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マリのトゥアレグ抵抗運動は北部独立運動へと発展つつあり、それに呼応して長期化した[[ムーサ・トラオレ|トラオレ]]軍事政権に反発するデモが頻発した<ref name="Shimada"/>。[[アルファ・ウマル・コナレ]]ら軍内部の勢力がトゥアレグに呼応する形で[[1991年]]に[[クーデタ]]を起こし、トラオレ政権は崩壊した。その後1992年に北部平和のための国民的条約が締結され、マリの分裂は回避された。しかし、終戦後も軍部による反乱トゥアレグへの弾圧は続き、約16万人のトゥアレグ・モール住人が国外へ逃れた<ref name="Shimada"/>。 |
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[[2007年]]、再び武装闘争を再開し({{仮リンク|トゥアレグ抵抗運動 (2007年-2009年)|en|Tuareg rebellion (2007–2009)}})、活動範囲はニジェールだけでは無く、マリ共和国、チャド、[[モーリタニア]]にまで及んでいる。 |
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現在では、トゥアレグ族は主に[[アルジェリア]]、[[マリ共和国|マリ]]、ニジェール、[[リビア]]などのサヘル地域に分断されて分布しており、その数は100万から350万人の間のといわれる。 |
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[[タウデニ]]と呼ばれる塩鉱から半年ごとに{{ill2|アザライ|en|Azalai}}と呼ばれる[[キャラバン]]を行う<ref>南里章二、「[https://doi.org/10.11619/africa1964.1992.41_75 アザライ (塩の隊商) 現代におけるその活動の実態]」 『アフリカ研究』 1992年 1992巻 41号 p.75-83, {{doi|10.11619/africa1964.1992.41_75}}, 日本アフリカ学会</ref>。 |
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== 脚注 == |
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== 関連書籍 == |
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*[[イブン・バットゥータ]] |
* [[イブン・バットゥータ]] 『[[大旅行記]]』全8巻 イブン・ジュザイイ編、[[家島彦一]]訳、[[平凡社]]〈[[平凡社東洋文庫]]〉、1996-2002年。 - 14世紀のトゥアレグ族についての記述がある。 |
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* [[ハーモニー (小説)]] - 物語の冒頭でトゥアレグ族が登場する。 |
* [[ハーモニー (小説)]] - 物語の冒頭でトゥアレグ族が登場する。 |
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* [[風の城砦]] - 物語中のメインキャラクターとしてトゥアレグ族が登場する。 |
* [[風の城砦]] - 物語中のメインキャラクターとしてトゥアレグ族が登場する。 |
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* [[ティナリウェン]] - メンバーがトゥアレグ族のバンド。[[第54回グラミー賞]](2012年)ベストワールドミュージックアルバム賞受賞。 |
* [[ティナリウェン]] - メンバーがトゥアレグ族のバンド。[[第54回グラミー賞]](2012年)ベストワールドミュージックアルバム賞受賞。 |
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* [[トゥーマスト]] - ニジェール出身、トゥアレグ族のバンド。 |
* [[トゥーマスト]] - ニジェール出身、トゥアレグ族のバンド。 |
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2019年10月7日 (月) 02:39時点における版
(520万人 [1]) | |
居住地域 | |
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言語 | |
トゥアレグ語 | |
宗教 | |
