ウンベルト1世 (サヴォイア伯)
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| ウンベルト1世ビアンカマーノ Umberto I Biancamano |
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| サヴォイア家 | |
ウンベルト1世の墓(サン=ジャン=ド=モーリエンヌ)
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| 称号 | モーリエンヌ領主、サヴォイア伯 |
| 全名 | ウンベルト1世・ビアンカマーノ・ディ・サヴォイア |
| 身位 | 伯爵 |
| 出生 | 980年頃 |
| 死去 | 1047年 - 1048年 |
| 配偶者 | 諸説あり |
| 子女 | アメデーオ1世(第2代サヴォイア伯) アイモーネ(シオン司教) ブルカルド(ディ・リオン大司教) オッドーネ(第3代サヴォイア伯) アデル(アルボン伯妃) |
ウンベルト1世ビアンカマーノ(Umberto I Biancamano, 980年頃 - 1047年/1048年)は、初代サヴォイア(サヴォワ)伯(在位:1003年 - 1048年)。サヴォイア家の祖。ビアンカマーノとはイタリア語で「白い手」という意味だが、本当に手が(揶揄される程に)白いという意味ではなく、「清廉な人」を指す尊称である。フランス名ではアンベール・オ・ブランシェ・マン(Humbert aux Blanches Mains)。
[編集] 生涯
ウンベルト1世はサヴォワ地方モーリエンヌ(ハンニバルが山越えに用いたとされる)の貴族として生まれた。
ウンベルトはイタリア、オック、サクソンなどの血を引いていたと言われている。ブルグント王ルドルフ3世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世が争った際、遠い縁戚であったハインリヒ2世を支持して彼を助けた。その功績から1003年にサヴォイア(サヴォワ)伯に叙任され、加えてアオスタやブルゴーニュの一部を任せられるなどハインリヒ2世の家臣の一人となった。1040年に再びハインリヒ2世がイタリアに兵を進めると、ウンベルト1世は軍の右側面を担当した。
ハインリヒ2世死後、ウンベルト1世は所領を実質的に自らの所領として私物化し、勢力としての独立を得た(サヴォイア伯国)。皇帝死後の混乱期において、僻地であったサヴォイアは紛争を避けることが出来た。1048年(1047年説あり)にウンベルトは亡くなり、所領は長男のアメデーオ1世が継承した。
ウンベルトの子孫が後にイタリアを統一し、イタリア王に即位することになる。
[編集] 家族
妻については高位聖職者や近隣貴族の娘など複数の人物が挙げられているが、現在のところアンキュリアというブルゴーニュ貴族の女性が有力とされる。
子供は4男1女を儲けた。
- 長男:アメデーオ1世・ディ・サヴォイア(第2代サヴォイア伯)
- 次男:アイモーネ(シオン司教)
- 三男:ブルカルド(ディ・リオン大司教)
- 四男:オッドーネ・ディ・サヴォイア(第3代サヴォイア伯)
- 長女:アデル・ディ・サヴォイア=アルボン(アルボン伯妃)
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