「巨人の肩の上」の版間の差分

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=== 自然科学 ===
=== 自然科学 ===
近代[[自然科学]]とともに成立した[[科学的方法]]では、新たな科学的成果はそれ以前の成果の上に論理的整合性を持って積み重なり、またさらにその上に新たな仕事がなされるという形で順々に積み重なっていく<ref name="Ezaki"/>。例として、[[江崎玲於奈]]は自身による[[トンネルダイオード]]の発明などは「[[フェリックス・ブロッホ|ブロッホ]]、{{仮リンク|クラレンス・ツェナー|label=ゼーナー|en|Clarence Zener}}、[[ウィリアム・ショックレー|ショックレー]]などの巨人の肩の上でなしたのだと言えるでしょうし、また、私の肩の上でも新しい仕事が次々となされているのが現状」であると述べる。
近代[[自然科学]]とともに成立した[[科学的方法]]では、新たな科学的成果はそれ以前の成果の上に論理的整合性を持って積み重なり、またさらにその上に新たな仕事がなされるという形で順々に積み重なっていく<ref name="Ezaki"/>。例として、物理学者の[[江崎玲於奈]]は自身による[[トンネルダイオード]]や[[超格子]]の成果について「[[フェリックス・ブロッホ|ブロッホ]]、{{仮リンク|クラレンス・ツェナー|label=ゼーナー|en|Clarence Zener}}、[[ウィリアム・ショックレー|ショックレー]]などの巨人の肩の上でなしたのだと言えるでしょうし、また、私の肩の上でも新しい仕事が次々となされているのが現状」であると述べる<ref name="Ezaki"/>


ここで、科学的成果にはごく一部の高インパクト成果(いわゆる大発見・大発明)と、大多数を占める平凡な成果があるが、科学技術の進展にはどちらが強く寄与するかという議論がある。これに対しては大きく分けて2つの立場がある<ref name="Hess"/>:
ここで、科学的成果にはごく一部の高インパクト成果(いわゆる大発見・大発明)と、大多数を占める平凡な成果があるが、科学技術の進展にはどちらが強く寄与するかという議論がある。これに対しては大きく分けて2つの立場がある<ref name="Hess"/>:


#科学の進歩は、多数の平凡な研究者たちの仕事の総体の上に構築されるものである。(漸進的進歩)
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#科学の進歩は、限られたエリート研究者(巨人)の肩の上に立つことにより構築されるものであり、平凡な研究者たちの成果の重要性は比較的低い。(革命的進歩)
#科学の進歩は、限られたエリート研究者(巨人)の肩の上に立つことにより構築されるものであり、平凡な研究者たちの成果の重要性は比較的低い。(革命的進歩)


前者の立場は、『[[大衆の反逆]]』を著した[[ホセ・オルテガ・イ・ガセト]]の名を取って{{仮リンク|オルテガ仮説|en|Ortega hypothesis}}と呼ばれ後者の立場は「巨人の肩の上」の言葉を用いた人物としては最も有名なアイザック・ニュートンの名を取って'''ニュートン仮説'''と呼ばれる。
前者の立場は哲学者[[ホセ・オルテガ・イ・ガセト]]が『[[大衆の反逆]]』の中で表明したものであり、その名を取って{{仮リンク|オルテガ仮説|en|Ortega hypothesis}}と呼ばれる<ref name="Cole"/>。後者の立場はアイザック・ニュートンが用いた「巨人肩の上」の表現にちなんで'''ニュートン仮説'''と呼ばれる<ref name="Oromaner"/>


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=== フリーソフトウェア運動 ===
=== フリーソフトウェア運動 ===
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2014年2月18日 (火) 21:08時点における版

ギリシア神話の盲目の巨人オーリーオーンとその肩に付き従う奴隷ケーダリオーン

巨人の肩の上(に乗る矮人)」(きょじんのかたのうえ〔にのるわいじん〕、ラテン語: nani gigantum umeris insidentes [1])という言葉は西洋のメタファーであり、現代の解釈では、先人の積み重ねた発見に基づいてなにかを発見することを指す。「巨人の肩(の上)に立つ」、「巨人の肩に座る」、「巨人の肩に乗る小人」などのかたちでも使われる。科学者アイザック・ニュートンロバート・フックに宛てた書簡で1676年に用いた[2]

私がより遠くまで見渡せたとすれば、それは巨人の肩の上に乗ることによってです。(英語: If I have seen further it is by standing on the shoulders of giants.

