鳳来寺駅

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鳳来寺駅
ほうらいじ
Hōraiji
三河大草 (2.2 km)
(2.7 km) 玖老勢
地図
所在地 愛知県南設楽郡鳳来町門谷字笠川
北緯34度58分7秒 東経137度34分13.5秒 / 北緯34.96861度 東経137.570417度 / 34.96861; 137.570417
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 田口線
キロ程 4.8 km(本長篠起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度-
558人/日(降車客含まず)
-1957年度-
開業年月日 1929年昭和4年)5月22日
廃止年月日 1968年(昭和43年)9月1日
備考 有人駅
特記のないデータは廃止時
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1977年の鳳来寺駅跡とその周囲。赤で囲った場所に駅があった。赤い線は田口線の廃線跡。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

鳳来寺駅(ほうらいじえき)は、愛知県新城市門谷字笠川にかつて存在した豊橋鉄道田口線鳳来寺の最寄り駅であった。

1929年昭和4年)に田口鉄道により開業。1956年(昭和31年)に豊橋鉄道の駅となるが、1968年(昭和43年)に路線の廃線に伴って廃止された。南設楽郡鳳来寺村(1956年以降は鳳来町、現・新城市)にあった駅の一つである。

歴史[編集]

開業までの経緯[編集]

鳳来寺駅は1929年(昭和4年)5月22日、田口鉄道の第一期線として本長篠駅(当時は鳳来寺口駅)から三河海老駅までの区間が開通した際、あわせて開業した[1][2]。駅名については、当初は大字と同じ「門谷」が予定されていた[1]。駅のできた門谷は鳳来寺山山麓にあり、鳳来寺の門前町として栄えた地域である[3]。同駅は、鳳来寺の表参道の入り口に置かれた[4]

駅を開設した田口鉄道は、北設楽郡田口町(現・設楽町)まで鉄道を敷設すべく1927年(昭和2年)11月に設立された会社である。会社設立前の構想では、豊川鉄道の終点長篠駅(現・JR飯田線大海駅)を起点とし、玖老勢までは豊川(寒狭川)に沿うルートとする予定であった。しかし会社設立段階になり、長篠駅より先の区間を開通させていた鳳来寺鉄道(豊川鉄道と同様にJR飯田線の前身)や鳳来寺からの出資を得るために[5]、鳳来寺鉄道鳳来寺口駅へ起点を移し、かつ鳳来寺の前を通すルートとすることになった[6]

開業後の推移[編集]

駅ができると、駅前には十数軒の民家が集まり一つの集落が形成された[4]1935年(昭和10年)には門谷に鳳来寺女子高等学園(のちの愛知県立鳳来寺高等学校、2011年閉校)が開校する。同校は田口鉄道によるアクセスを前提として開設されたともいえた[7]

太平洋戦争中の1945年(昭和20年)7月27日より、駅に田口鉄道の本社が入った。もともと本社は豊橋市内にあったが、同年の豊橋空襲で被災したため移転してきたものである[8]

戦後の1949年(昭和24年)9月23日、駅前に「田口鉄道自然科学博物館」が開館した。「東三河の地質と鉱物の会」に田口鉄道が協力して創設したもので、鳳来寺山を中心とする資料を展示した。この施設は1963年(昭和38年)に開館した町立鳳来寺山自然科学博物館の基礎となっている[9][10]

鳳来寺の最寄り駅として毎年11月23日の鳳来寺山もみじ祭の際には、飯田線から臨時列車が乗り入れていた[11]1961年(昭和36年)7月25日から8月10日までの期間には、名古屋駅からの直通快速列車も「臨電鳳来」として運転され、 また1950年(昭和25年)から1954年(昭和29年)にかけて、名古屋鉄道(名鉄)の小坂井支線と飯田線を介して、名鉄の団体用臨時列車が新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)方面から乗り入れていたこともある[12]

1956年(昭和31年)10月1日、田口鉄道は豊橋鉄道合併された。これに伴い豊橋鉄道田口線の駅となった[13]

廃止とその後[編集]

合併から8年後の1964年(昭和39年)、豊橋鉄道は赤字の拡大に伴って田口線の廃止を決定[14]、4年後の1968年(昭和43年)8月末を以って全線廃止、9月1日よりバスへの転換が実施され[15]、駅もあわせて廃止された[2]

