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滝上駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
滝上駅
たきうえ
Takiue
三河海老 (1.2 km)
(2.6 km) 田峰
地図
所在地 愛知県南設楽郡鳳来町海老
北緯35度1分56.1秒 東経137度33分21.12秒 / 北緯35.032250度 東経137.5558667度 / 35.032250; 137.5558667座標: 北緯35度1分56.1秒 東経137度33分21.12秒 / 北緯35.032250度 東経137.5558667度 / 35.032250; 137.5558667
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 田口線
キロ程 12.8 km(本長篠起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
105人/日(降車客含まず)
-1957年度-
開業年月日 1949年昭和24年)8月3日
廃止年月日 1968年(昭和43年)9月1日
備考 無人駅
特記のないデータは廃止時
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1977年の滝上駅跡とその周囲。赤で囲った場所に駅があった。赤い線は田口線の廃線跡。画像左上に稲目トンネルがある。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

滝上駅(たきうええき)は、現在の愛知県新城市海老にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)のである。

廃止当時(1968年)の所在地は南設楽郡鳳来町1956年までは南設楽郡海老町だった。

編年史

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滝上駅は1949年昭和24年)8月3日、田口鉄道により開設された[1][2]

田口鉄道は、現在のJR飯田線本長篠駅北設楽郡設楽町を結んだ鉄道である。駅の開業と路線の開通の時期には大きな開きがあり、駅をはさむ三河海老駅から清崎駅までの区間が同鉄道の第二期線として開通したのは駅設置より20年近く前の1930年(昭和5年)のことである[3]

1956年(昭和31年)10月1日、田口鉄道が豊橋鉄道に合併されたため豊橋鉄道田口線の駅となる。それから8年後の1964年(昭和39年)、豊橋鉄道は赤字の拡大を理由に田口線の廃止を決定[4]。路線の廃止は1968年(昭和43年)9月1日[1]であったが、その直前の8月29日台風台風10号)で被災して田峰駅から清崎駅までの区間が線路破壊により不通となり、滝上駅を含む三河海老以北の区間は運転していなかった[5]

廃線となった田口線はバスに転換された。2012年現在、田口線があったルートに沿って走るバスは豊鉄バス田口新城線である。愛知県道32号長篠東栄線を走行しており、駅名と同じ「滝上」という名のバス停がある[6]。駅跡地はこのバス停留所の裏手で、そこには原型をとどめた駅のホームが残っている[7]

構造

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片面ホーム1面1線で列車の行き違いが不可能な駅であった[8][2]駅員は配置されていない(無人駅[9]

利用状況

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1957年度の乗車人員は3万9千人(1日平均105人)で、そのうち約5割にあたる1万8千人が定期乗車券での利用客であった。この乗車人員は田口線の全11駅中で三河大草駅長原前駅三河大石駅に次い4番目に少ない。一方、貨物の取り扱いはない[10]

隣の駅

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豊橋鉄道
田口線
三河海老駅 - 滝上駅 - 田峰駅

脚注

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  1. ^ a b 『日本鉄道旅行地図帳』7号、pp37-38
  2. ^ a b 『鳳来町誌』田口鉄道史編、p64
  3. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、pp58-59
  4. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、pp161-162
  5. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、p186
  6. ^ Mapion電話帳 滝上バス停、2012年9月17日閲覧
  7. ^ 『新鉄道廃線跡を歩く』3、p133
  8. ^ 白井良和「奥三河に咲いたローカル線 田口線の回想」『鉄道ピクトリアル』第461号、鉄道図書刊行会、1986年3月、59頁。 
  9. ^ 『図録』、p8
  10. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和34年版、p386

参考文献

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  • 愛知県『愛知県統計年鑑』 第8回 昭和34年版、愛知県、1959年。 
  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 7号(東海)、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8 
  • 今尾恵介(編)『新鉄道廃線跡を歩く』 3 北陸・信州・東海編、JTBパブリッシング、2010年。ISBN 978-4-533-07860-6 
  • 『したらの文化財 図録・田口線と用具』設楽町教育委員会、1996年。 
  • 飛田紀男『鳳来町誌』 田口鉄道史編、鳳来町教育委員会、1996年。 

関連項目

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