレジットされた[36]

回想録[編集]

2016年10月、彼女はケネディ家の回想録『The Nine of Us: Growing Up Kennedy』を出版した[37][38]

私生活[編集]

1956年5月19日、彼女はニューヨークのローマ・カトリック系のセント・パトリック大聖堂の小さな礼拝堂で実業家のステファン・エドワード・スミス英語版と結婚した[13]。夫妻は実子のステファン・ジュニア(Stephen Jr.)とウィリアム英語版をもうけた後、アマンダ(Amanda)とキム(Kym)を養女として迎えた[5]

夫のステファンは1990年8月19日に癌で亡くなった[39]。1991年に次男のウィリアムはフロリダ州で強姦罪で告発されたが、裁判では無罪となった[40][41]

2009年8月11日に姉のユーニス・ケネディ・シュライバーが亡くなった。彼女は8月14日のユーニスの葬儀には参加せず、闘病中だった弟のテッドと同居していた。テッドは同年8月25日に亡くなり、ジーンはジョセフとローズ・ケネディの子の最後の生存者となった[8]。彼女は8月29日のテッドの葬式に出席した[42]

彼女は2020年6月17日にマンハッタンの自宅で亡くなった。92歳だった。9人きょうだいの最後の生存者であった彼女は最長寿でもあった[43]

参考文献[編集]

  1. ^ “Ambassador Jean Kennedy Smith”. Irish America. (2011年1月1日). https://irishamerica.com/2011/01/ambassador-jean-kennedy-smith/ 
  2. ^ a b Simpson, Mark (2019年2月1日). “Gerry Adams: New York in 1994 visit 'pivotal to peace'”. BBC News. https://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-47072146 2020年2月1日閲覧。 
  3. ^ a b Jean Kennedy Smith”. John F. Kennedy Presidential Library and Museum. 2021年5月18日閲覧。
  4. ^ Romano, Kristin (2011年3月10日). “Irish America Hall of Fame: Jean Kennedy Smith”. IrishCentral. https://www.irishcentral.com/roots/irish-america-hall-of-fame-jean-kennedy-smith-117752328-237375001 2021年5月18日閲覧。 
  5. ^ a b Hicks, Johm R. (1991年12月10日). “William Smith: Low-key Kennedy heir”. United Press International. https://www.upi.com/Archives/1991/12/10/William-Smith-Low-key-Kennedy-heir/9499692341200/ 
  6. ^ Who Were John F. Kennedy's Siblings?”. YourDictionary. 2021年5月18日閲覧。
  7. ^ “Eunice Kennedy Shriver's Death Leaves 2 Living Kennedy Siblings”. Associated Press. Fox News. (2015年3月25日). https://www.foxnews.com/story/eunice-kennedy-shrivers-death-leaves-2-living-kennedy-siblings 
  8. ^ a b McMullen, Troy (2009年8月26日). “The Last Kennedy: A Closer Look at Jean Kennedy Smith”. ABC News. https://abcnews.go.com/Politics/TedKennedy/jean-kennedy-smith-kennedy/story?id=8421544 
  9. ^ The History of Reid Castle”. Manhattanville College. 2021年5月18日閲覧。
  10. ^ Main Buildings”. Manhattanville College (2018年7月15日). 2021年5月18日閲覧。
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  12. ^ Healy, Paul (2015年6月4日). “Robert F. Kennedy's assassination: From ballroom to the hospital”. New York Daily News. https://www.nydailynews.com/news/national/reporter-covers-rfk-assassination-article-1.2237677 
  13. ^ a b c O'Shea, James (2016年3月20日). “Jean Kennedy Smith to write new book on JFK and her famous family”. IrishCentral. https://www.irishcentral.com/roots/history/jean-kennedy-smith-to-write-new-book-on-jfk-and-her-famous-family 
  14. ^ Heim, Joe (2011年8月4日). “Cuts leave VSA arts programs for the disabled in limbo”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/lifestyle/style/cuts-leave-vsa-arts-programs-for-the-disabled-in-limbo/2011/07/28/gIQArlU8uI_story.html 
  15. ^ Appointments – William J. Clinton”. American Foreign Service Association. 2021年5月18日閲覧。
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  19. ^ Romano, Kristin (2011年4月17日). “Jean Kennedy Smith: Irish America Hall of Fame”. Irish America. https://irishamerica.com/2011/04/jean-kennedy-smith-irish-america-hall-of-fame/ 
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  21. ^ O'dowd, Niall (2009年9月17日). “Ted Kennedy's Touching Tribute to Sister Jean Kennedy Smith”. IrishCentral. https://www.irishcentral.com/news/ted-kennedys-touching-tribute-to-sisterjean-kennedy-smith-59615537-237659831 
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  28. ^ "Department of Justice and Former Ambassador Settle Allegations of Conflict of Interest Violation" (Press release). United States Department of Justice. 22 September 2000.
  29. ^ McGarry, Patsy. “US ambassador takes Communion in Christ Church 'as private citizen'” (英語). The Irish Times. 2020年6月21日閲覧。
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  31. ^ Gold Medal Dinner & Award Ceremony Honoring Former U.S. Ambassador to Ireland Ms. Jean Kennedy Smith; Gold Medal Dinner & Award Ceremony – May 3, 2007 at the Park Plaza, Boston”. Eire Society of Boston. 2021年5月18日閲覧。
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  41. ^ Hicks, John R. (1991年12月11日). “Reasonable doubts led to Smith acquittal”. United Press International. https://www.upi.com/Archives/1991/12/11/Reasonable-doubts-led-to-Smith-acquittal/5034692427600/ 
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外部リンク[編集]

外交職
先代
ウィリアム・H・G・フィッツジェラルド英語版
アメリカ合衆国の旗 在アイルランドアメリカ合衆国大使英語版 アイルランドの旗
1993年 - 1998年
次代
マイク・サリヴァン英語版