タリック・ウリダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウリダから転送)
ウリダ
名前
ラテン文字 Tarik OULIDA
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1974-01-19) 1974年1月19日(50歳)
出身地 アムステルダム
身長 176cm
体重 71kg
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1995 オランダの旗 アヤックス 17 (4)
1995-1998 スペインの旗 セビージャ 44 (4)
1998-2002 日本の旗 名古屋グランパスエイト 87 (10)
2002-2003 フランスの旗 スダン 22 (1)
2003 日本の旗 コンサドーレ札幌 13 (1)
2004 オランダの旗 デン・ハーグ 8 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

タリック・ウリダ(Tarik Oulida, 1974年1月19日 - )は、オランダアムステルダム出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

来歴[編集]

両親は共にモロッコ人。12歳で名門アヤックスユースに入団、17歳でトップチームに昇格。ユース代表、オリンピック代表にも名を連ね、その才能はヨハン・クライフからも高く評価されたが、当時の監督であったルイス・ファン・ハールとの不和もあり退団。

1995-1996シーズンからはリーガ・エスパニョーラセビージャでプレーするが、怪我や2部降格など不運が続き、1998年8月に日本の名古屋グランパスエイトに移籍。1998年8月1日のベルマーレ平塚戦で初ゴールを含む2ゴールを決めたが[1]、当初は日本のサッカーにフィットしなかった。ジョアン・カルロス監督が就任した1999年以降は主力として活躍。2000年にはJOMOカップに外国籍選手選抜の一員として先発出場した[2]

退団後は欧州に帰るが、2003年、シーズン半ばにジョアン・カルロス監督の指揮するコンサドーレ札幌に加入。再び日本のピッチに立った。しかし、ウリダが来日したときには既に彼の獲得を希望していたジョアン・カルロスは監督を辞任しており、クラブも迷走期に入っていた。そんな中、ウリダは背番号10番を付け奮闘したが、チームはJ1昇格どころか、昇格争いにすら絡めないままシーズン終了。ウリダもシーズン終了後に同チームを退団し、2004年ADOデン・ハーグに移籍。戸田和幸とともにプレーした。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1992-93 アヤックス エールディヴィジ 6 2
1993-94 9 2
1994-95 2 0
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1995-96 セビージャ プリメーラ 5 0
1996-97 10 3
1997-98 セグンダ 29 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 名古屋 7 J 16 4 0 0 3 0 19 4
1999 J1 22 2 5 0 5 2 32 4
2000 16 1 6 1 2 0 24 2
2001 28 2 5 1 1 0 34 3
2002 5 1 1 0 0 0 6 1
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
2002-03 スダン リーグ・アン 22 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 札幌 10 J2 13 1 -
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2003-04 デン・ハーグ エールディヴィジ 8 0
通算 オランダ エールディヴィジ 25 4
スペイン プリメーラ 15 3
スペイン セグンダ 29 1
日本 J1 87 10 17 2 11 2 115 14
日本 J2 13 1 -
フランス リーグ・アン 22 1
総通算 191 20

その他の公式戦

国際試合

タイトル[編集]

選手時代[編集]

アヤックス・アムステルダム
セビージャFC
名古屋グランパスエイト
個人
  • アヤックス・タレント・オブ・ザ・イヤー(マルコ・ファン・バステン賞):1回(1994)

脚注[編集]

  1. ^ ウリダ”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  2. ^ JOMO CUP 2000 Jリーグドリームマッチ”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]