カール・レイドル

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カール・レイドル
左から右に: ジム・ゴードン、カール・レイドル。ボビー・ウィットロック、エリック・クラプトン
基本情報
出生名 Carl Dean Radle
生誕 (1942-06-18) 1942年6月18日
オクラホマ州タルサ
死没 1980年5月30日(1980-05-30)(37歳)
オクラホマ州クレアモア
ジャンル ブルースロック, ロックンロール, フォークロック
職業 ミュージシャン, プロデューサー
担当楽器
活動期間 1965-1980
レーベル ドット/ポリドール/アトコ
共同作業者 カラーズ, ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ, デラニー&ボニー&フレンズ, デレク・アンド・ザ・ドミノス, エリック・クラプトン, レオン・ラッセル

カール・ディーン・レイドル (Carl Dean Radle, 1942年6月18日[1] - 1980年5月30日) は、アメリカ合衆国ベーシスト。1960年代後半から70年代にかけて、多くの有力なアーティストと共にレコーディングを行った。2006年オクラホマ音楽の殿堂入りした[1]

経歴[編集]

レイドルはエリック・クラプトンと長期にわたって共演したことでよく知られる。それは1969年のデラニー&ボニーで始まり、1970年にはクラプトン、ドラマーのジム・ゴードン、ギタリストのデュアン・オールマン、キーボードのボビー・ウィットロックと共にデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成した。1970年にレイドルはジョー・コッカーの『マッド・ドッグス&イングリッシュメン』ツアーに参加した。レイドルはクラプトンのソロ作品に1970年から1979年まで参加し、1974年から79年までツアーバンドのメンバーであった。また、1974年にクラプトンが活動を再開した際、その復帰に貢献した。クラプトンが3年間休養していた間、レイドルは共にレコーディングを行ったミュージシャンのテープを彼に提供した。ディック・シムズとジェイミー・オールデイカーは、1970年代のクラプトンのバンドの中核であった。レイドルはサイドマン以上の役割を果たし、いくつかの曲、特に「マザーレス・チルドレン」のアレンジャーとしても活躍した。アルバム『ノー・リーズン・トゥ・クライ』では、アソシエイト・プロデューサーとしてクレジットされた。

レイドルは1970年代にセッションミュージシャンとして、数多くの著名ななミュージシャンと共演し、その中にはリタ・クーリッジクリス・クリストファーソンボブ・ディランも含まれた。彼は映画『バングラデシュ・コンサート』に出演した。コンサートは1972年にアルバム『バングラデシュ・コンサート』としてリリースされた。1970年から72年まで彼はデイブ・メイソンJ.J.ケイルジョージ・ハリスンジョー・コッカーレオン・ラッセルバディ・ガイなど多くのミュージシャンと共演している。1976年にはザ・バンドの解散コンサートに出演し、その様子は同コンサートを記録した映画『ラスト・ワルツ』で見ることができる。

その経歴の中でレイドルは数多くのゴールドおよびプラチナのアルバム、シングルで演奏し、多くのミュージシャンの尊敬を集めた。彼のベースラインはしばしばシンプルで反復的であったが、常に曲をサポートすることを目的としていた[2]

レイドルはオクラホマ州タルサで生まれ、1980年5月にクレアモアの自宅でアルコールと麻薬の影響で死去した。37歳であった[3]

ディスコグラフィ[編集]

デレク・アンド・ザ・ドミノス[編集]

エリック・クラプトン[編集]

参照[編集]

  1. ^ a b Carl Radle Legendary Bass Guitarist”. Official Website (2005年). 2010年12月5日閲覧。
  2. ^ Collier, Rob. “A Lesson in Carl Radle's Style”. Bassmusicianmagazine.com. 2015年6月20日閲覧。
  3. ^ Carl Radle Memorial - Tribute to Legendary Bass Guitarist for Eric Clapton, Joe Cocker, George Harrison and Others”. Carlradle.com. 2011年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月20日閲覧。

外部リンク[編集]