クレオ・ド・メロード
クレオ・ド・メロード(Cléo de Mérode、1875年9月27日 - 1966年10月17日)は、オーストリア出身のバレリーナである。その美貌で名高く、ベルギー王レオポルド2世や画家グスタフ・クリムトとの交流などで知られている。
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[編集] プロフィール
オーストリアの風景画家、カール・フォン・メロード(Karl Freiherr von Merode、1853年 - 1909年)の娘で、本名はCléopatra Diane de Mérodeといい、パリで生まれた。カールはベルギーの貴族「ド・メロード」(en:de Mérode)家の血筋であった。
クレオは8歳からダンスを学び、11歳でステージにデビューした。
クレオは美しく成長し、ダンスの技量よりも彼女自身の持つ魅力で広く知られるようになった。クレオの髪型は、当時のパリジェンヌたちの間に瞬く間に広がった。また、彼女をモデルとして、ロートレックやドガなどの名だたる画家や彫刻家、写真家が数々の作品を残している。
1896年には、ベルギー王レオポルド2世がクレオの舞台を観覧した。当時61歳の王は、この22歳のバレエダンサーに魅了され、クレオが王の新しい愛妾になったというゴシップが流された。既に王にはある女性との間に2人の子があり、その女性は王の愛妾だったと言われていた。
このゴシップは、クレオの評判を傷つけ、その後の彼女の残りの生涯にも影を落とした。それにもかかわらず、クレオは世界的なスターとなった。
人気絶頂の時期に、クレオはフォリー・ベルジェールへの出演を選んだ。それは今まで他の有名なバレエダンサーが犯したことのないリスクだったが、成功した。
1926年には、ドイツの映画『Frauen der Leidenschaft』に出演し、彼女の美貌はグスタフ・クリムトの関心を惹いた。クレオとクリムトの物語は、2006年に映画化されている[1]。
クレオは50代前半まで現役のダンサーとして踊り、引退後はフランスのリゾート地ビアリッツに住んだ。1955年に、クレオは自叙伝を出版した。
1966年にクレオは死去し、パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。
[編集] 著書
- Le Ballet de ma vie(1955年)
[編集] 脚注
- ^ 2006年の映画『クリムト』ではジョン・マルコヴィッチがクリムト役を、サフロン・バロウズがクレオ(映画での役名は「Lea de Castro」を演じている。