という一節を通してもっともよく知られている。しかしこのメタファーが使われた最古の記録は12世紀にさかのぼり、そこではフランスの哲学者シャルトルのベルナールに帰せられている[3]

帰属と意味

この言葉をベルナールに帰したのは、シャルトル学派ソールズベリのジョン英語版である。1159年、ジョンは著書『メタロギコン』(Metalogicon) で次のように述べた[4][1]

シャルトルのベルナールは私たちを巨人の肩の上の小人になぞらえて言った。私たちが彼らよりもよく、また遠くまでを見ることができるのは、私たち自身の視力が優れているからでもなく、ほかの優れた身体的特徴によるのでもなく、ただ彼らの巨大さによって私たちが高く引き上げられているからなのだと。(ラテン語: Dicebat Bernardus Carnotensis nos esse quasi nanos gigantum umeris insidentes, ut possimus plura eis et remotiora videre, non utique proprii visus acumine, aut eminentia corporis, sed quia in altum subvenimur et extollimur magnitudine gigantea.

歴史家レイモンド・クリバンスキー英語版R・W・サザーン英語版 によれば、ベルナールはここで同時代(12世紀)の学者を古代ギリシアローマの学者と比べていたのだという[5][6][1]。この言葉は古代に対する同時代の劣等感と同時代における進歩への自信との両方に解釈でき[7]ルネサンス期の新旧論争を通じて古代派と近代派の両方によって、力点を変えて援用された[1][8][9]

預言者の肩の上に福音書記者が乗っている構図(シャルトル大聖堂のステンドグラス)

シャルトルのベルナールに由来するこの構図はシャルトル大聖堂の南翼廊のステンドグラスにみることができる。バラ窓下の縦長の窓には、旧約聖書の4人の預言者イザヤエレミヤエゼキエルダニエル)が大男として、新約聖書の4人の福音書記者マタイマルコルカヨハネ)が彼らの肩の上に座る普通の大きさの人として描かれている。巨大な預言者よりも小さな福音書記者の方が(預言者らが語ったメシアを実際に目にして)「よく見ることができた」のである。

この言葉はトサフィストユダヤ教の聖典の註解学者)イザヤ・ディ・トラニ英語版(1180年頃 - 1250年頃)の著述にも見ることができる[10]

各分野における適用

自然科学

近代自然科学とともに成立した科学的方法では、新たな科学的成果はそれ以前の成果の上に論理的整合性を持って積み重なり、またさらにその上に新たな仕事がなされるという形で順々に積み重なっていく[11]。例として、物理学者の江崎玲於奈は、自身によるトンネルダイオード超格子の成果について「ブロッホゼーナーショックレーなどの巨人の肩の上でなしたのだと言えるでしょうし、また、私の肩の上でも新しい仕事が次々となされているのが現状」であると述べる[11]

ここで、科学的成果にはごく一部の高インパクト成果(いわゆる大発見・大発明)と、大多数を占める平凡な成果があるが、科学技術の進展にはどちらが強く寄与するかという議論がある。これに対しては大きく分けて2つの立場がある[12]

  1. 科学の進歩は、多数の平凡な研究者たちの仕事の総体の上に構築されるものである。[注 1](漸進的進歩)
  2. 科学の進歩は、限られたエリート研究者(巨人)の肩の上に立つことにより構築されるものであり、平凡な研究者たちの成果の重要性は比較的低い。(革命的進歩)

前者の立場は哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセトが『大衆の反逆』の中で表明したものであり、その名を取ってオルテガ仮説英語版と呼ばれる[14]。後者の立場はアイザック・ニュートンが用いた「巨人の肩の上」の表現にちなんでニュートン仮説と呼ばれる[15]

論文の被引用(被参照)回数をもとにした計量研究の限りにおいては、ニュートン仮説の方が現実に近いという結果が得られている[14][15][16]。その場合、「巨人の肩の上に乗った巨人の肩の上からはさらに遠くを見通すことができるが、巨人の肩の上に乗った矮人の肩の上からは新たな視点は得られない」、と表現できる結論に行き着く。しかし、被引用数のみに基づく計量手法の限界[注 2]をはじめとした数々の手法の不備が指摘されており、この結論を下すには尚早だという反対意見もある[17][18]

フリーソフトウェア運動

「巨人の肩に乗る」というメタファーはフリーソフトウェア運動を推進しその正当性を示すためにも用いられる。

レッドハットボブ・ヤングリチャード・ストールマンと自由ソフトウェア革命英語版 で、人々が巨人の肩に乗ることを可能にするものだとしてフリーソフトウェア運動を支持し、巨人の肩に乗ることは車輪の再発明の対極にあるとも述べた[19]

同書ではさらにリーナス・トーバルズの発言が次のように引用されている[20]

GCC を統合したことで Linux は性能が改善した。問題も起きた。GPL の「感染」力は Linux カーネルには適用されなかったが、自分のフリーソフトウェア・オペレーティングシステムのために積極的に GCC を借りたことによって、トーバルズには他の人々にお返しをすることへの何らかの責任が生じていた。このことについてトーバルズは後年「私は自分を巨人の肩の上に持ち上げていた」と述べた。彼が以後、他の人々が自分に同じような支援を求めてきたらどうなるだろう、と考えるようになったのも不思議ではない。