2012年(平成24年)現在、本長篠駅と設楽町田口を結ぶのは豊鉄バス田口新城線で、新城駅近くの新城市民病院(以前の名称は新城病院前)バス停から本長篠駅前経由で田口まで運行されている[16]。門谷地内ではバスは愛知県道32号長篠東栄線を走行しており、駅のあった字笠川に「鳳来寺」バス停が設置されている[17]

また、当駅にあった腕木式信号機は愛知県春日井市にある中部大学に移設され、保存されている。

構造[編集]

相対式2面2線ホームと貨物ホーム片面1線を持つ[18]有人駅で、1956年(昭和31年)の時点で駅長を含めて4人配置されていた[19]

駅舎はローカル私鉄としては珍しい、和洋折衷の寺院風木造二階建て建築で、戦前には二階部分で食堂も経営していた。

利用状況[編集]

1957年度の乗車人員は20万4千人(1日平均558人)で、そのうち4分の3にあたる15万4千人が定期乗車券での利用客であった。この乗車人員は田口線全11駅において、本長篠駅に次いで2番目に多い[20]。鳳来寺高校の学生の利用が多かった[11]

同年度における貨物取扱量は、発送が49トン、到着が71トンであった。田口線の貨物取扱駅は7駅あったが、取扱量はその中で最少である[20]

駅の跡地[編集]

駅の跡地は上記の鳳来寺バス停付近である。駅舎跡は愛知県道32号と鳳来寺の参道(愛知県道441号)の交差点付近にあたる。線路跡は県道32号に吸収された[21]

駅舎は駅の廃止後も解体されず、改装の上1969年(昭和44年)10月10日より「豊鉄ほうらいじ食堂」として営業を開始した[22]。道路改修工事によりこの食堂は撤去されるものの隣地に新たな食堂を建設して営業を続けた[23]が、2004年(平成16年)に閉鎖され、2009年(平成21年)に[要出典]取り壊された。

隣の駅[編集]

豊橋鉄道
田口線
三河大草駅 - 鳳来寺駅 - 玖老勢駅

脚注[編集]

  1. ^ a b 『鳳来町誌』田口鉄道史編、p48
  2. ^ a b 『日本鉄道旅行地図帳』7号、pp37-38
  3. ^ 『角川日本地名大辞典』23、p388
  4. ^ a b 『鳳来町史』交通史編、p324
  5. ^ 大株主に鳳来寺の名がみられる『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  6. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、pp29-31,33-37
  7. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、p67
  8. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、pp125-126
  9. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、pp148-149,187
  10. ^ 『鳳来町自然と文化』
  11. ^ a b 『私鉄廃線跡を歩く』2、p55
  12. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、p151
  13. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、p152
  14. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、pp161-162
  15. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、pp172-173
  16. ^ 豊鉄バス路線系統図 新城営業所管内 (PDF) 」(豊鉄バス公式サイト)、2015年10月22日閲覧
  17. ^ Mapion電話帳 鳳来寺バス停、2012年7月29日閲覧
  18. ^ 白井良和「奥三河に咲いたローカル線 田口線の回想」『鉄道ピクトリアル』第461号、鉄道図書刊行会、1986年3月、59頁。 
  19. ^ 『図録』、p8
  20. ^ a b 『愛知県統計年鑑』昭和34年版、p386
  21. ^ 『新鉄道廃線跡を歩く』3、p132
  22. ^ 『豊橋鉄道50年史』、p162
  23. ^ 『鉄道廃線跡を歩く』、p116

参考文献[編集]

  • 愛知県『愛知県統計年鑑』 第8回 昭和34年版、愛知県、1959年。 
  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 7号(東海)、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8 
  • 今尾恵介(編)『新鉄道廃線跡を歩く』 3 北陸・信州・東海編、JTBパブリッシング、2010年。ISBN 978-4-533-07860-6 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典』 23 愛知県、角川書店、1989年。ISBN 978-4-04-001230-8 
  • 『したらの文化財 図録・田口線と用具』設楽町教育委員会、1996年。 
  • 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩く』 2 関東・信州・東海編、JTBパブリッシング、2008年。ISBN 978-4-533-06991-8 
  • 飛田紀男『鳳来町誌』 田口鉄道史編、鳳来町教育委員会、1996年。 
  • 豊橋鉄道創立50周年記念事業委員会(編)『豊橋鉄道50年史』豊橋鉄道、1974年。 
  • 鳳来町『鳳来町自然と文化』鳳来町、1979年。 
  • 鳳来町教育委員会(編)『鳳来町誌』 交通史編、鳳来町、2003年。 
  • 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩く』JTB、1995年。ISBN 978-4-533-02337-8 

関連項目[編集]