イスラム教 | |
関連する民族 | |
ベルベル人 |
トゥアレグ (Tuareg) またはトゥアレグ族は、ベルベル人系の遊牧民。アフリカ大陸サハラ砂漠西部(アザワド)が活動の範囲である。自身では「ケル・タマシェク(Kel Tamasheq)」(タマシェク語を話す人々)と呼ぶ。
歴史
中世にはサハラ交易を支えた。しばしば隊商を襲撃したことから好戦的民族として恐れられた。 フランスによる北アフリカ地域の植民地化に頑強に抵抗し、第一次世界大戦では同盟側に呼応して1915年から1917年にかけてニジェールを中心に武装闘争を起こす(en:Kaocen Revolt)が、徹底的に弾圧された[1]。
アフリカの年などにより北アフリカの旧植民地が分割独立した結果トゥアレグは4か国に分断されてしまい、境遇を同じくする土着アラブ人のモールと呼応する形でアドラールを中心に第1次トゥアレグ抵抗運動 (1962年-1964年)が発生した[1]。弾圧を逃れた多くのトゥアレグが難民と化してリビアに流入した。
1984年、サヘル地域に過去最悪と言われる干魃が発生し国際社会が援助活動を行ったが、ニジェールとマリの中央政府が支援物資の横流しを行った事が問題となった[1]。また、1988年にリビアとチャドの和平が成立した事で、第1次トゥアレグ抵抗運動以来リビアに逃れていたトゥアレグ難民がニジェールやマリに帰還した[1]。1990年にトゥアレグ抵抗運動 (1990年-1995年)が発生した。特に1992年頃から、ニジェール北部を中心に反政府武装闘争の活動が活発化、外国人観光客を襲撃するなどの武装闘争を展開した。ただし、大規模な拡大には至らず政府と和平協定を締結。2002年には武装解除されたと伝えられた。
マリのトゥアレグ抵抗運動は北部独立運動へと発展つつあり、それに呼応して長期化したトラオレ軍事政権に反発するデモが頻発した[1]。アルファ・ウマル・コナレら軍内部の勢力がトゥアレグに呼応する形で1991年にクーデタを起こし、トラオレ政権は崩壊した。その後1992年に北部平和のための国民的条約が締結され、マリの分裂は回避された。しかし、終戦後も軍部による反乱トゥアレグへの弾圧は続き、約16万人のトゥアレグ・モール住人が国外へ逃れた[1]。
2007年、再び武装闘争を再開し(トゥアレグ抵抗運動 (2007年-2009年))、活動範囲はニジェールだけでは無く、マリ共和国、チャド、モーリタニアにまで及んでいる。
マリ北部紛争
2011年リビア内戦に参加し軍事力を蓄え、2012年1月に開始した独立紛争はマリ軍事クーデターを引き起こした。4月6日にマリにおける北部支配地域アザワドの独立を宣言。
分布
現在では、トゥアレグ族は主にアルジェリア、マリ、ニジェール、リビアなどのサヘル地域に分断されて分布しており、その数は100万から350万人の間のといわれる。
言語
使用する言語はトゥアレグ語[2]である。タマシェク語は独自の表音文字(ティフィナグ文字)を持っている。
文化と風習
青いターバンと民族衣装を着用することから青衣の民として知られる。一般にイスラーム世界では女性が全身や顔を衣装で隠す習慣があるが、トゥアレグでは逆に男性が全身そして顔を衣装で覆い、女性は皮膚を露出していることもある。また女系社会でもある。
アメノカルと呼ばれる首長を頂点とする複雑な階層社会を取る[1]。 上級階級の混血が進まないようにするための措置とされる。ニジェールでは他の周辺民族の身分制度も含めて差別を禁止する法律が施行されている(実効性は不明)。
- キャラバン
タウデニと呼ばれる塩鉱から半年ごとにアザライと呼ばれるキャラバンを行う[3]。
脚注
関連書籍
- イブン・バットゥータ 『大旅行記』全8巻 イブン・ジュザイイ編、家島彦一訳、平凡社〈平凡社東洋文庫〉、1996-2002年。 - 14世紀のトゥアレグ族についての記述がある。
関連項目
- イブラヒーム・アル・コーニー - トゥアレグ出身の作家
- フォルクスワーゲン・トゥアレグ
- ハーモニー (小説) - 物語の冒頭でトゥアレグ族が登場する。
- 風の城砦 - 物語中のメインキャラクターとしてトゥアレグ族が登場する。
- ティナリウェン - メンバーがトゥアレグ族のバンド。第54回グラミー賞(2012年)ベストワールドミュージックアルバム賞受賞。
- トゥーマスト - ニジェール出身、トゥアレグ族のバンド。
外部リンク
- Art of Being Tuareg: Sahara Nomads in a Modern World - National Museum of African Art
- 反政府闘争を活発化させるサハラの「トゥアレグ」人、その歴史的経緯 - AFPBB News
- ジャネット。オアシスの暮らしと結婚式 ÷サハラエリキ÷
- 塩キャラバンにまたがって/ ニジェール ÷サハラエリキ÷