脚注

  1. ^ 大衆の反逆』においては以下のような表現:「実験科学の進歩の大部分は、驚くほど平凡な、また平凡以下の人々によってなされてきた」(スペイン語: la ciencia experimental ha progresado en buena parte merced al trabajo de hombres fabulosamente mediocres, y aun menos que mediocres.[13]
  2. ^ 例えばインパクトファクターに対する批判のような限界

参考文献

  1. ^ a b c d 柴田平三郎「第1章〈巨人の肩の上に乗る矮人〉」『中世の春―ソールズベリのジョンの思想世界』慶應義塾大学出版会、2002年5月20日。ISBN 4-7664-0903-5 
  2. ^ Isaac Newton (1959). H. W. Turnball. ed. The Correspondence of Isaac Newton. 1. p. 416 
  3. ^ Robert King Merton (1965). On The Shoulders of Giants: A Shandean Postscript. Free Press. OCLC 192589 
  4. ^ John of Salisbury, J. B. Hall (ed.), 1991, Ioannis Saresberiensis Metalogicon, Liber 3, cap. 4 (p. 116), (Corpus Christianorum Continuatio Mediaeualis CCSM 98), Brepols英語版, ISBN 9782503039824
  5. ^ Richard Southern英語版 (1952), “Ch. IV (II.B)”, Making of the Middle Ages, OCLC 4125897 
  6. ^ 阿部謹也「歴史意識の東西」『哲学』第56号、日本哲学会、4-21頁、2005年。doi:10.11439/philosophy1952.2005.4 
  7. ^ 甚野尚志『十二世紀ルネサンスの精神―ソールズベリのジョンの思想構造』知泉書館、2009年3月、25-27頁。ISBN 978-4-86285-053-9 
  8. ^ James E. Force (1999), “Newton, the "Ancients," and the "Moderns"”, Newton and Religion: Context, Nature, and Influence, Springer, pp. 242-243, ISBN 9780792357445, http://books.google.com/books?id=gJKaqMDxyL0C&pg=PA242 
  9. ^ Gunter Gebauerドイツ語版 (1995). Mimesis: Culture, Art, Society. University of California Press. pp. 82-85. ISBN 9780520084599. http://books.google.com/books?id=-B8jLLKokSkC&pg=PA83 
  10. ^ Teshuvot (responsa) haRid 301-303. Shnayer Z. Leiman (1993), “Dwarfs on the Shoulders of Giants”, Tradition 27 (3), ISSN 0041-0608, http://leimanlibrary.com/texts_of_publications/60.%20Dwarfs%20on%20the%20Shoulders%20of%20Giants.pdf  を見よ。
  11. ^ a b 江崎玲於奈「個の創造性を大切に」『平成19年版 科学技術白書』、文部科学省、2007年http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa200701/080/009.htm 
  12. ^ David J. Hess (1997). Science Studies: An Advanced Introduction. New York University Press. p. 71. ISBN 0814735649 
  13. ^ José Ortega y Gasset (1930). “XII. La barbarie del «especialismo»”. La rebelión de las masas 
  14. ^ a b Jonathan R. Cole; Stephen Cole (1972-10-27). “The Ortega Hypothesis”. Science 178 (4059): 368-375. doi:10.1126/science.178.4059.368. http://www.sciencemag.org/content/178/4059/368. 
  15. ^ a b M. Oromaner (1985-01-26). “The Ortega hypothesis and influential articles in American sociology”. Scientometrics 7 (1): 3-10. doi:10.1007/BF02020136. 
  16. ^ Lutz Bornmann; Félix de Moya Anegón; Loet Leydesdorff (2010-10-13). “Do Scientific Advancements Lean on the Shoulders of Giants? A Bibliometric Investigation of the Ortega Hypothesis”. PLoS ONE 5 (10): e13327. doi:10.1371/journal.pone.0013327. 
  17. ^ S. A. Goudsmit; John D. McGervey; Robert J. Yaes; Jonathan R. Cole; Stephen Cole (1974-01-11). “Citation Analysis”. Science 183 (4120): 28-33. http://www.jstor.org/stable/1737230. 
  18. ^ M. H. MacRoberts; Barbara R. MacRoberts (1987-11-01). “Testing the Ortega hypothesis: Facts and artifacts”. Scientometrics 12 (5-6): 293-295. doi:10.1007/BF02016665. 
  19. ^ サム・ウィリアムズ英語版 (2002). “10. GNU/Linux”. Free as in freedom. O'Reilly Media. ISBN 9780596002879. http://oreilly.com/openbook/freedom/ch10.html 日本語訳
  20. ^ サム・ウィリアムズ英語版 (2002). “9. The GNU General Public License”. Free as in freedom. O'Reilly Media. ISBN 9780596002879. http://oreilly.com/openbook/freedom/ch09.html 日本語訳