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野塚駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野塚駅
のづか
Nozuka
豊似 (5.1 km)
(2.8 km) 新生
所在地 北海道広尾郡広尾町字野塚
北緯42度21分22.4秒 東経143度17分39.1秒 / 北緯42.356222度 東経143.294194度 / 42.356222; 143.294194座標: 北緯42度21分22.4秒 東経143度17分39.1秒 / 北緯42.356222度 東経143.294194度 / 42.356222; 143.294194
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 広尾線
キロ程 76.3 km(帯広起点)
電報略号 ノカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1932年昭和7年)11月5日[1]
廃止年月日 1987年昭和62年)2月2日[1]
備考 広尾線廃線に伴い廃駅
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1977年の野塚駅と周囲約500m範囲。右下が広尾方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

野塚駅(のづかえき)は、北海道十勝支庁広尾郡広尾町字野塚にかつて存在した、日本国有鉄道(国鉄)広尾線廃駅)である。電報略号ノカ事務管理コードは▲111514[2]

歴史

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駅名の由来

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所在地名より。豊似川支流の野塚川のアイヌ語名「ヌㇷ゚カペッ(nupka-pet)」(野・川)の上半部に由来する[4][8]

駅構造

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廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。プラットホームは、線路の西側(広尾方面に向かって右手側)に存在した。[7]転轍機を持たない棒線駅となっていた。

廃止時は無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は無人駅化の際に改築され、スマートな駅舎になった[7]。駅舎は構内の西側に位置し、ホームから少し離れていた[7]根室本線姉別駅に近い形状の駅舎であった。

利用状況

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1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は31人[7]

駅周辺

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駅跡

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1999年(平成11年)時点で、駅跡地には鉄道関連施設は何も残っておらず、荒れ地と化している[10]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[11]

隣の駅

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日本国有鉄道
広尾線
豊似駅 - 野塚駅 - 新生駅

脚注

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  1. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、891頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、236頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ 内閣印刷局, ed (1932-10-28). “鉄道省告示 第429号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1750). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958221. 
  4. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、143頁。ASIN B000J9RBUY 
  5. ^ “日本国有鉄道公示第319号”. 官報. (1974年12月12日) 
  6. ^ 「通報 ●広尾線愛国駅ほか3駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1974年12月12日、4面。
  7. ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)140ページより。
  8. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、329頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  9. ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)12ページより。
  10. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVI』(JTBパブリッシング1999年3月発行)40ページより。
  11. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)89ページより。

関連項目

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